ブータンは仏教国です。その仏教の仏教たる由縁が、知ら示されおり、又徹底されている事が『一番幸せな国はブータンである。』という根源、或は国民の意識的であれ、無意識的であれ、根付いているという事を見逃す事が出来ません。
この意味は『一切皆苦』の根源が、何であって、その解消のためには何が必要なのかを、上に立つ人が知っている事を意味します。
国王自らが悩み深き人であって、その悩みの解消を『心の中の竜、という表現方法であったとしても、、』言えることのように思います。そうして大臣達も、政治をする以前に、悩める一人の人である事を知っているように感じられます。
この意味するところは、自分(人間の)役割や自分(人間の)の仕事の意味や、意義を知っていて、立ち働いている事を意味します。
物事を分っていて、大臣なら大臣の仕事を行なっていることを意味します。人間の幸福とは『自分の命を大事にして、生を全うするところに在る。』と思いますが、只単純に『この事を、子供時代から徹底させている事』がブータンがブータンたる理由になっていると思います。
そういう意味で『本当の意味で仏教国』と言う表現方法を取っています。『自分の命を大切にする事』たった是だけの徹底で、物が無くとも『幸福度が上がる事を、ブータンは』世界に示しています。
日本をその反対の意味で言うなら、『物が在っても、お金が在っても、命が在っても』生きること自体に不安を抱えている人達が多いように見受けられるからです。その間違いの一歩目が『教育現場での、教える事の内容の無さです。』
学問や教科の内容の深さ以前の問題です。『人間としての、在り方自体の在り方の問題です。』この入り口が『教師自身でさえ分っていない事が問題となっているため』山口市のような問題が起きています。
先生の仕事は、学問を教える以前に教える事がある事を意味するからです。先生の仕事は『人間の本当の生き様』を教える事が必要な事を意味します。この生き様を伝える中に人間の『生きがいが在るからです。』
生きる意味や、目的とは『命の重さの重要性を伝える中に存在します。』それは『命の重さの重要性を自ずから学ぶ中にあります。』この呼び水役が『教師の本当の仕事です。』
自分の命を輝かせるために『教育が存在しています。』
こういう基礎が無い『学力試験にだけ強い先生』達を育てている教育現場から、日本の国家予算も教育現場も『破綻に近い現在が育てられています。』それは精神医療の現場も同じです。
一人一人が、自分の命の大切さが分かる時、家族も地域社会も、郷土も国をも守ってゆこうとする事に繋がります。こういうことが分る人が増えた場合には『自分の命を絶つことなど無くなっている』事さえ意味するからです。
今の日本の閉塞感は『一つの命』の重さがわからなくなっているからです。一本の花にでも命が存在している事を『誰も、仏教寺院のお坊さんでも』教える気がなくなっているからだと思います。その原因は『お坊さんが安泰と言う理由からかもしれません?』