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日本人にとって日本語って大事だと思いますか?
最近の若者ってやたら言葉を省略しますよね 外来語もまぜて意味もあやふやになったりもする どう思いますか? また、大事だと思う方は、なぜそう思うのか教えてください
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「最近の若者は…」というフレーズは、いつの時代も言われていたことです。 私が最近思うのは、若者だけじゃなく、いい歳の大人がちゃんとした日本語ができていないことの方が嘆かわしいです。敬語のレベルが低い人も多いですし、語彙が乏しい人も増えているような気がします。 日本人にとって日本語が大事なのは当然です。 言葉って、そのまま文化や伝統がバックボーンにあるものです。全ての外国語を知っているわけではありませんが、少なくとも私が知っている限りでは、日本語は音がキレイです(耳障りじゃない)し、語彙も豊富で、表現力豊かな言語だと思います。日本という国として、日本人が守るべき大切な言語だと思います。 あと、あくまで個人的見解ですが、複雑な日本語の、特に読み書きが、日本人の学習能力を高めてきた面があると思っています。 日本語は漢字、ひらがな、カタカナを駆使します。このような言語は、世界的に見ても他に類を見ません。 特に漢字は、一つの文字でも読み方が違ったり、送り仮名一つで意味合いが微妙に変化したりします。こうした複雑なことを小学生の頃から勉強するのですから、学習能力だけでなく、細やかな思考や感性を育んできた一因だったと思います。それが、最近はゆとり教育の悪弊や過度な(不必要な?)英語教育などのせいで、国語力が落ちて、結果全体の学力も落ちている面は否めないと思うんです。 漢字の母国・中国では、今や漢字は表音文字でしかないと聞いています。一文字で意味を持ち、音読みや訓読みがある日本語でこそ、漢字そのもののポテンシャルが生きているのではないでしょうか。 そういう意味でも、日本語は非常に優れた言語だと思うので、母国語としている日本人にとって大事じゃないわけがありません。
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- TANUHACHI
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追記。「トテ・シャン」との言葉を質問者様はお聞きになったことがおありでしょうか?。 これは日本語の「とても」とドイツ語の“schön”の造語であるとされています。つまり「美女」との意味だそうです(遙か昔、祖母から聞いた話です)。 同様に「ハイカラ」もそうです。英語の“High Collar(襟の高いシャツ)”に象徴される洋装の人が転じて「進歩的・近代的・華麗・優美・お洒落」となった粋な表現です。 漢語をやまと言葉に置き換えたり、外来語をカタカナ言葉表記の新たな日本語として定着させたりなどは日本人ならではの精神文化ともいえます。「翻訳文化としての日本文化」けれどもどこかにオリジナルを残す強かさ、そうした技量の広さに僕は誇りを感じます(ナショナリズムとは違った意味で)。
- TANUHACHI
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言葉の「省略および簡略化」は現代特有の現象でも何でもありません。古典にみられる「なめり」は元の表記が「なるめり」であったものが話し言葉として「なむめり」となり「なめり」に転化したものとされています。 大正時代の「モボ」や「モガ」もそれぞれが「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」だったものが省略されたものであり、古文書の書式の一つである「符」などに見られる「者」の文字は特殊な意味を持ち「テエレバ」と発音します。 これは元々文章の中に他人の発言や文章を引用する場合などに用い、「トイヘリ」がつづまったもので「以上の如くである」ほどの意味です。 漢文でも「燕雀」といえばそれが「嗚呼、燕雀安知鴻鵠之志哉」の代名詞的な用法であることも明白です。言葉を字義通りに解釈しろなどの暴力的な議論はそれこそ言葉のもつ豊かさや可能性を押し殺してしまう結果にもつながるのではないでしょうか。 英語でも“take part in~”を“partake in~”などに置き換える表記などいくらでもあります。“I beg your pardon.”もカジュアルな表現では“Pardon?”だけで通用します。PCをパソコンと呼ぶことは普通です。今さら「個人で使用する電子計算機」などとは呼ぶこともないでしょう。