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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人間は信用するに足りる存在か)

人間の信用性について

このQ&Aのポイント
  • 人間の信用性について悩む著者が、虐待の過去を持ちながらも人を信じたいという希望を持っていることを述べています。
  • しかし、最近観たグロ動画がトラウマとなり、人間に対する不信感が増しています。
  • その中で、かつて自身を救い出してくれた人からのメッセージや、自身の冷静な観察を通じて人間を信じることの意義について考えています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sheep67
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回答No.2

人を信用してもいいか? という質問ですねー。 個人的意見ですが。僕も似たようなことをかなり考えたので、意見の交換ということで。 質問文で言われるとおり、サイコパスがいて非道なやつらが「本当に」いるのなら、結論はもう出ています。 その前提が正しいなら、人は信用できない、で結論終わりじゃないでしょうか? つまり、質問者さんの考え方が間違ってる、といいたいわけですが。 そもそも信じたい、といいながら、絶対に人が信じられない結論が出る論理を述べる、というのは自己矛盾じゃないでしょうか? >理屈では理解しがたい それはその通りですが、それは知性が追いついてないからです。この世にわからないことがあるのは当然で、そのわからなくて不安な気持ちにレッテルを貼った、サイコパス、などという看板を鵜呑みにしていては、次は僕やあなたがサイコパスになる番です。 論理的にどこがおかしい、という問題ではなく、論理そのものがおかしいことがわかってもらえるでしょうか? 信頼と論理は、信頼と思考は別物であると思いませんか? 質問文における考えは、そのスタートとして、「信じられない」気持ちがその発端になっていると思います。 信じられない気持ちが作る思考は、どんなに考えをめぐらせても、「人は信じられない」という結論しか生みません。 人の思考能力を過大評価するとまずいと思います。 思考の原点は矛盾です。そして、思考を突き詰めると、必ず矛盾にぶつかり壊れます。 思考の論理は、ループを描きます。輪を描いて自分に帰ってきて、そしてもともとの自分の思いを正当化する理屈しか生みません。つまり今回の場合、人は信じられない、というあなたの信念を強化するだけだと思います。 あなた自身が、サイコパスを非道なやつら、といってしまっては、もうエンドです。 昔の魔女狩りみたいなもので、今度は僕やあなたが逆サイコパスになる可能性があります。 映画ではまことしやかに描写されていますが。 ーーー 信じることは、信じることで成り立ちます。 信じることは、何か証拠があるから可能に成るわけではなく、赤ちゃんが生まれてすぐおっぱいを飲んだり呼吸をするのと同じで、先天的なものです。 あなたがいろいろ考えるのは、「この世」に、信じられる証拠を探してのこととおもいますが、それはありません。 証拠もないのに信じる、それが人の生まれ持った能力です。 言い換えると、お知りあいの言われる 「繰り返し繰り返し私に言い聞かせた。「人間は信用に足る存在だよ」「大抵の人間は良い人なんだよ」「怖い人ばかりじゃないよ」 というくだりは、まったく大正解だと思います。 哲学のスレに投稿されたということは、考えて何とかしたいと思われているようですが、無理ですし、無理な証明も可能でしょう。思考と脳の機能の限界として、その問題は立ちはだかります。 それが可能なら宗教なんか存在価値ありませんし。 宗教はちょっと横に置いといて、信じることは信じることで成り立つ、というのは、それは自己暗示みたいなものです(ちょっと違いますが) あるいは信じることは信念です。 人は親が信じられる人だから信じるのではなく、もともと信じる能力を持ちます。 赤ちゃんや子供は、親という、どこの誰かもわからない他人を、親として信じる能力をもともと持って生まれています。 子供のほうが親を「信じてあげる」という言い方でもいいと思います。親が信じられるから信じたのではなく。世間の常識は、そのあたりの主客がひっくり返って間違っています。 それにしても、そのお知り合いの方の言われるのは本当に正しいですねー。 加えて僕の解釈では、サイコパスの人を人間じゃない。怪物だ といわれたということは、多分、予想ですが、言い換えると、そんな人はいない、と本音では思っておられそうだと思います。 もちろん根拠もなく、上に書いたように、信じることは信じることで成り立つので。 「信じることは信じることで成り立つ」それは、別の表現だと、「選択」だといえます。チョイスです。 論理でもなく、性善説と性悪説どちらが正しいか、ではなくそんな結論はそもそも出せません。 その2択の本質は、その本質が選択だ、ということです。 僕も一度徹底的に疑ってみましたが、それは、人は信じられない、という結論に導くだけです。 質問者さんが、どの程度の論理的な細かさを持ってるのかわからないのですが、自分で考えないときがすまないのなら、止めはしませんが、上のこともちょっと念頭においてみてください。 もっと細かく書くと長くなるので大幅にはしょったですが、疑問があればまたということで。

