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天上天下唯我独尊について。
私の元彼は、天上天下唯我独尊について、『自分が一番偉いのだ!』と思い込んでいて、私に、『この世の中で、○○くんが一番偉い。』と言ってといい言わされていました。でも、本来の意味は、全く違う意味でしかありません。 皆同じで、皆な等しいと言う意味だと思います。 その本来の意味を説いてもまだ、天上天下唯我独尊は、俺が一番偉いって言う意味だと言い張りました。 こんな、彼を本当にほっておいていいのでしょうか?
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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その言葉はどうでもいいが、私は私自身が世の中で一番偉いと思っているよ。 参考になるかな。 ちっちちっちオッパーイ
「俺は神だ!」とか言い出さないだけ、まだマシなんじゃないですか?上には上が居るんだから、ほっときゃそのうち、身の程を思い知るでしょ。もし、身の程を思い知る事なく、一生ブイブイゆわせる事が出来るのであれば、それはそれでスゲー話ですし。 天上天下唯我独尊とは、元々は釈尊こそが天人師(最高の教師)であると言う権威付けの為の言葉だったのですが、現代では、誰もが最も尊い存在だと言う意味になっている様ですね。
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回答ありがとうございました!
- SakuraiMisato
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#2のヒントだけでは申し訳無く思われましたので、 追記を致します。 当事者にとっての世界解釈は、各自の本人の存在によって成り立たせて貰えるのです。
お礼
回答ありがとうございました!
- kurinal
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「我」って、一人ひとりでしょ。 九拝。
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回答ありがとうございました!
- mmky
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○「天上天下唯我独尊は、俺が一番偉い」という意味であってますね。その他の解釈は後代の適当なものですね。 釈尊の魂は霊天上界で一番偉い霊体の一部ですから、その霊が肉体を持って地上に生まれた時は、天上界においても地上界においても霊的に一番偉いとなるわけですね。それが「天上天下唯我独尊」ですね。 天上界もこの世も完全なピラミッド構造ですから偉い者は偉いのですね。 地位や名誉なんかじゃないですよ。心が一番という意味ですね。生きていても一番ですから現状の仏陀と呼ばれるのですね。死ねばあの世の最上階の玉座に座っているのですね。どの宗教の教祖よりえらい存在ですね。 西洋では全知全能の神と呼ばれていますが、釈尊なんですね。イエスも孔子もモハマンドも釈尊にはおよばない存在ですね。こんなのが真実なんですよ。一番偉いので西洋の神々には一番怖い存在でもありますね。「ノストラダムスの予言にアンゴルモアの大王の再来」とかおどおどしい予言がありますが、要は仏陀再誕のことですね。現状の仏陀が世界を治める時はキリスト教もイスラム教もあらゆる既存の宗教は消えてなくなるということで、怖いわけですね。 だから元彼が正しいと思いますね。
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回答ありがとうございました!
- SakuraiMisato
- ベストアンサー率17% (42/235)
其の用語の末尾の『尊』が釈尊の意味なのか否かによって、 文法的な解釈が大きな齟齬を来たしますでしょう。 http://nedwlt.exblog.jp/16491766/
お礼
回答ありがとうございましたo(^-^)o
まあ、いろいろな説がありますが、跡づけに過ぎませんね。 時代によって、意味が変わるのはよくある話です。 本来の意味は、釈尊(お釈迦様)が生まれたときに、 「天上の神よ、人々よ。私はここに目覚めました。」 という単に、生まれたことを伝えることだったみたいです。 「目覚め」つまり、悟りに至る道に至ったと言うことのようですね。
お礼
そうなんですか。 回答ありがとうございましたo(^-^)o
お礼
やっぱりそうですよね~。 回答ありがとうございました。