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信長の政策と最終官位について
- 信長の政策『天下布武』とは、武力で天下を統一するのではなく、天下泰平の世の中を創る決意表明でした。
- 信長は領地の見廻りで困っている人を助け、部下にも公正な裁判を行うなど、恐ろしく公正な男として慕われていました。
- 信長は戦のない世の中を目指し、最終官位の正二位右大臣兼右衛大将に就いていました。
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>本当の意味は天下泰平の世の中を創る決意表明という読み物を読んで、妙に納得してしまいました。 解釈を行う方の信条・思想で、色々と解釈が出来ます。 単純に、「天下=都。布武=力で抑える」との解釈が未だ優勢です。 ただ、「力で抑える=犯罪を無くす=秩序を守る」と解釈する人もいます。 >知能が低く、身体的にも難のある男を見つけ、その土地の者に金を渡し『これであの者が困らない家を作ってやってくれ』とし、皆、涙したとか。 信長の資料を読むと、二面性がありますよね。 情け容赦のない残忍な性格と、お茶目な性格。 安土城が完成した時には、身分を問わず「入場料をとって、城内を解放した」との記録もありますしね。^^; また、秀吉の妻に対する手紙も人情派です。 が、意に沿わない結果を出す者には容赦がありません。 >世界も見据え、頭の回転が早い信長氏が目指したのは戦のない世の中 だったのですか。 権力者になるまでは、誰もが戦いのない世の中を目指していました。 が、権力者になると「独裁制」が出てきて野望を描きます。 >正二位右大臣兼右衛大将とはどのような立場だったのですか。 信長は、「平氏」だと自分を考えていました。 平氏⇒源氏⇒平氏・・・と、順番に政権を取るという思想ですね。 平氏だと、将軍になる事は出来ません。 そこで、天皇は「平氏での最上位の官位」を授けたのです。 まぁ、名誉職程度に考えて下さい。 年収9500万円(全額非課税)+家賃・水道光熱費・交通通信費・医療費など全額免除である週刊誌を賑やかにしている娘さんと同じです。
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- SPS700
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1。本当の意味は天下泰平の世の中を創る決意表明という読み物を読んで、妙に納得してしまいました。 Xに納得したからYは間違い、と速断なさらない方がいいです。 2。世界も見据え、頭の回転が早い信長氏が目指したのは戦のない世の中 だったのですか。 そういう根拠は少なくとも二つある説の一つに過ぎません。 https://word-dictionary.jp/posts/195 3。位は、うまく糸を操って、コメツキバッタのようにお追蹤笑いをしていれば、宇宙人でも某国の名誉学位がもらえます。 4。戦いのない世の中を目指した理由は、彼がYの意味で、四字熟語を作ったからで、世界も見据え、頭の回転の早い、平和主義者だった、とデタラメの歴史を作り上げるのは容易です。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、天下布武の"武”が、武力の武なのか、武士の武なのか…。 信長公のエピソードに信長の侍女にちょっかいを出した男をその場でぶった斬った、 というのがあります。 極端な男だったのは間違いなさそうです。 もしも徳川幕府ではなく、織田幕府だったなら…などと考えてしまいます。 ありがとうございました。
- fujic-1990
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宮中席次で「正二位」の上は、従一位と正一位しかありませんので、正二位はほとんど「位人臣を極めた」と言えるほど高い地位です。 「右大臣」の上は、左大臣、太政大臣だけですが、太政大臣は摂政や関白と同じく臨時職ですので、常設の行政担当者としては上から2番目の役職。 近衛府は宮中の警護、行幸時の供奉などをした武官的令外官で、後に左右2つに別れました。それぞれに長官(大将:大納言か大臣が兼任)がいましたが、左右では左が上席ですので右近衛大将は「武官としては上から2番目」の地位でしょうか。 まとめると、血統的に征夷大将軍になれない武士としては、最高位だったでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 信長公は、左大臣就任を求められるも、 条件を出し、実現されなかったという逸話や、朝廷から征夷大将軍、太政大臣、関白の中から好きなものを選べ、と言われていたが、考え中?に殺されてしまった、という 説があります。 どれを選んだのかが原因で殺された、等は無いお話なのでしょうか…。 わたしは、信長公は、官位に興味がなかった様に思えてならないのです。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 仰る通りです。信長公のおねへの手紙は 思いやりに溢れています。好ましい相手には、とことん優しい。なぜ、光秀にはあんなに激昂したのでしょうか。 信長は平氏、家康は源氏なのですね。 三職推任問題の任官を提案したのが朝廷側か信長側か、信長の正式な返答を待っていたおりに、本能寺の変が起きたそうですね。 彼の構想は永遠に謎になってしまいました。どのように先を見据えていたのでしょうね…。 信長公は、秀吉と違い、自身の出世より 家、子孫の繁栄よりこの国の平定を望んでいたのかと思わずにいられません。 ありがとうございました。