cojohan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いや、まったくsheep67さんのおっしゃるとおりですよ。論理的にもsheep67の主張には一貫性があり、何ら矛盾していません。哲学的な見地から見て、論理的に正しいです。 >その前提が正しいなら、人は信用できない、で結論終わりじゃないでしょうか? >つまり、質問者さんの考え方が間違ってる、といいたいわけですが。 >そもそも信じたい、といいながら、絶対に人が信じられない結論が出る論理を述べる、というのは自己矛盾じゃないでしょうか? まったくそのとおりだと思います。確かに結論ははじめから出ているし、自己矛盾そのものですね。 >それは知性が追いついてないからです。・・・次は僕やあなたがサイコパスになる番です。 そのとおりです、まさしく。 >論理的にどこがおかしい、という問題ではなく、論理そのものがおかしいことがわかってもらえるでしょうか? ええ、sheep67さんのご指摘により、理解しましたよ。確かに元々の論理構成に無理があったようですね。 ご指摘されないと気づけないこともあるんですね。勉強不足でした。 >信じられない気持ちが作る思考は、どんなに考えをめぐらせても、「人は信じられない」という結論しか生みません。 >信じることは、信じることで成り立ちます。 >証拠もないのに信じる、それが人の生まれ持った能力です。 まったく同感です。生物としての真理でしょうね。 知り合いに後に先日の発言について詳しく聞いてみたところ、以下でした。 「サイコパスが存在することは認める。しかし私は直接会っていないから、私には関係ない」 加害者に対し「人間じゃない、怪物だ」発言について→「(動物と人間を対比させた上で)彼らのやっていることは人間らしくない=動物。怪物=人間の皮をかぶっているが、やっていることは人間のやることじゃない=非人間」。 全くの余談ですが、私の哲学レベルはまだまだひよっこレベルです。認識論と弁証法やってる程度ですから。こんな内容で負の無限スパイラルにはまっていたのは、正直悔しいですけど。でもこれが今の小生のレベルなので、致し方ないです。もっと勉強しますよ^^ ヘーゲル大論理学。いつか読破したいですね。夢のまた夢レベルですが・・・。 とはいえ、sheep67さんのような頼もしいお方に出会えるのは嬉しいです。 いずれまたの機会にご縁があれば宜しく。 では!!

その他の回答 (4)

