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幸せや幸福について
幸せ、幸福についてお伺いしたいと思います。 私たちは幸せを数値化したいと思い、その方法を検討しています。 今は、ブータンのGNH調査アンケートを解析し、 日本向けに変換したり、Twitterの発言からあるキーワードが幸せかどうか 判定したりする機能の作成と公開を行っています。 下記URLで公開しています。 http://www.junglehuman.net/ そこでお尋ねしたいのですが、形があるもので幸せを数値で知りたいことは どのようなものがありますでしょうか? なんでも思いつくもので結構です。 よろしくお願いします。
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物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)。 死による“幸・不幸ゼロ”から、精神的な充足量のプラスを目指して生きていたはずが、いつの間にかマイナスから逃げるだけの死人に等しい生に陥ってしまった。 ちなみに、ブータンに物乞いはいません。 世界で唯一、仏教を国教とするブータンは、西欧の援助やボランティアはキリスト教の影響力を強めるというので、多くが排除されました(国連は別)。 そこで我々青年海外協力隊が激増したのです。 確かにブータン政府予算の半分前後が援助ですが、基本的にブータンの一般人は自給自足であり、そうした援助は、国内に1本縦貫しているだけの国道のメンテナンスや公共建築の建設に使われ、道路から山道を何日もかかる所に住んでいる大多数のブータン人には縁のない事です(数十年前まで鎖国していたのですから、また鎖国しても大きな変化はありません)。 首都からバスで3日かかる田舎に住んでいた僕は、日々の野菜や玉子を買うのに苦労しました。 9割が農民であるブータンには、八百屋がないのです。 田んぼで「これを売ってくれ」と指さすと、『この人は食い物に困っているんだ』と思われ、家に呼ばれてご馳走されるハメになるのです。 給料日前になるとインスタントラーメンばかりになる今の暮しとは大違いです。 (下は僕の住んでいた町)
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- hekiyu
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”ブータンのGNH調査アンケートを解析し” ↑ ブータンという国は、外国の支援がなければ やっていけない国ですよ。 そんな国で幸せがどうのこうのというのは 滑稽でしかありません。 来日した若い国王夫婦には好感を持てましたが、イヤな 言い方をすれば、物乞いに来ただけです。 ”形があるもので幸せを数値で知りたいことは どのようなものがありますでしょうか?” ↑ 1,最低限のお金というか財産は必要でしょう。 極貧でかつ幸福だ、という人を見たことが ありません。 2,あとは健康でしょうか。 健康のバロメーターとして、医者の数とか 病院の数とかですかね。 3,寿命もあるでしょう。 平均寿命が二十歳未満で幸せ、というのは 想像が困難です。 この二十歳未満というのは架空の数字ではありません。 産業革命時の英国労働者の寿命です。 4,米国の調査によりますと、幸福感が得られるのは、愛する 人と居られる時だといいます。 この点から考えて、家族の有無は外せないファクターに なると思います。
お礼
ご回答有難うございます。 "形があるもので幸せを数値で知りたいこと"として頂いたことは確かに必要なことと思います。 お教えして頂いたことを踏まえて、地域医療や国毎に従事している仕事内容や状態を 表現するとより分かりやすくなると感じました。そのような指標を検討してみたいと思います。 4の家族の有無についてですが、おそらく個々の日常の中で、一番多く接する人との関係が 幸せの感じ方に大きな影響をしていると思っています。 色々な構成や内容があり、平均的なパターンを捕らえることは難しいと思いますが、 内容がそれてしまわない様に検討していきたいと思います。 ありがとうございます。
- guttii108
