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知識欲

哲学とは無縁な自分ですので、無知を露呈することになる 質問かもしれませんが、ぜひご回答お願いします。 人は、生来的に自分の知らない知識を獲得しようとする欲求があるのか? これについて哲学の分野では、どのように考えられているのでしょうか。 よろしくお願いします。

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回答No.5

生来知らないものを知ることはもともとできないのか、イデアがあるのか。 いずれにしても想起です。 知らない場合は思い出すのではないかと思います。 イデアとはたとえば誰でも「善」と言えば善を思い、善で「悪」を表象することはできません。 知ろうとして考え進めるとその形式に辿り着きます。 なぜ知ろうとする人、しない人とわかれるのでしょうか。 わかりませんが、想起を求めるのでしょうか。 私はなぜだかそうなりました。学歴とは関係ないです。 私は子どもの頃よりも、大人になるにつれて増えました。20を過ぎてからです(遅過ぎ?!鈍いのか?!)。 人は自分の求めないものは求めない。求めないものを求めるということはできません。 ということは自分に合った、相応しい、必要なものしか求めることはできないということでしょうか。後で振り返り、何であんなものを、と思ってもその時はそれが欲しかった。必要だった。その時々で中身も変わります。 知識もまたそれを必要とした時に獲得しようと求めるのでしょうか。 なぜ必要とするのか。知識とは正に魂が求めるもっともたるものかもしれません。 その内容はいわゆる実生活にはほぼ無用です。実生活とは主に生存することの謂ですから、当然役には立ちません。 それ以前の部分、存在を存在たらしめる部分についての知識欲だからです。 それを魂がなぜだか求める。 知識欲がただ生活面でのことに限られるのか、生活以前に限られるのかが哲学への別れ目です。 いずれにしろ「人」は、でなく、「ある人」は、ではないかと思います。 もしくはある時に。 もしくは今生で無理なら来世?!

