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幕府の奥金蔵について
幕府の奥金蔵について教えて下さい。明暦の大火で焼けた後の、新設された蔵で、 1661年 384万7194両 1722年 13万6618両 1770年 171万7529両 と推移しているようですが、1800年代以降幕末までこの奥金蔵量は、どのように推移していったのでしょうか。
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『横浜商大論集 31(1/2)/横浜商科大学/1998-03-01』(31-94頁) http://ci.nii.ac.jp/naid/110005999961 「江戸幕府貯蓄金銀と蓮池御金蔵/飯島千秋」 <5~7/64> 表1 奥御金蔵保有金銀高の推移 年/保有金銀高(両余)/典拠 … 宝暦 3年(1753) 1,263,270 [財]6-411.1-457 明和 7年(1770) 1,717,529 [財]1-454,458 [徳] 安永 4年(1775) 1,717,529 [財]1-457~458 天明 6年(1786) 1,217,529 [財]1-458 天明 7年(1787) 467,529 [財]1-458 天明 8年(1788) 417,529 [財]1-454,458 寛政 3年(1791) 377,529 [徳][金蔵] 寛政 5年(1793) 377,529 [貨] 文化 3年(1806) 377,529 [徳] 文政 2年(1819) 400,529 [徳] 文政 3年(1820) 627,529 [徳] 文政 4年(1821) 1,000,000 [徳] 文政 6年(1823) 1,072,000 [徳] 文政12年(1829) 1,076,000 [徳] 天保 7年(1836) 1,088,000 [徳] 天保 8年(1837) 488,000 [徳][財]6-511,512 天保13年(1842) 488,000 [貨][吹] 弘化 4年(1847) 618,500 [徳] 嘉永元年(1848) 1,105,000 [徳] 嘉永 5年(1852) 605,000 [徳] 嘉永 6年(1853) 608,000 [徳][元] 安政 2年(1855) 608,000 [徳] 文久元年(1861) 608,000 [徳] 慶応 3年(1867) ? [勝]6-289 慶応 4年(1868) ? [徳2] (注)典拠にある… [財]は、『日本財政経済史料』の巻数と頁。 [徳]は、「徳川宗家文書」(飯島千秋「文久元年の幕府財政史料」 (徳川林政史研究所『研究紀要』昭和五十九年度))。 [金蔵]は、『御金蔵御用留』(東京大学付属図書館所蔵)。 [貨]は「貨幣秘録」(『日本経済大典』第四十五巻所収)。 [吹]は、勝海舟『吹塵録』(『海舟全集』第三巻)。 [元]は、「元治元子年金銀納払御勘定書」 (飯島千秋「元治期の幕府財政」(『横浜商大論集』22-1))。 [勝]は、『内閣文庫所蔵史籍叢刊・御勝手帳』の巻数と頁。 [徳2]は、飯島千秋「静岡藩の成立と財政」 (徳川林政史研究所『研究紀要』昭和五十五年度)。 詳細は上記URL&典拠元などにて御確認下さい。 以上 疑問解決の糸口に繋がれば幸いです^^
お礼
ご回答ありがとうございました。飯島さんの著書にあたってみます。金蔵も大阪も含めてかなりあるようですね。大変勉強になりました。ありがとうございます。