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「愛」と、好き(愛する?)の違い。
「愛」と、好き(愛する?)の違い。 宜しくお願いいたします
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- miko-desi
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横レス失礼します。 No.17のお礼の中で必要って何? と疑問があったので、以前私の質問が参考になればと思いまして。 頂いた回答の中で、愛についてもNo.9flashprim様の回答は素晴らしいです。 愛し合う者同士は似通ってくる。 どちらが自分らしいのか、らしいって何か?何が真理かとか区別つけにくくなる模様です。 「相手の痛みは我痛み」であって共に涙し、痛みを分かち合えたり 「自分の喜びは相手の喜びである」というようになって笑ったら喜びは増幅するものだったり。 ただ私は視点が他の多くの人と異なって、たり、 独りよがりに自己完結してしまう体質?ということも考慮されたし。 必要(大切)なものはひとつだけ? http://okwave.jp/qa/q1649982.html?pg=1
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
kurinal様。 そうですか、こちらも色々気付けてくようです。 いい質問も、文字の節約をするのも理性の仕事ですよね。 ありがとうございます。 >「群れ」の動機には、「好き」以外にも、いろいろあると思います。 好き(群れたい)の判断規準で「一目惚れ」だと第一義の規準でなりますね。 それ以外に群れる動機に「徐々に惹かれて」「懐いた」「美徳」「見栄で」「お得だから」 とか…。 判断の規準が経験によってや属性の内容が分かってきたから。
お礼
miko-desi様、こんばんは。 >「理性の仕事ですよね」 悟性のことかもしれません。 >「「好きの判断基準で・・・」「それ以外に、」」 「群れる動機」群を、ありがとうございます。 あー、別に貴女が判ってきたからかどうか、は、関係の無いことです。
- B-juggler
- ベストアンサー率30% (488/1596)
わけの分からぬ奴がお邪魔します。 代数学屋です^^; (ねっ?わけ分からないでしょう?) 一応、防人僧の子孫(ご先祖が坊さん)ですので、そっちの線から。 こういう言葉って、解釈の仕方でどうとでもなると思うのですが・・・。 1つの解釈として。 好き って言う感情は、単純に「恋」と同じようなものだろうかと思います。 そこで、さだまさしさん、「恋愛症候群」という歌があります。 歌詞をピックアップするのはアンフェアなので、お手数ですが、YOU TUBE であると思いますので、ご覧下さい。 恋は消えていくもの。ただ消え方が二つあって、心が涸れていくことと、 愛というものに形を変えること。 こんな感じです。 #これだけではないので、ぜひお聞きください m(_ _)m 漢字で行くと 「恋」は 下心 (これは立派な部首です)に モマタ 冠。 下心が変わって、久しくなると、 「変」になります。 #つまりは 心変わり? よく言う「愛」は真ん中に心がある。 うん、確かに。 でもよく見ると、それだけではないです。 舜 冠(部首)、これは瞬きほどの時間、一瞬、極短い時間を差します。 そして、心のしたには、久しい 長い時間、永遠に、ずっと。 そういう時間にかんする 部首に挟まれた心。変わりようがない心。 それを「愛」と呼んでいるんだと。 #漢文の先生が知り合いにいましてね^^; えっと、久しい と 愛の下は違う、変の下は違う! ハイ、違います。ですが、部首となったとき、こうなることが多いというだけです。 お邪魔しました。(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
お礼
B-Juggler様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「代数学屋」 私の場合、「高校の時、そういう科目があったかな」という程度で済みません。 が、ご紹介頂いた「恋愛症候群」の(歌詞の)展開の様子には、代数的な?ところがあるのかなと思いました。 >「歌詞をピックアップするのはアンフェア」 いつも、どうも済みません。 >「恋は消えていくもの。ただ消え方が二つあって、心が涸れていくことと、 愛というものに形を変えること。 こんな感じです」 宗教(や思想)によっては、「施しを受ける側のほうが、施す側よりも偉い」という考え方も、ないわけではないようです。 >「(「瞬間の心」が久しい、永遠に、ずっと)」 仮に、これが成立するには、 「想う側の想い(「瞬間の心」)が「決め付け」ではないこと」と「想われた側が「真」であること」 とが、同時に、必要ではないかと思います。 (そこまで相手の真実を見極めた上で、心底イイなあと思える、というケースは、確かにあると思いますけれど、「こんなはずじゃなかった」とか、「「こんなはずじゃなかった」なんて言われても、」とか?) ただ、歌の趣旨としては、そんな理屈などよりは、「相手をただ必要とするより、相手に必要とされるようにもなろうよ」というようなことかと思いました。 ・・・じゃあ「必要」って何、というと、またちょっと難しい