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.4

    哲学について、それほど詳しい訳ではありませんので、自信なしとします。この場合の哲学を、一応、西洋哲学と考えさせて戴きます。インド哲学や中国哲学になってくると、どう考えていたのかまったくわたしには、分からないに等しいからです。     古代の哲学にとっては、「知識」とは、多くの人にとって、「必要な道具」であり、その人が生きる上に必要な知識があれば、それで十分という考えでした。農民であるなら、農業を営む知識・実践知識があれば、それでよい訳で、商人となると、その扱う商品により、詳細な知識や最新の知識が必要になることもありますが、これも、商売上の実践知識です。政治家や軍人は、政治家となると、統治の知識や実践知識、古代なら、弁論術や修辞学も必要になったでしょう。軍人は下級軍人だと農民が戦い方を覚えた程度で、高級軍人以外は、別に戦略の知識も、文字の知識も必要ありません。古代には、知識奴隷ともいうべきものがあり、奴隷に色々覚えさせ、主人が辞書とか百科事典代わりに使っていたというのもあります。また、知識を売り物にしている職業の人は、やはり必要な商品の知識を仕入れて覚えたでしょう。総じて、職業に「必要な知識」は、生活に必要なのでこれは修得したのです。しかし、それ以上は、となると、古代哲学は否定的です。選ばれた「愛知者」は、真の知識を愛し求めるが、一般の人には、このような「情熱はない」というのです。実際、その通りで、一般の人は、生活に必要な知識しか必要としません。     「知識欲」というのは、特権的なものなのです。社会階級が特権的というより、古代においては、或る人、おそらく神に選ばれた人が、新しい知識を求め、知識を愛し、知識欲を持っていたのです。人類の歴史は、このように、ごく少数の新しい知識を求め、開く人と、それに従う多数の人という構図でした。     中世世界はどうかというと、古代と似ています。中世では、聖職者が知識の保管者・保持者・独占者ともなります。貴族も知識を持っていましたが、それは地位に相応しい知識で、多くの貴族は文字も書けないほど無知だったという記録もあります。聖職者も、新しい知識をむしろ禁じている風潮がありました。しかし、やはり、神が選んだのか、農民、職人、聖職者、貴族出身と色々ですが、新しい知識を求め探求する少数の人がおり、これらの人は知識欲を持っていました。また、商人は、大きな交易をする商人になれば、国王や一国の政治を操る人物と同じぐらいの知識を持ち、知識欲を持っていました。知識欲がないと大商人として競争に勝てなかったからです。     総じて、人間は、「必要なことしか学習しない」存在である、これが中世までの、そして近世においても、哲学の人間観でした。選ばれた人は、真理への情熱を持ち、哲学者あるいは学匠となる、ということです。     カントが啓蒙や世界平和についての意見を述べた頃、西欧社会は大きく変化して行こうとしていました。平等や平和や、豊かさや、よりよい世界は、「教育」によって、多くの人々の視野が広くなり、ものごとを合理的に考えることができるようになれば、実現する、当時の「合理主義者・啓蒙主義者」は、このような見通しを持ちました。普通教育の理念も彼らが立てました。     現代、めまぐるしく新しい知識が出現し、次々にそれらを学習し、消化し、自分のものにして行かないと、普通のサラリーマンも商人も農民もやっていられない時代となりました。では、古代から考えられていた人間の本質についての哲学の考えは、ここで変わったのかと言えば、そうも言えません。     ある人々は、知識への愛を持ち、知識欲があるようです。しかし、多くの人々は、実用目的で、色々な知識を覚えるようです。「知識欲」というのは、人間すべてに「本来的」に備わっているのではないと思えます。正確には、人間は、子どもの頃から、或る段階までは、猛烈な知識欲を持っています。しかし、それは他の高等動物もそうで、幼獣は、非常に大きな知識欲や好奇心を持ち、色々なことを学習し、そしてすぐに成獣になり、知識欲・好奇心は大部分消えます。     人間の場合、不完全に生まれてくるので、それを補うのが「知識欲」だとも言えます。子どもは、言語を必死に覚えます。ただ、その努力は苦痛に満ちたものではありません。楽しい過程であるのです。猛烈な知識欲と、記憶がなによりも活発なのです。     しかし、ある年齢になれば、多くの人は、生活の必要に応じて、新しい知識を学ぶので、そうでなく、「知識欲・好奇心」で、新しい知識を求めるというのは、やはり少数なのです。     「知識欲」は、生物として人間が子ども乃至青年の時、つまり、大人への準備をしている時には、自然的にあるもので、その後も、知識欲があるのは、特定の人だけであるとなります。大学の先生でも似たようなことが言えます。職業であるので、色々な知識を学ぶのです。     しかし、古代や中世、近世に較べれば、知識を求める人の底辺は大きくなったといえるでしょう。     哲学では、「知識欲」は人間の本性としてあるが、それを維持し、一生持ち続けるのは、何かの恵みだというのが答えになるでしょう。     人間は「智慧ある人(ホモ・サピエンス)」ではなく、本当は「無知なる人」なのです。そのことに気づく人が、智慧に向かう人で、「智慧ある人」でしょう。こういう人は、必ずどの時代にもいたので、人間の知識の進歩は、前進して来たのです。     またロボットではないので、大人になると、新しい知識を求めなくなると言っても、ある意味程度の問題です。段々年齢があがるにつれ、好奇心が薄れて行くというのが人間一般で、まったく好奇心がなくなるのではありません。それは、人間が社会的言語的存在であることと密接な関連があるでしょう。     そういう意味からは、人は、知識を求める、好奇心の生き物だというのは、正しいのです。     おそらく、脳の容量や、記憶が年齢と共に複雑化して行くということが、人が年齢を取ると、好奇心を失って行く理由であり、阻害原因でしょう。現代的には、人間は、本来的には、知識を求め、好奇心をどこまでも持ち続ける、「尋ね求める人」だという姿が妥当だろうということになるのだと思います。最後は私見ですが、好奇心を失わせるマイナス要因が、年をとるにつれ、増えて行くのです。  

noname#1753
noname#1753
回答No.3

哲学はすぐに答えが得られませんし、得たとしても物質的な見返りがありません。 それでも人生の意味を知ろうとする人がいるのは、何よりも知識欲が生来的である事の証明になっているのではないでしょうか。

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.2

●在ると思いますよ。  知識欲は 性欲に似ていますね。  因にふれて おこるところが似てますよね。  知識欲の守備範囲は性欲よりも広いので 何にふれて欲がでるかは  ひとそれぞれですよね。 ●知識欲が生れたことが人間がここまで生き残り発達した  ひとつの要因だと思います。

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.1

 好奇心のことでしょうか?  まわりの影響(感応)もあると存じます。それで、向上心も湧いて努力する方もみえるでしょう。  肝心なのは、各人には過去世からの種々の宿業があり、花も時が来なければ咲かないように、開花する時期は人によって異なるのです。  生まれて、間もなく死す方もいますし、植物状態、智慧遅れ、白雉、狂人等の考えることが、劣る方もおられます。  すべからく「功徳」によるとされています。  如何でしょうか?

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