• 締切済み

知識欲も過ぎると害か?

みなさんの考えを聞かせてください。 この世界では、食欲・性欲などの肉欲はあまりに旺盛だと非難されますが、知識欲に限って言えば寧ろ貪欲な方が望ましいと考えられてはいないでしょうか。 ですが過ぎたるは何とやらで、やはりこの純粋な精神的欲求も程ほどでないといけない気がします。 何故なら食べすぎたら太って健康を害するように、本を読みすぎたり、煎じつめて考えすぎれば、一部の哲学者や小説家の例を挙げるまでもなく、やはり精神に不調をきたすこともあると思われるからです。 もちろん先人の刻苦勉励のお蔭で我々は現代文明が生み出す果実を享受できているのは否定しません。 しかし一市民として生きるにあたってあまりに知識欲が旺盛過ぎるのは悲劇的ですらあります。 ただただ知りたい、しかし偉人たちの様に何を生み出す訳でも無い。雑多な知識と屁理屈だけが積み重ねられ、性はますます狷介となり人から疎まれる始末。 やはり適度に食べ、適度に働き、適度に学び、適度に遊ぶというのが理想ではないでしょうか? そこでみなさんに質問です。 旺盛すぎる知識欲は肉欲同様非難に値すると思われますか?

みんなの回答

回答No.5

ニーチェは 重い荷物を積んだ荷馬車を ひっぱるかわいそうなロバ(馬だったかな)が かわいそうで その場で泣きくずれてロバを抱き なぜかそれがきっかけとなって 精神異常になったまま亡くなりましたね ほどほどがいいんでしょうが しかしこれは「欲」ですからねえ わかっていても 「欲」となると これは誰もとめられません

noname#194996
noname#194996
回答No.4

これは量の問題ではなく、やはりバランスの問題ではないでしょうか。 食べ過ぎを例にとっておられますが、人間の記憶システムは食物摂取という生物学的、肉体的なシステムとは全く異次元の性格を持っています。したがって2者を単純に比較することはできません。 まず、個体の記憶量はほぼ無限に近く、過多にこれを摂取することで害になるというものではありません。 精神の不調はそれ以外に原因を求めるべきだと思います。つまり、量的なものを問題にするならば、摂取する知識の質の偏りが関係するでしょうが、上記するとおり、人間の記憶システムは、得られた知識そのものによって構築、あるいは改変されていく性格をシステム自体が持っており、正常にこのシステムが働けば、結果的にそのシステム自体が個体にとって良好な方向へ行くようになっているものだからです(進化論的には)。 つまり、自然の健全な記憶システム(好奇心などによる知識欲ですね)は全体がバランスよく働き、様々な知識を死ぬまで営々と摂取していくはずです。 >一市民として生きるにあたってあまりに知識欲が旺盛過ぎるのは悲劇的ですらあります。 したがってこれはあたらないと考えます。 >ただただ知りたい、しかし偉人たちの様に何を生み出す訳でも無い。雑多な知識と屁理屈だけが積み重ねられ、性はますます狷介となり人から疎まれ 個体がそういうもともと欠点のあるシステムを持っていたか、システムに後天的にウィルスが侵入(オウム真理教のような宗教などもその一つでしょう)したというような、特異なれいではないでしょうか。

noname#166169
noname#166169
回答No.3

聴いてもないことを言ってくる人はいやですよ、自己啓示欲が強い人は。でも知識のある人は会話がつながるから面白いですね、何にも考えないで聴いたり話したりできて楽ですよ。知識のつけ方によりますよ、つき合いが悪くカリカリ勉強していれば別の意味で、つき合いの悪いやつだ、なんて非難されたりはするかも知れませんが。知りたくて本を読んだりは自由ですし楽しいですよね、私もまったく趣味でドイツ語とかやってますよ、もちろん何のためにではなく。知識は王道ではないのでネットで付け焼き刃的に話す人とかの方が欲が深く知恵が浅いのか、、。ですから知識欲は害にならないと思いますよ。悪い意味ではなく質問者の方はものごとをむずかしく考えるきらいがあるのですかね?肩の力を抜いて、なんてよけいなお世話ですが。全然非難されることではないですよ

noname#194289
noname#194289
回答No.2

最近ある機会に耳にしたはなしに共通しているように思えて大変興味を感じました。昔餓鬼というのは栄養失調によって骨と皮ばかりのガリガリに痩せている鬼として描かれていました。しかし現在の餓鬼は肥満体として描かれるべきではないかということでした。要するに飽食の時代ではいくら食べても満腹感が得られずに、常に食べ続けている結果、肥満体になるだろうということでした。食物を知識に置き換えれば貴方の疑問そのものになると思います。貴方が書かれているように知識を吸収しても何も生み出さないというのは摂取した栄養素が健全な肉体を構成したりエネルギーを生むことなく体内にたまっているというイメージに重なります。知的糖尿病という言葉が浮かんできました。現代病ですね。頭の過食と頭の運動不足による頭の糖尿病という感じです。極めつけは糖尿病の最終的段階では体はまるで飢餓状態と同じように痩せてきて昔の餓鬼のような姿になるということです。つまりかどの情報収集は極端な情報不足と同じ結果になるということなのかと思いました。

  • skip-man
  • ベストアンサー率22% (344/1529)
回答No.1

残念なパターンはありますが,非難するには及ばない。 集めた知識を披露する事で,自己顕示欲を満足させている厄介者は非難して当然です。 只,自分が知って納得するだけで,他人には介入しない人を非難する理由がありません。 ほどほどばかりだと,科学・技術の進歩は無くなると思っています。

関連するQ&A