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古代中国における漢字体系の成立を担った公的機関
漢字の成り立ちは驚くほど論理的、構成的でとても一人の人が考えたというようなものではないと思いますが、一方私的に勝手に字が作れたら、大きな混乱を招くことになったと思います。政治体制と密接に関係していたと思いますが、漢字全般を取り仕切っていた官庁のようなものは各時代に存在していたのでしょうか。
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過去の貴質問:漢字出現当時における漢字制定の公的機関 http://okwave.jp/qa/q6886985.html に回答したものです。丁寧な返礼を頂き恐縮でした。 前回の課題は、’漢字の字体や文字集などの制定” についての ”政府など公的機関の関わり” でした。 今回のご質問は、’漢字創出の文字の構造や造字法,新字の採否” についての ”政府など公的機関の関わり” と解しました。 材料は前回回答の資料中にも眠っているのですが、 改めて要点を抽出しておきます。 --------------------------- 結論として言えるのは、 ・漢字の構造と造字の原理は後付けで解釈され定着したものです。 ・その造字原理は“六書(りくしょ)”と称し古くより現代に至るまで定着。 ・最初に誰が原理を定めたか不明です。 ・従って政府の関与も不明です。 ・然るべき学者の著した古典籍の一部に“六書”が登場する事実。 ただし、必ずしも政府の指示や支持とは直結しない。 ・“六書”を詳細に解説しその原理に沿って文字を整理した『説文解字』(紀元100年)の成果により、 “六書”が漢字を分類する基準となり後世に伝わる。 しかし、『説文解字』は政治的経緯で主流から外されていた古文学者の一派の許慎によるもので、 いわば民間の成果。 ・許慎の成果がその後の漢字研究に絶大な力を発揮したので、評価を得、 過不足や細部の瑕疵の指摘はあるものの、現代につながる。 とはいえ、歴史的な事実はあるので辿ってみます。 経緯 ・“六書”の典拠は『周礼』の地官保氏篇(周公旦作,戦国or以降成立?) とされるが、内容の解説なし。 ・“六書”の内容に触れた最初は班固(32年 - 92)による『漢書-芸文誌』とされる。 六書を「造字の本」と位置づける。 ・秦の時代に字体の統一(隷書)をしたが、全国統一管理の目的の域を出ない。 統一文字は漢代に至って今文(きんぶん.秦代の新字体)と称し、 儒教典の転写にも使用されていた。 ・古文派と今文派の対立。漢も時代が下ると前秦(秦以前の時代≒春秋戦国)の 儒教典が発見され流布しはじめる。古文(古代の文字.小篆が代表)が文字本来の意味を 内包するとの思いが台頭する。 ・一方で、文字の氾濫すさまじく、異体字、誤記、簡略化、誤用、etc.手が付けがたい状況。 ・古代文字に目をつけ研究し、意味を探り、正統と思われる文字を厳選し、 “六書”の原理に着目し、部首を定め、文字を分類し、『説文解字』を表したのが 古文派の許慎(58年? - 147年?)。小篆を核にして文字の正当性を判断しています。 ・以降の時代において、書字典や役所が登場しますが、前回の回答を再度ご参考に。 『説文解字』に記載のない文字が多く存在しますが、漢字を眺めていれば“六書”を意識するか否かに関わらず、その構成原理に気づきます。周公旦や班固以前にも以後にも実態としてはこの原理を弁えて、造字が行われていたと解釈しても無理はなさそうです。新字を造るための規則をお上が定めたというよりも、自然発生的に造られた文字を、どう評価してどれを字典に採用するかの問題です。時代により、時には政府のプロジェクトとして、時には学者の個人的著作の政府による追認の形で、社会的に定着してゆきます。 然るべき字典には、その文字を誰が造り誰が許可したかは出ていませんが、 どの原理に従った文字か の記述があります。 また、文字によっては初出文献が記述してあります。 ---------------------------- 注:六书,指汉字的六种构造条例,是后人根据汉字的形成所作的整理,而非造字法则: 象形、 指事、 形声、 会意、 转注、 假借, 其中象形、指事、会意、形声主要是“造字法”,转注、假借是“用字法”。 ⇒ 漢字の6種の構造上の規則(決まり事)を指す.後代の人が漢字をその形に従って整理したものであって造字の法則ではない.すなわち:象形・ 指事・ 形声・ 会意・ 转注・ 假借である.象形・ 指事・ 形声・ 会意 が主たる“造字法”,转注・ 假借は“用字法”である. 班固『漢書-芸文誌』では 「象形・象事・象意・象声・転注・仮借」 鄭玄『周礼注』では 「象形・会意・転注・処事・仮借・諧声」 許慎『説文解字』では 「象形・指事・形声・会意・転注・仮借」 現代中国の教師用教学教材では 「象形・指事・形声・会意・転注・仮借」 注:今文と古文の詳細は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%96%87%E5%AD%A6 余談: ・文字=文+字 文は部首。もじの原初から存在し単体で意味を有すもじ。字を構成する要素。 字は“六書”の原理により造られたもじ。 ・金石文字(金銅製品や石碑)は漢代以前から研究されており、“六書”の概念構成に寄与していると考えます。 最古の文字、甲骨文字が発見されたのは19世紀、“六書”の原理で解析されています。
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- fujic-1990
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字体に関心をお持ちなら「康熙字典」「佩文韻府」というのを見たか聞いたことがあると思います。 前者は清の名君、康煕帝のころ、「勅命」で編纂された字体の本「字書」です。5万弱の文字を搭載し、最も権威アル字書とされたそうです(後者は辞典に近いかな)。 参考にされたのは「字彙」「正字通」などですが、漢字の字体を取り仕切っていた役所があったのなら、字体の基準としてこの字書のようなものは自動的にできていたはずで、わざわざ勅命をもって編纂する必要はなかったものと思います。 ゆえに、お尋ねのような役所は無かったのだろうと思います。実際、聞いたことがありませんし(不勉強なダケ?)。 思うに、中国では王朝が変わると、記録を元に前代の歴史を書くという慣習があったようです。 司馬遷(の一族?)などもその役所に勤めていたと記憶していますが、それはともかく、そういう歴史書や、中央から各地に送る命令書のようなものが字形などの基本になっていたのではないか、などと推測しています。 そのせいでしょうが、中国では「漢字」の意味は同じらしいですが、読みは各地で違うそうです。 中国には仮名やピンインがなかったですからね。
お礼
ご教示ありがとうございました。私が興味を持ったのは字体そのものというより漢字の体系の成り立ちが、いつ、どこで可能になったのだろうということでした。ある時代から字の数があまり増えないで今日まで実用的に問題がなかったということは古代においてほとんど体系が完成されていたということだろうということです。
お礼
漢字は実に奥深いもので、現代でもその力を発揮していることは不思議とすら思えます。しかし簡体字を使っているところをみると、本家の中国は漢字を持て余しているのではないかと想像します。日本では漢字の特徴が最も良い形で生かされているようにも思います。貴重な、おそらく長年のご努力の結晶であろう資料やお考えをご教示いただき感謝とともに感激しています。勉強させていただきます。どうもありがとうございました。