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
「好き」は自分に欠けている理想を相手に見出して 同一化したいと求める群れの欲求ですね。 「愛」は育むもの、そして失ってわかるもの。 もし、自分の子供に不具合があって自己同化に対する反抗心が起こったとします。 けれど、社会的にも、慈悲からでも自分の子供だからとて好き勝手にしていいものではない。 自信のなさはそれを補うほどに我執が強いということでもあります。 我儘を飲み込んで育んでみると、発見があったり、限界を突破していたり 喜びの質も、悲しみの深さも変わってきてたりするんですね。 愛は運動です。 主語(私たちでも君でも、過去でも未来でも)超えさせる。 「動いているものは動いていない」 ある瞬間にあるべきところを占めているものだから。 そして運動の位置は、知覚できる。 運動(愛)を把握しうる全体として捉えていれるからです。
お礼
miko-desi様、ご回答ありがとうございます。 >「愛とは「主語を超えさせる」運動です。」 >「(そして、それは)把握しうる全体として捉えていれるから、位置を知覚できる。」 なかなか、私では100年経っても思い浮かばないような表現を、ありがとうございます。 「視野が広い」とか、「知識が深い」とか、「都合の悪いことも拒絶しない」とか、私が連想する表現は、それくらいでしょうか。 それに較べると「好き」とは、移ろい易いものなのかな、と思いました。 >「同一化したいと求める群れの欲求」 「群れ」の動機には、「好き」以外にも、いろいろあると思います。
- Y Y(@yy8yy8az)
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途中まではいい線行っていたんですね。 でもどこからか脱線してしまったようで、 だから、探しました。その場所を。 もしかすると、異性関係の範囲を超えない方が良かったのかも。 それですと求め心と与え心が混沌としている故に起こる疑問かと思います。 質問で「愛」と言っているので“博愛”的世界も視野に入れてみて、其れなら理性の判断によって我が「愛」を働かすことが出来る、というのが私の考えでした。そしてこの気持ち、“与え心”が純粋になるほど見返りは求めなくなるものだ、とも。 脱線のポイント当たってますか?
お礼
yy8yyaz様、ご回答ありがとうございます。 非常にいい線、行かれていたと思うんです。 特に、「与え心」と「求め心」についてのご解説などは、もっともと思いました。 ポイントとしては、たぶん、僭越ですが、「理性的」ということと「合理的」ということは、違うのではないか、ということが、あるような気が致します。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
kurinalさんがここで使っている「愛」は、好き(愛する?)に対して使っている事から、“博愛”的な事かと思いました。 少し目線を下げれば、“愛情”と“好き”の違い、ということに付いてなのでしょう。 それですと 愛情は与え心、好きと云う気持ちは求め心、と云えるかと思います。 愛するという表現はどちらにも使われてますが、その心情をよく見れば他者を思う気持ちと、自身が求めている気持ちの違いに気づきます。 好き、という“好み”は求め心を満たしてくれる対象への感情。たとえば誰もが持っている、美しいものを見たいという欲求を“花”は持っているので、大抵の人は花が“好き”なように。 「愛」はその“好き”な対象物に反応して起こる“与え心”ではありますが、人の持つ“愛情”は“好み”を超えて現れる能力が有るようで、それは肉親の愛から家族愛、郷土愛、愛国心と発展し、自然を愛し、その究極が“博愛”と云うのだと思います。 個人のレベルでは“情的”でも“博愛”ともなれば“理的”な要素が加わってきますね。
お礼
