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西洋化を求める福沢諭吉と東洋価値を称揚する岡倉天心

 日本語を勉強中の中国人です。日本の皆様は、西洋化を求める福沢諭吉と東洋の価値を称揚する岡倉天心とどちらがお好きでしょうか。それはなぜでしょうか。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

日本人より自然で丁寧な文章を書かれますね。質問者さんは、福沢諭吉=西洋化、岡倉天心=東洋の称揚と対比的に理解されているようですが、私はそうは思いません。 福沢諭吉は幕末から明治にかけて近代日本は、どうあるべきなのかという国家論的な問題意識を持ち、学問を修め、国民の啓蒙に努めたのに対し、岡倉天心は安易な西洋化の風潮に流されずに日本の伝統美術の価値を見出し、日本美術史という学問を確立した人です。 二人とも近代日本の偉大な指導者であり、私は二人とも尊敬していますが、二人が活躍した分野は全く重なっていないので、「どちらがお好きでしょうか」と聞かれても困ります。 畑が全く違うので二人は対立していた訳でなく、それぞれの分野で活躍されたというまでのことです。 福沢諭吉を「西洋化を求める」と評するのはどうなのか。福沢諭吉には、日本を発展させたいという大局的な目的意識があり、その為には先進的な西洋の法制度を取り入れて近代化を図らねばならないと考えたわけです。また福沢諭吉の学問の根本は儒学であり、儒学の先行者である中国と朝鮮も近代化が必要であると考え、その協力も惜しみませんでした。しかし福沢が頑迷な中国と朝鮮の近代化を待っていたのでは、日本は欧米列強と対抗できないという現実的な認識も持っていたのです。 一方、岡倉天心は日本の伝統美術を積極的に欧米に紹介しました。それも福沢諭吉と方法論は全く異なるけれども、日本を欧米列強と文化的に対抗できる国にする為だったのです。 ですから活躍した分野もアプローチも全く異なってはいるけれど、二人とも国際的視野を持ち、近代日本のことを考えて行動していた訳です。 近代日本は二人に限らず、多くの偉人が様々な立場で、様々なアプローチで日本の発展に貢献してくれました。そのおかげで日本は激動の荒波を乗り越えることができた。 そういう大きな歴史の前に、誰が好きだの嫌いだとと論じるのは瑣末な話題ではなかろうか。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。二人とも詳しくありません。私はいま西欧文化と中国文化に対する自分の姿勢のことついて考えています。こんなときに、日本の偉大な人物に出会えてとても嬉しいです。ご意見と考え方は大変参考になり、助かりました。本当にありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

awayuki_cn様、今晩は。 >「日本の皆様は」 ・・・それは知らない。 が、個人的には、 福沢諭吉は、極端過ぎて、嫌い。 『学問のすすめ』とか。

awayuki_cn
質問者

お礼

 こんばんは。ご親切に回答していただきありがとうございます。大変参考になりました。福沢諭吉の「文明論之概略」の中国語版を読んでいるところです。本当にありがとうございました。

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