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「愛」と、好き(愛する?)の違い。
「愛」と、好き(愛する?)の違い。 宜しくお願いいたします
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好き、とは愛の芽生えではないでしょうか。 それはまだ、一方通行に過ぎない愛の始まりです。 愛、とは好きになれない部分も愛してこそ、愛です。 相手が自分の好きでいられるようにいて欲しい、という思いが全て叶えられる事はありません。 思うがままにならない気持ちを乗り越えて、相手を慈しむ心が愛です。 時には裏切られ 時には涙しても これでいいのだと思えるのが愛です。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
「愛」と、好き(愛する?)の違い。 ○一般的には同じものですね。違いはありません。欲しい欲しいと思う気持ちが愛欲ですが、愛や好きは、ほとんどこの分類に入りますね。 一方、宗教家が説く愛は、一般の人たちのイメージする愛とは大きく異なっていますね。だから同じ愛といっても一般的分類の愛とは似ても似つかないのですね。 愛という表現ではなく、奉仕というような表現がより近いですね。無償の奉仕を宗教家は愛と呼んでいますね。だから、愛は風の如く吹き抜けていくものになるのですね。 また、経営者や教育者の愛も違っていますね。教育・指導という言葉を使っていますが、社員を幸福にしたい、生徒を良くしたいというのも愛ですね。でも愛とは言わず、教育や指導という表現になっていますね。 このように愛といってもいろいろな表現があるのですね。 ということで、一般的な愛とか好きは同じ、愛欲ということになるのです。
お礼
mmky様、ご回答ありがとうございます。 >「(対象を)幸福にしたい、良くしたい、というのも愛です」 ふむ。 対象を、 1 無条件に認める 2 一方的に「好き」 の二通りかと思っていましたが、 3 「教育や指導」というのも、あるのですね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
くりなるさん お邪魔します。 互いの話し合いつまり合意にもとづかない《利他》はあり得ないでしょう。 また利他という内容が仮りにあったとしても それは 自己の生きるためにおこなうことでありましょう。 それを簡単に言ってしまえば ひとは利己のためにこそ もしそうとすれば利他なる行為をおこないます。 あるいは 利己の行為こそが 社会的な関係構造においてまわり回ってほかの人びとを利することもなあります。 言いかえると 好きだからでもよく嫌いだからでもよく いづれにしても自己の欲するところを生きることが 社会という観点に立って大きく基本的に《愛》です。 その程度でよいという意味です。 定義の《ただしさ》は 単なる妥当性であって一向にかまいません。それが 人間の社会行為です。 それ以上のただしさを求めることは ひとを生物か動物と同じ状態と見ることでしかなく もしくはただの機械として規定しようとすることでしかないでしょう。 それは よくもわるくもアマテラス科学語の虚構であり しばしば虚栄として繁栄することすらあります。でもその時代は すでに終わっていましょう。
お礼
bragelonneさん、ありがとうございます。 >好きだからでもよく嫌いだからでもよく いづれにしても自己の欲するところを生きることが 社会という観点に立って大きく基本的に《愛》です。 ・・・石原都知事が言ったように「父性が足りない」というような状況においては、どうでしょうか? もっとも、母性も十分なのか?とも思ってしまうのですが。 >その程度でよいという意味です。 それはつまりたぶん、自身を「裁かれる側」とするものであって、「裁く側」とするものではないのであろう、と思います。 >「それ以上のただしさを求めること」 「上意下達」という環境において、というのと、(以下ry
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
数学や論理学、物理学などのきちんと定義された概念ではない 日常的な単語の相互の違いは、それぞれの個々人によって 異なります。 どんなに多数が納得しても、それは正しさの証明にはなりません。 ここに私が過去、愛について書いた文をのせます。 愛(あい);自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(→システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。 しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し、自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。 そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 >真の愛は、完全なる科学(原理認識)である。 先日、NHKの番組で、心臓外科医のプロを見ました。 >愛(あい);自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 医学、・・・最近では医学のみならず「インフォームド・コンセント」ということが、言われているようです。どんな専門性であっても、本人の主意をないがしろにして成立するものではない、ということでしょうか。 >「常識による常識の為の虚構は、中毒性毒物(非最大充足)」 難しいですね。やって(最大充足?)裁判所で裁かれるか、どうせ裁判所で裁かれる、というのが判っていて、どうするか(それならやっぱり止めとく(非最大充足?))、というのは。 でも、民主主義においては、「最大充足」と「非最大充足」との差は、より縮められるものと、思います。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは くりなるさん。 愛は 関係です。その自覚です。 そして実際の事態としては ヱクトルのごとく何らかのチカラとしてその間合い(つまり相手との関係)において現われ そこに正負の方向が生じます。 したがって実際のコトとしては 好きであったり嫌いであったりであり つまり正の愛と負の愛とです。つまり愛情も憎悪も 愛です。 ただし 《自覚(つまりブッダという状態)》という主題をも人間は持ちましたし いまも持っています。これによって 《友だち・仲間 あるいはつまり愛 ないし 慈悲》といった志向性が 人間という存在については――建て前としてでも―― 立てられます。 そのときには――建て前としてでも・つまり偽善としてでも・もしくはただの義理でしかないとしても――ヱクトルが たとえ負という反対方向を向いていても 活きているなら 愛はハタラキを消しておらず その場合つまり嫌いな場合でも 愛します。 関係をたもつということです。つねにいつでも話し合いに応じるという意味です。(犠牲になったりすることではありません)。 (嫌いという感性がはたらいているなら 愛はまだ消えていません。むろん好きでも嫌いでもないふつうの関係状態もありますが それは向きがあいまいなだけであって チカラは温存されています。つまりそのときにも愛は 活きています)。
お礼
bragelonneさん、こんばんは。 >愛は、関係です。その自覚です。 宇宙は、広いですね。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>「愛」と、好き(愛する?)の違い。 ↓ ~私見~ ◇好き →好意・ 好感を持ち、好みや好く事ですが、イメージ的には精神的&主体は自分自身の心や気持ち ◇愛 →好きを含めて、幅広い可愛がり・慈しみ・恋の心持ですが、自分と対象との双方向並びに精神的プラス肉体的な広範な領域の言葉。 また、好きは片思いやプラトニックラブも範疇にはいるが、愛は両想い(バランスや相手が同時複数の場合もある)心身の好意を印象に持ちますように多種多様なパターンや対象が含まれている感じがします。
お礼
lions-123様、ご回答ありがとうございます。 「好き」とは、個体(主体)それぞれに固有なもの、 であるのに対し、 「愛」とは、「「対象」に「自分と同等」ということを認めること」というように、読解致しました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
冷静→好き 狂気→愛
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 ・・・この後、「利己」「利他」といったムズいご回答が並んでいるようでございます。
- atti1228
- ベストアンサー率15% (111/711)
このサイトで、愛は相手本位。恋は自分本位なんてのがあったな。 愛は、いつくしみ(慈しみ)。ようは許すこと。難しいけど聞く? 恋は、憧れかな。
お礼
atti1228様、ご回答ありがとうございます。 >愛は、いつくしみ(相手本位) >恋は、憧れ(自分本位) 「恋」と「愛」とが同時に成立することも不可能ではない、と思いました。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
愛は、美しく、力強く、胸躍り、儚く、せつなく、息苦しく、咽るように語り尽くせない、 私は、いつも好きで在りたい。
お礼
Tefu_Tefu様、ご回答ありがとうございます。 >美しく、力強く、胸躍り、儚く、せつなく、息苦しく、咽る(むせる)ように語り尽くせない 何か、こう、とても素晴らしい、というようなもの、であるようですね。
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お礼
♪これで、いいのだ・・・ これで、いいのだ・・・ ボンボンバカボン、バカボンボン 天才一家だ、バカボンボン!