yy8yy8azさん、こんばんは、おはようございます。 >「kurinalさんがここで使っている「愛」は、好き(愛する?)に対して使っている事から、“博愛”的な事かと思いました。 少し目線を下げれば、“愛情”と“好き”の違い、ということに付いてなのでしょう。」 はい。 >「 それですと 愛情は与え心、好きと云う気持ちは求め心、と云えるかと思います。」 なるほど。 >「 愛するという表現はどちらにも使われてますが、その心情をよく見れば他者を思う気持ちと、自身が求めている気持ちの違いに気づきます。 好き、という“好み”は求め心を満たしてくれる対象への感情。たとえば誰もが持っている、美しいものを見たいという欲求を“花”は持っているので、大抵の人は花が“好き”なように。 「愛」はその“好き”な対象物に反応して起こる“与え心”ではありますが、人の持つ“愛情”は“好み”を超えて現れる能力が有るようで、それは肉親の愛から家族愛、郷土愛、愛国心と発展し、自然を愛し、その究極が“博愛”と云うのだと思います。」 「究極が、”博愛”」 >「 個人のレベルでは“情的”でも“博愛”ともなれば“理的”な要素が加わってきますね。」 うーん、途中、ちょっと脱線してしまったようからか、 しかし「理的」=「道徳的」と考えると、もっと違う方向なのか、というかですね。
- kannzou001
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>「愛」と、好き(愛する?)の違い。 「愛」とは他人に要求する意思も含まれます。 自分が愛していると、その他人にも自分に対して見返りをお求めます。 エロス(見返りを求める愛)に該当します。 見返りを求めない愛をアガペーと言いますが、日本語の「愛」ではエロスの意味が強いように思います。 好きは、「恋」に近い言葉だと思います。 最近知ったのですが「恋」と言う意味に該当する言葉は英語圏には存在しないようです。「love」などで代用できますが、意味としては「愛」の方が適切です。 「恋」とは相手には要求しない自発的なものです。勝手に恋しているだけでそれで満足しています。相手には何もしませんし何も要求しません。 相手に気に入られるように親切な対応はするかもしれないが、それによって相手が何もこちらにアプローチをしてこなくても不満はおきません。相手と接している。「恋」しているだけで満足なのです。それが「好き」と言う事です。 それがエスカレートしてくると、自分が相手にしてやる事に対して、相手がアプローチを返してこないと良い意味で気になる様になります。それが「愛」です。 「愛」=「love」「アガペー」「エロス」 「恋」=英語圏には存在しない表現
お礼
kannzou001様、おはようございます。 ♪「愛しちゃったのよ、(ヤヤヤ、ヤン)」・・・ 当初、問題がそこまで、とは思っておりませんでした。 でも、 >「相手と接している。「恋」しているだけで満足なのです。それが「好き」と言う事です。」」 ふむ、なるほど。 ♪「愛しい人たちは、何処へ、向かうの??」
愛には二種類あります。 (1)は絶対の愛です。つまりイエスキリストの言う『汝の敵を愛せよ』の愛です。この愛は天界に近い性質の人が多く持っている愛です。 イエスキリストは『汝の如く隣人を愛せよ』と言っています。 (2)の愛は『恋愛(性欲)・欲愛・執着』という愛です。仏教での愛はこの愛のことを言い、欲望の一つであるため、この愛が苦しみの原因となっています。不幸の原因は『貪瞋癡』だと言います。
お礼
MooonStar様、ご回答ありがとうございます。 (1)「何時の敵を愛せよ」「汝の如く隣人を愛せよ」 (2)「愛が、欲望の一つであるため、苦しみの原因となっています」 「この愛が苦しみの原因となっています」 ・・・欲望の一つであるため?
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
好きと言う時は、仲良くなりたい、手を握ってみたい、キスしてみたい。 愛と言う時は、SEXしたい。
お礼
ukiyotonbo様、ご回答ありがとうございます。 「好き!、だから、しようよ?」てのが、最近の相場であるようです。
- greeeen_t
- ベストアンサー率35% (54/151)
好きは、単に自分個人の好みに沿った人間であるということ。 愛は、自分の好き嫌いの好みに関わらず、半ば訳も無く惹かれてしまうこと。 また利益の有無に関係無く惹かれるのも愛なのかなと思います。 家族愛とか… また、もっとざっくり言ってしまえば、受け入れられるか否かかなとも思います。 自分のあまり望まない(好まない)部分について、「好き」の場合理解は出来ても(落とし所は見つけられても)、尊重しありのままを受け入れることは難しいと思うので。
お礼
greeeen_t様、ご回答ありがとうございます。 Ano.5を参照ください。
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お礼
miko-desi様、こんばんは。 >「参考になればと思いまして」 サッパリ、訳が判りませんでした。