それだけで使用目的を示す固有名詞ならば省略化して使用することを強ち誤りであるとはいえない。電卓も元々は電子卓上計算機でしたが今では電卓と呼び習わされています。それだけ言葉が時代の中で変化していることの証ともいえるでしょう。 2001年9月のアメリカ同時多発テロに際して報道された“Show The FLAG.”の言葉を耳にして私の脳裏に浮かんだ言葉は「旗幟鮮明」との漢語でした。漢文世代の者からすれば明らかですが、これも現在では辞書を紐解かねばならない現実もあります。だからといってそうした世代の言葉のあり方を非難しようとは思いません。彼らには彼らが培っている言葉の豊かさもあり、一概に否定するものとはいえないでしょう。 宣長が自らの価値観に基づいて兼好を批判したのは自由ですが、その宣長も自らの価値観によってガチガチに縛られている、ツマラナイ人間です。母国語を大切にする余り、それが異常なまでのナショナリズムにつながることだけは避けたいものです。
お礼
ありがとうございます。
- hikki-hikki
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今に始まったことじゃないです。 例えば・・・「新しい」←これ、なんと読みますか? まぁ、普通は“あたらしい”ですよね・・・でも、本来は“あらたしい”と読むのが正しかったんです。 江戸時代に“あたらしい”と読むのが流行して定着してしまったものです。 >外来語もまぜて意味もあやふやになったりもする 最近の若い方はあまり使わないかもしれませんが・・・“半日休暇(例えば学校、土曜日はお昼までが昔は当たり前だった)”を“半ドン”と言いました。 この半ドンのドンはオランダ語のZondag(日曜)が由来とも言われています(お昼の時報の大砲の音という説もあり)。 福岡のお祭り、「博多どんたく」のどんたくもZondag(日曜)が由来とも言われています。 ワイシャツも“Y”とは関係なく“WHITE”の聞き間違いですし。 タバコも漢字で「煙草」ですが、これも元はスペイン語やポルトガル語のtabaco(知人は海外で「tabaco」と書かれているのをみて、日本語のタバコは外国でも通じると勘違いしてました)。 あと外来語との関係で変になっちゃった話。 動物のサイに「シロサイ」と「クロサイ」っているんですが、どちらとも白くも黒くもありません。 「シロサイ」は元々“口元が広い”という意味でwide rhinoceros と呼ばれていたが誤記されて white rhinoceros、シロサイとなり・・・対照的なもう一方のサイをクロサイとしてしまった・・・ということだそうです・・・笑っちゃいますよね。 日本人は海外の文化を受け入れ自国の文化とミックスして自分達のモノにする・・・これは世界的に見ても特殊能力だと思いますよ。
そりゃ大事でしょう。 なくなったら読むのも書くのも話すのも聞くのもできなくなるし、そもそも考えること自体ができなくなりますから。 「最近の若者」の、「言葉を省略」すること、「外来語」を混ぜることなどについて「どう思いますか」という質問については、他の方も答えているように、いつの時代もそうだとしか答えられません。新しい表現があれこれ生まれ、あるものは消えてあるものは残る。ことばはそうやって変わっていくものです。 そういえば、江戸時代のことばを集めた辞典に「ちゃづる」という動詞が載っていました。「茶漬けを食う」という意味だそうです。
- Mokuzo100nenn
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通産省だとか経団連だとか、全日空や総評なんてのもあった。 バイトとかマクドとか、冷コーってのもありましたな。 昔の若者って、やたら言葉を省略したんですよ。 デ・カン・ショなんてのは大正時代の言葉かもしれませんが、外来語をここまで短縮・省略したのも昔の日本人ならではじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
- takotakosuke
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言葉を省略すること自体はむしろ昔からの日本語の特徴のようですよ。 日本人は昔からダジャレや掛けことばなどの言葉遊びが好きですから、そういう意味では正統派だということになりますね(笑)。 ちょっと前の日本人は必死になって外来語を漢字言葉に書き換えておりましたが、書き換える側に相当な知識と言語感覚が無いと出来ないことです。したがって現代の人生経験浅い日本人にはそうとう高度な技術なので、外来語を表音表記のままいじっちゃう方が楽なのでしょう。 日本人にとって日本語は大事ですよ。 その国・地域特有の言葉はその国・地域に生きる人々の根本を支えるものの一つです。