”公人においては、感情的な判断や態度は禁物とされているようです”
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人間の言動の殆どは感情に起因します。
竹島を盗られると損をする、という感情が原因
があるから、盗られないように色々とやる訳です。
しかし、素の感情では間違い易いです。
それで、竹島を取り戻す、というのは感情ですが、
その方法は感情ではいけません。
冷静に、合理的に考えなければなりません。
以上から、公人が許される感情の範囲とは。
(1)動機は感情に基づいてもよいでしょう。
ただ、その動機も、公憤でなければなりません。
私憤ではいけません。
竹島を取り戻せば、キックバックで己の懐が
潤う、愛人を囲える、という動機ではマズイです。
日本の国益になるから嬉しい、という感情なら
OKです。
結果として、国益になるんだから、賄賂が動機でも
良いだろう、という人も出て来るでしょう。
しかし、それだと、長い目で見て、もっと大きな
モノを失うことになりかねません。
又、私憤と公憤が混合しても、その割合にもよりますが
しょうが無いでしょう。
人間は、聖人じゃないんですから。
取り戻せて、国益になったし、俺の権力も増加した
というのも許せます。
権力の増加は第二次的だし、これを政治家から奪うのは
致命的だからです。
(2)竹島を取り戻す方法について、パホーマンスとして感情的な
態度をとる、ということは合理的であり、許される
と思います。
お礼
ありがとうございます。 パフォーマンスでしょうね。 公人の場合はそうとしか言えない感じがします。 感情表現の計算を常にしていると思います。 言葉に感情的要素をどれほど持たせるか・・・ その有効性の計算を常にしている。 その底には、感情という精神への怖れがあるような気がします。 大衆に対しては、ある程度感情的な表現で訴えかけた方がよい・・・ そんなふうに見える場合が多いと思います。