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【在る】と言う事が解かれば人間にもどれる
統合失調症の様な症状で精神科に通い始めましたが、次第に離人感がひどくなりました。 人間やすべての命、此の世が在ると言う事実が曖昧になりあたまが発狂するのです。そもそも命が【在る】とは何なのですか。私の存在もあるのか解かりません。 朝、目が覚めた時、家族が普通に生活する音が聞えるのですが、私は独り発狂するのです。外に出れなくなりました。 私はどうすれば人間にもどれますか。助けて貰えますか。一度、此の様な考えに捕われた人間はもとにはもどれないのですか。約30年間、当たり前にイキて来れたのに。
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- Mokuzo100nenn
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病気の治療は哲学ではなく、医療の分野です、OKWaveは医療の質疑応答は扱いません。
・・・独り言を書きます。 殺されたくない 壊されたくない 死にたくない だから、 犯されたくない 冒されたくない 侵されたくない だから、 苦しいの嫌 痛いの嫌 暴力が嫌 だから、 怖い 逃げたい 安全が欲しい 強くなりたい 強くなりたい 勝てる力が欲しい 負けない力が欲しい 絶対が欲しい 究極が欲しい 神になりたい 悪魔に滅ぼされない 神になりたい でも 何も出来ない 何の力も無い 本当に なんにも出来ない 信じられないくらい、何にも出来ない でも不安はいつでも どこからでも 私の前にやってきて、怖がらせるだけ怖がらせて ご飯の間だけ 少し静かにしている テレビを見ている時だけ 少し静かにしている でも黙ることはない。 こんなに不安なんだから、生きてるんだろう、多分、と思う。 人の顔を見るのが苦痛。 目が合うのは嫌だ。 夢だとか未来だとか、自分に無関係な言葉が嫌い。 太陽が嫌い 雨が嫌い 朝も昼も夜もみんな嫌い 眠るのは怖いくせに起きているのも疲れる。 生きているから 怖くて 寂しくて 情けなくて 惨めで 哀しいから 死にたくなる。 死ぬ以外にないと思える。 ------------------------------------------------ こんなことを口走る人は、狂っているのでしょうか。 そもそも、狂うってどういうことでしたっけ。 狂えないから、苦しいのかも知れません。 狂えたら、どれだけ楽か。 きっと、こんなことをいつも考えて悶々としている人は、到底 信じられないほどの人数いるのでしょう。 死の恐怖を潜り抜けて自殺してしまう人が、この国だけで この十年間で30万人以上もいるのですから、死ねずに 悶々としている人達は、多分その何十倍もいるでしょう。 こんなに沢山いるのに、どうして一人一人はこんなに孤独 なのでしょうね。 生きる意味だとか、命が在る・無しとかを考えるのは、 狂っているからでも無ければ、真理に目覚めたわけでも ないでしょう。 欲しいものが何一つ手に入らずにいて、限度を超えると 強い疑心暗鬼に駆られるのですが、特定の疑う対象さえ 持っていない人々は、自分に対して疑心暗鬼になって しまう。 元々人間も生き物なので、おかしいなあと 感じることに対しては疑うように出来ていますから。 進化で得た脳の力の一つが、何も出てこない穴を 覗く、という、「疑う」能力ですから。 水が出ない蛇口の穴を覗いているうちに、これが 蛇口である、という確信が揺らいでしまうのです。 蛇口に見えるけど、蛇口のフリをしているだけで ただのパイプなのではないか、と。 蛇口は所詮、水道管の端末でしかないのに、 蛇口が水を出すものだと思い込んで生きていると 水道管を辿って水源に至ろうとするような思考は 一切出来なくなりますよね。 人間は、思考して言葉を紡ぎ、話していると 思い込んでいますが、むしろ逆です。 いつもの言葉、いつもの言い回し、いつもの理屈・・・ それが脳の中に居座って、いつものように自分を 操っている・・・私は、そういう側面を否定できません。 美味しいものを食べる。 とろけるようなセックスをする。 嫌な奴をやっつける。 欲しいものを手に入れる。 敵を倒して自分の力を確かめる。 したいことだけしかしない。 そういう、欲望に忠実に生きている人は、言葉を変えれば 言語で思考していない、とも言えるかも知れません。 気持ちよくなりたい。 ひたすら、気持ちいいものを求める。 気持ちいいのは自分にとって大事なこと。 自分は他人じゃない。 だから他人を痛めつけて自分が歓びを感じるなら、 それはすべきこと。 と、真顔で確信することが出来る。 そういう人・・・あからさまに悪人ですが、彼らも又、 狂っているようにも思うのです。 一人で内側に丸まっていく狂気と、周りを破壊しながら 大きくなりたいと牙をむく狂気。 