言葉が消えると、文化も消えていきます。固有の言語で説明してきたことを別の言語で置き換えても、微妙な意味合いまで伝えきれません。このこぼれ落ちてしまう微妙な意味合いこそが文化を特徴づけているものですから、文化の芯を失い続ければ文化の抜け殻しか残らず、観光名所の見世物程度のものに成り下がってしまいます。 言葉を省略することより、表現の幅が少ないことの方が問題ではないでしょうか。何かと言えば「ヤバい」「カワイイ」「ウザイ」で済ませているような印象があります。そこに「チョー」「マジ」とかを付けておけば比較級で、最上級なら「~~過ぎる」というような、3歳の子どもだってもうちょっと表現力がありますよと言いたくなります。一部の極端な人たちがテレビで紹介されているだけなのだと分かってはいますが、大人の雑誌の見出しがこの程度なので、仕方ないのかとも思います。 私も日本語の深い所まで知っているわけでも使いこなせているわけでもないので、本当はこんなに偉そうなこと言えないんですけど、この世界すべての言語の究極の形が日本語ではないかと思っているので、英語や韓国語や中国語に押されることなく、この地球に残り続けてほしいですね。 というわけで、頑張ってカタカナ語を使わないで回答してみました(笑)。
お礼
ありがとうございます。
- Postizos
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外来語を取り入れたり、略語を使ったりしても日本語でなくなるわけではないのでその非難は当たらないのではないでしょうか。そういう事はいままでの日本語の歴史の中でも繰り返されてきましたが、ちゃんと「良い言葉」と「悪い言葉」は認識されて使い分けがされてきているように思います。 (日本でも英語しか使わないとかいう企業があったり、これからは日本の公用語は英語にするとかいうことでしたらそれは日本語を大事にしていないように思います) 貴殿の主張は「良い日本語を使いましょう」ということではないですか?決してその趣旨を批判しようという回答ではないのでご理解ください。 普段の仲間内での言葉は自由だと思いますが、丁寧にしようとしてよそ行きの言葉を使うとわけのわからない長ったらしいしゃべり方しかできない人が多くなっているのは、きちんとした手引きや練習が無いからだろうなと思います。 悪い言葉も良い言葉も両方あって、普通に使いこなせたら、豊かな日本語と言えるのではないでしょうか。
- iwatoco
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こんにちは。言語は、その国民にとって非常に大切なものだと思っています。若者がどんどんイジッてしまうのは、母国愛が足りないのでしょうね。海外へ留学した人がよく言うのは、日本人以外は大抵、自分の国に誇りを持っていて、自国の自慢話がどんどん出て来るのに、自分はそれが出来なくて恥ずかしかった、という事です。そういう経験をするとナショナリズムに目覚めるみたいですね。母国語は、その国の文化が滲み出ているものだと思います。例えば、敬語の使い分けです。日本人の奥ゆかしさがよく分かりますよね!残念ながら今の日本は、胸を張って自慢出来る国ではなくなっている現実を、若者は何となく分かっているのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 >若者がどんどんイジッてしまうのは、母国愛が足りないのでしょうね。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7604764.html?pg=0の #4さんとか...
時代と共に言葉は変化するものではあるけれど 言葉を省略することは別問題ですよね。 ・省略しても、そのくらい解って当たり前だ ・こんなことも分からないのか 若者の言い分ですが・・ 社会人としては通用しませんね。 信頼もできません。 ・他人から信用されない 長い人生において、これはとても大きな損だと思います。 たくさんの幸運を逃がしていることに 気づく人は、言葉を大切にすると思います。
- comattania
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言葉は、時代とともに洗練され、変遷していくものです。平安時代や、江戸時代の言葉が使われなくなってるのが、この証拠です。 若者言葉を、憂う前に、これらを理解できない、ご自分の時代遅れを嘆いてください。 年年歳歳言葉は死語を生み、新しい言い回しに変化していきます。これを、生きてる言葉といいます。
お礼
ありがとうございます。 >私が最近思うのは、若者だけじゃなく、いい歳の大人がちゃんとした日本語ができていないことの方が嘆かわしいです。 鋭い指摘ですね。