※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:フロイトの《喪の仕事》 とは?)
フロイトの《喪の仕事》とは?
このQ&Aのポイント
フロイトの《喪の仕事》についての考察とは、愛する者の死とその喪失が引き起こす衝撃や症状を分析し、喪失の背景にあるリビドーの再転換の営みについて説明するものです。
喪の仕事では、深刻な苦痛や不機嫌さ、外界への関心の喪失、愛する能力の喪失などの症状が現れますが、通常はリビドーを対象から解放する作業が行われます。
しかし、喪の仕事に抵抗を感じる理由として、愛する者に向けられた愛情や未練があり、自分を不実だと思うことが挙げられます。また、喪の仕事が長引く場合は、愛情の不釣り合いや相手からの応えがなかったことが影響している可能性があります。
何を言うのでしょうか?
ひょっとして その分析の過程には 勘違いがありはしないか? これを問います。
次のひとくだりの文章について その中から問います。
▲ (フロイト:『喪とメランコリー(うつ病)』について) ~~~~~
( a ) 愛する者の死が与える衝撃をいかにして《喪の仕事》によって解きほぐしていくかを考察するとともに だれもが直面するこの打撃が 病へと移行する機構を分析するもの。
・・・
( b ) この喪の仕事では 《深刻な苦痛に貫かれた不機嫌さ 外界への関心の喪失 愛する能力の喪失 あらゆる行動の抑止と自己感情の低下》などの症状がみられる。・・・
( c ) この喪の仕事の背景にあるのは 愛する者に向けられたリビドーの再転換の営みである。喪の仕事に従事している者は 現実を吟味することで 愛する者がもはや存在しないことを認識する。理性的に判断するかぎり 存在しないものにリビドーを向けつづけるのは非合理的なことである。だからリビドーを死者から解き放つべきだと理性は命令する。
( d ) しかし人間は リビドーを一度向けた対象から解き放つことには抵抗を感じるものである。それは 愛する者にたいするかつての自分の愛情を否定するように感じるからであり 自分を不実だと思うからである。
( e ) こうした抵抗が強くなると 愛する者がもはや存在しないことを認めようとせず 失われた対象にリビドーを固着させながら幻覚をみるようなこともあるのである。
( f ) しかし通常は リビドーを対象から解放することに成功する。《長い時間をかけて備給エネルギーを多量に消費しながら 一歩づつ》リビドーを開放する作業がつづけられる。・・・
(中山元 解説:フロイト『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』光文社 古典新訳文庫 2008)
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【Q‐1】 このような《喪の仕事》は 男にとっては それらしき状態に落ち入るかも知れないが 女にとっては まづ ないのではないか? いわゆるドライである。ゆえに 単純に言って ない。と思われますが いかがでしょう?
【Q‐2】 仮りに少しでもこの《過去の愛の清算》としての《喪の仕事》に落ち入るとするなら それは ( d )の一過程について 別の分析内容をもってではないか?
▲ ( d ) しかし人間は リビドーを一度向けた対象から解き放つことには抵抗を感じるものである。それは 愛する者にたいするかつての自分の愛情を否定するように感じるからであり 自分を不実だと思うからである。
☆ ではなくて そうではなく
【Q‐2a 】 仮りに人がリビドーを一度向けた相手から解き放つことに抵抗を感じるとしたら それは 端的に言って ふたりのあいだでその愛が不釣り合いだったと感じるから。
ではないか? 《自分の愛情を否定するように感じる》というよりは むしろ肯定しつづけるはずであり そのとき 何らかのかたちで互いの間の愛情が 残念ながら 不釣り合いであった。こう感じるのではないか?
【Q‐2b 】 たいていは自分がそそいだ愛情のほうに未練があって これがけっきょく相手からそれに響き合うような愛情の返って来ることがなかった。こう見ているゆえに 喪の仕事は 長引くとすれば長引くのではないか?
それとも ほんとうに《愛する者にたいするかつての自分の愛情を否定するように感じるからであり 自分を不実だと思うからである》のだろうか?
だから
【Q‐3】 《( f ) しかし通常は リビドーを対象から解放することに成功する》のはよいとして しかしながらそれは 《〈長い時間をかけて備給エネルギーを多量に消費しながら 一歩づつ〉リビドーを開放する作業がつづけられる》からではなく そうではなく 《人びとの愛情の関係においては ほんとうには〈リビドー〉は問題にならない》からである。のではないか?
愛情にかかわるコミュニケーションにおいて 互いにいづれかが――ということは 通常は相手が―― こちらのそそぐ愛情に呼応する応えが返って来なかった。と思っている。このこと一点に 問題があるのではないか?
対応する愛情表現を受け取れなかった。ゆえに 《〈長い時間をかけて備給エネルギーを多量に消費しながら 一歩づつ〉自分のリビドーを開放する作業がつづけられる》というその作業が仮りに実際に伴なったとしてもである。
【Q‐4】 愛情をめぐる自己表現に ふたりのあいだで不釣り合いがあって それが長くつづいた。このことを見ないなら 喪の仕事というような《うつ》の世界に落ち入るのかも知れない。ということではないか?
お礼
ご回答をありがとうございます。 今回は細かいところなどにはこだわらないこととします。 ご自身のお考えに沿って そのように思っておられるのでしょう。 そうですね。わたしがそれでも ひと言反応してみたいということでしたら こうお応えします。 ちょうどブッダが《犀の角のように独り歩め》と言うかのように どうも《ひとり ないし 個人》という前提が大きくのしかかっている。このように感じました。 何でもひとりでやる。といった傾向でしょうか。 わたしは 関係ないしマジワリを重く見る立ち場に立ちます。 ということで お互いにさらに自分の立ち場や考えを練って練られて行ければよいと思います。・・・