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形のあるもので、ですか… 絶対の善悪が存在しないように、絶対(あるいは共通)の幸福という指標もないような気がします。 URLのサイトを拝見し、私も試させて頂きました。 その上で率直に申し上げると実は、あまり質問の内容が日本人向けではないと感じました。 広い視点で考えれば、とてもワールドワイドな幸福感の相対性を見れるとは思います。世界各国と比べて日本という国は幸福であるかを問われれば、多くの方は(比較的)幸福であると感じると答えるとも思います。 しかし、相対的に幸福であるかどうかは立場や環境の話であって、自身が幸福であると感じているかどうかは、また別問題なのではないでしょうか? 客観的に見た時にあらゆる面で幸福そうな人でも、幸福を感じているかどうかは本人以外解らないものです。真に幸福な人は己の幸福を自覚できないとも言いますし… そういう意味では「主観的な幸福感を定量化」できたら素晴らしいとは思うのですが、そもそも何をもって主観的な幸福感の指標にするのかっていう話になりますよね。難しいですね… あまり良い回答にならなかった気がします。申し訳ない。 長文駄文、失礼しました。
お礼
ご回答有難うございます。 「主観的な幸福感を定量化」ですが、確かにそこが難しいところだと思っています。 感じたこととしては、アンケートのTOP画面にてTwitterやFacebookの幸せのつぶやきを表示していますが、つぶやきの中には見ているだけで幸せになるような内容もありました。 幸せに感じたことやポジティブな内容を話すことでも、相手にも自分にも幸せが増えていくような感じがしています。 主観を幸せな事に向ける、日常で感じることができるような内容やシステムをもう少し検討してみたいと思います。 ありがとうございます。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
試してみたのですが、何か特定の家族観や伝統に対する価値観念を感じで不快に思いました。 ブータンを参考にしたということですが、まともな国とは思えませんのでゼロから再考することをオススメします。
お礼
ご回答有難うございます。 アンケート内容につきまして、様々な角度から分析するようになっていました。 しかし、不快に思われたのはサービス(設問)としてよろしくないと思いますので、対策を考えることにします。 ご指摘ありがとうございます。 アンケートの内容は世界の国々でGNHを求める標準になっている内容の元ではありますが、 別の切り口で考えてみることは確かに必要だと思います。 ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私には難しい話であったため、理解が間違えているところもありそうですが、 参考にして進めていきたいと思います。 日本は比較的法律上は自由に行動することについて守られており、何をしてもよい。 という考えはあるように思えます。 技術や情報はインターネットの普及により、より早くより良く発展してきている中、 問題は自身の考えをどの方向にとらえ、どう行動に移すかだとは思います。 そのためには、おそらく精神的充足感を得るためには刹那的な快楽(麻薬)から 一線自分を離れておく必要があるとおもいます。猛進的に忙しく活動している中では その時間をとることはできません。 また、精神的充足感を得るための行動は日々の積み重ねによるものや教育、他の人に 対する思いによるものです。すぐにどうすればよいかというものは見つからないと思います。 ただ、日々の積み重ねの中に意図的かまたは自然に精神的充足感を得るための行動を 促すことで変わってくるものと思います。 今は最低限のお金は必要なものであると思います。 今の日本で目に見えて問題解決できるものがお金という道具だからです。 幸せを求めることが大切ですが、しかし、その形が目に見えないがために いつまでもお金に重点が置かれていると思います。 そのためには“馬車馬の目の前のニンジン”が幸せであっても構わないと思います。 技術や情報を上げましたが、それは道具ですので、精神的充足感を得るために 使用することができれば良いと思います。 一時期からずっと話題に上がっている「エコ」は最も分かりやすい事例かと思います。 エコのように優先度順をお金から精神的充足感に変えるだけで大きな違いがあると思います。 数値が間違えていても、気付いて直すことができれば良いと思います。 どんなに下心があろうと、行動することを向けることができれば変わるものと思っています。 また、ブータンについて、非常に勉強になりました。 実際に現地で活動されていたようですので実体験もあり、参考になります。 日本の昔の姿ともいえるかもしれません。 アメリカからの統治により今の社会ができる前の日本の姿がYoutubeに取り上げられていたりも しますが、なかなかに調和が取れているような気がしています。 ありがとうございます。