どちらも正反対のようでいて、自分しか知覚できないと いう点では、同じ狂気の裏表とも思います。 時折、無差別に大量殺人を犯すものが現れますが、 彼らは皆一様に、正気で狂気の行動を起こします。 本当の発狂は、不可逆的な精神崩壊ですから、 思考も記憶も混濁し、最早何を言っているのか 自分でも判らなくなってしまうでしょう。 「自分は狂っている」と一言、理路整然とした 言葉を口ずさむのは狂っているからではなくて、 正気と狂気の稜線、二つの世界の境界の尾根を 転落の恐怖にゾクゾクしながら千鳥足で歩いて いくようなものかもしれない。 言葉を使って思考することを何とかして止めて、 とろけるような快楽で脳髄を満たさなければ 血が沸騰するような暴力を振るい、雄たけびを上げて 絶頂感で胸を満たさなければ 恐怖という飢餓感は脱ぎ得ないのならば、 多かれ少なかれ、皆、それを為しえない多くの人々は、 あなたと同様に自分の存在に確信さえもてないまま、 不安に蓋をして生きているともいえるでしょう。 本当に、つまらないことを書いてしまいました。 ゲップでもしてください。 疲れ果てることも大切なことだと、私は思うのです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ★ 私 ☆ とみづからを呼ぶ存在が 人間であり ご自身の《わたし》です。 《わたし》を数としては一として もし一からずれたときには 《わたし》の一を掛けて 自乗してください。 いつもそうして行ってください。一のかぎりない自乗をおこなって ひとはうんうんとみづからを推して生きて行きます。 むろんそうして つねに《わたし》は 一です。 ひとは 発狂したとしても 発狂したと認識しうる自然本性のチカラをそなえた存在です。そのあゆみは 一なるわたしです。 一の外に・あるいは中に いろんな《〈わたし〉のようなもの》を経験されたということだと思います。 《聖なる〈甘え〉》というのもいいとわたしは思っております。
『在る』ということが分かるのは『繋がり』です。 それには自分自身の修行が必要だと思います。 次のHPの修行をお試し下さい。 私もこの修行で救われた一人です。
誰にもわからないだろうと思います。しかし体あっての私と思えれば一応安心できないでしょうか。軽くジョギングしても息が荒くなります。それが自分の存在を示していないでしょうか。おなかが減ります。食事をすると空腹感が消えます。これも自分の存在を示しているとは思えないでしょうか。つまり体がある限り自分が存在していることを確認できると思います。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは >「朝、目が覚めた時、家族が普通に生活する音が聞える」 ・・・判る、というような気がします。
- spongetak
- ベストアンサー率70% (12/17)
こんにちは。 先ず、薬をとっているのであれば、段階的にでも、止めることが必要です。 それから落ち着ける環境を、ととのえることも効果的でしょう。 部屋を掃除、整理したり、難しいかもしれませんが、自然の多い静かな場所で生活するなど。 存在するという自覚については、「あるか、ないか」という二者択一で明確になるものではなく、 状態が良ければ、ますます存在するし、良くなければ、ますます存在しない感じになるでしょう。 程度の問題で、ひとそれぞれの感覚を持っています。 (仏教思想や宗教思想を持ち出して「存在する」の定義をあれこれ論じるのは、ここでは意味がないですから) 具体的に何が起こって、どんな感じがするのか、教えていただかないと、さらにつっこんだアドバイスはできませんが、上記参考にしてください。
- ys_captain
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在ると言う事に関しては、 目や耳はあまり役には立ちません。 補助的な物です。 一番感度が高いのは「触る」でしょうか。 命が在るというのは間違えではないですが、 正確には「在る」のみで表現します。 難しいですが、全てが「在る」ということです。 見えまいが聞こえまいが触れまいが「在る」 見えて聞こえて触れて「在る」 逆に無いものがあるなら、 それから考えても良いでしょうが、 結構面倒ですよ。 あとはお医者さんに投げてみてください。 私のような者ではいささかあなたの助けに なるかどうか分かりませんので。
- Tefu_Tefu
- ベストアンサー率27% (87/322)
こんばんは。 日が昇ったら、朝日にあたり、新鮮な空気を吸って、植物やお花を手に採って眺めてごらん、確かな生命の存在を感じることが出来るよ。特に、根の多さに驚くだろう。 植物は、一年で芽生え、茂り、実り収穫、種を付け、枯れる、これこそが生命のダイナミズム(活力)なのさ。スーパーに行き、野菜、果物を持ってごらん、全て、植物が生んだものだよ。 そして、昆虫、鳥、犬、猫、人間も同じさ、君が挨拶すれば答えてくれる。生命は絆で繋がっているよ。