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※至急※室町時代の食事についてです!※至急※
室町時代で食べられていたのは 蒸して食べる強飯(こわいい) 炊いて食べる姫飯(ひめいい) ですが、大体いつ頃から姫飯が食べられていたのでしょうか?
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用語として姫飯とか、強飯とか言い分けたのがいつかはわかりませんが、調理法としてはかなり昔から両方があったのでしょう。金属器の鍋や釜がなくても、土器で十分に両方が可能です。 http://www.komenet.jp/database/culture/culture04/culture04-2.html http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/2008/02/post_bff6.html 弥生中期後期の深鍋の徹底した観察による黒斑や煤・焦げの付き方の分析や実験から、土器の焼き方、おかずを煮たのか、ご飯を炊いたのか、またどうやってご飯をおいしく炊いたのかという研究から、次のようなことが今わかってきたそうです。 1. 縄文土器は開放型野焼きで、西日本の弥生土器は弥生時代のはじめから覆い型野焼きで造られていますが、南関東の弥生土器は、中期は開放型野焼き。 やがて後期のころは覆い型野焼きが採用されますが、壷は覆い焼き、鍋は開放型というのもあるそう。 2. 深鍋は、3~4リットルを境に小さ目はおかず用、大き目は炊飯用の作り分けがなされたらしい。 3. 弥生時代中期末より側面加熱痕をもつ深鍋が出現、現代東南アジアの民族調査事例から、炊飯の終わりに蒸らし調理した痕と考えられることから、おかゆやおこわではなく、今私たちや炊飯釜で炊くようなふっくらした御飯を炊いて食べていたらしいとのこと。 http://www.mogurin.or.jp/museum/workshop/work-sheet/pdf/kometaki.pdf http://shigamaibun.blogspot.jp/2011/11/blog-post_15.html http://www.pref.kagawa.jp/maibun/hukyudayori10-.html
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- あずき なな(@azuki-7)
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炊飯自体は 弥生時代に稲作が伝わったときからあったです そのために縄文土器を改良して弥生土器を作ったわけですから
お礼
回答ありがとうございます!! なるほど(*´∀`*)
- tanuki4u
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http://www.komenet.jp/database/culture/culture04/culture04-2.html これによれば平安時代には「炊飯」していたようです 「平安時代の公卿の日記によると、元旦は強飯、3日は姫はじめといって、普通の白い飯。しかも、この飯を山盛りにするのがしきたりで」以上 引用 http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1227078972143/files/H23TOKUBETSUTEN.pdf これによると 羽釜は奈良時代からあったようなので、奈良時代にも炊飯していたように思われます
お礼
回答ありがとうございます!! 助かりました☆
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ありがとうございます!! 詳しい回答助かりました☆