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

私もツタヤで変な映画を借りたことがある。 「映画だから作りもので、実際のものだったら出回るはずが無い」とわかっていたが、どうみても作り物だとは思えずリアルすぎた。 冷静に見れば実写ではないとわかる。 まず素人のカメラではないので、ぶれていない。 カメラを固定していたらぶれないが。 上空からなどいろんな角度から撮られており編集して映画にしたものだとわかる。 冷静さを欠いてみれば、一点からの映像では無いと気づかないかもしれないが。 どんな内容かというと税金を払わなかった農夫に対し公開処刑で、手足を縛り馬に八方からひかせて八つ裂きの刑にしたシーンとか、死体を焼却炉に入れて燃やしているシーンとか、動物に食われているシーンとか。 冷静に考えれば作り物だってわかるが、「うわーーーー」と思いつつ 最後まで見ちゃった。 どう撮影しているかと考えながら観ちゃうとつまらないですよぉ。 アクション!の合図で俳優が演技しだし、カメラが作りものの内臓によって行き、その周りではゴムチューブでシャコシャコ空気を送って内蔵が動いているようにしている人がいるんだ とか思いながらみちゃうので。 で、あなたが見た映画は作り物。 もし 実際のものであったら、映像は荒くいろいろな角度からは撮影されておらず、つなぎ目が粗いはず。 なにより犯罪として証拠ビデオは警察に押収されており、裏ルートで出回ったとしても、誰が流出させたか突き止められてしまう。 店に行って押収しちゃうはず。 警察がそうしないのは、作られた映像だとわかっているから。 で、私はネットで「こいつはサイコパスだ」と言われたことがある。 真剣に相手は私を分析したとして、論文調に私を分析したと書いていた。 その真面目な論文調の文章を読んで、私は大うけしたわけですが、、、。 私のターゲットは偽者じゃなくて本物。 しかし、なかなか本物には出くわさないもんで、本物が見たいという欲求を満足させるために映画とか観るんですが、アメドラでクリミナルマインドってのがあって今はまっている。 <脳が殺す>という本を読んだことがある。 この本は犯罪者を罰するべきか 治療すべきか という問いを読者につきつけている。 この本の作者は20年以上連続殺人鬼を調査している。 連続殺人鬼になる脳があるとしている。 そしてこの作者本人も自分自分は連続殺人鬼の脳を持っていると知っている。 しかし、作者は同じ脳を持ちながら、連続殺人鬼にならず、連続殺人鬼を研究する者になった。 連続殺人鬼と面会するときは、ものすごく怖く、および腰になるのに、どうしても調査をやめれないのは、連続殺人鬼と同じ脳を持っているから。 同じ脳を持ちながら、どうして片方は連続殺人鬼、片方はそれを調査する者と分かれたのか分析していた。 で、生活をしていてシリアルキラーや猟奇的な人に遭遇する確率よりも、交通事故やガンになって死ぬ確率の方がうーーんと高い。 逆にいたら、もう私「いたーー」とばかりに注目しちゃいます。 「この電波、ビリビリしびれるぅ、 仲間だぁ」といじりまくちゃいます。 ということで、その手の臭に敏感な人を身近で見つけて、その人がルン!として誰かにからみ出したら、それがサインです。 そのサインが出たら、あなたはその対象から逃げればいいんです。 遠巻きに連続殺人鬼の脳を持つ人同士の対決を野次馬としてみていてもいいですけどね。 で、あなたは虐待された過去を持ち、それがトラウマになっているんすよね。 どの程度の虐待なのか知りませんが、もし興味があれば、どうしてその人は他者を虐待せずにはおられなかったのかを調査すればいいんじゃないかと。 <脳が殺す>って本は、その人が悪いんじゃなくて 脳がその人のそうさせているって内容。 罰すれば解決する問題じゃあない。  原因をつきとめないといたちごっこ。 あなたの脳が連続殺人鬼の脳を持っていたら、相手が何故虐待をせざるを得なかったのかの原因を知りたいと思うでしょう。 そういう脳じゃないのなら、そのような目にあっても生存を果たしたという幸運を喜べばいいことだと思う。

cojohan
質問者

お礼

哲学カテとは無関係な回答をどうもありがとう。 あくまで哲学的な考察および論述を期待して書いたのですが、そこは残念でした。(ご回答いただいたことに対しては、素直に感謝します)。 さて、小生の提示した命題からは外れますが、以下お答えします。 初めに、私が観た動画はネット動画であり、映画ではありません。犯人らがビデオカメラで撮影し、ブレもありました。犯人自らネットに流したものです。違法性については法的知識が乏しく、詳しくないので不明です。偽物とおっしゃるので。私はあれは本物だと信じているが、真偽はご興味があれば自己責任で調べてください。○○○○○21がキーワードです。○には国名入ります。 私が知るシリアルキラーは、あなたのように自分自身のことを「仲間だぁ」なんて言いません。 なぜなら、シリアルキラーは自分が殺人鬼であるという自覚がなく、周りに言いふらしませんから。 あなたはシリアルキラーであるかないか、それは知らない。どちらでもいい。 しかしあなたには生きる権利があり、他人を生かす力もある。あなたが殺人や加害に興味があってもなくても、私にはどうでもいい。そんなのは知らん。あなたがいつか犯罪者となり、新聞紙面を飾ったとしても、私には見知らぬ他人だ。どうでもいい。生きる価値とは自ら決めるものではなく、生きること自体に価値を求めること自体無意味だ。ただし、他人の存在価値とはあなた自身が定めるものだ。当人ではない。価値を唯一決められるのは、他者だけであり、自己ではない。よってあなた自身の価値は他人が定めるものだ。 あなたが人を殺す力があるなら、それは等しく人を生かす力を持つのだ。あなたは無力ではなく、価値がある。それは私が認める。なぜなら、私は見ず知らずのあなたが生きることを望み、幸せになることを等しく望むからだ。あなたのことを知らなくても、望むことはできる。 あなたが認めようが認めまいが、あなたはそこに在る。あなたの心と体もそこに存在する。そしてその向こうには他者が在る。あなたと等しく感情とぬくもりを持った等しい人間として。あなたは尊厳と一つの人格を持った人間です。あなたは生きていて、私も生きている。それだけです。ただあなたは存在し、私も等しく存在する。異なる価値と異なる方向性を持ち、自ら生きている。もしあなたが誰かを本気で好きになることがあるなら、あなたは愛おしいとはどういう感情かを知るだろう。そして深い哀しみも同時に知るだろう。あなたにはそれを知るだけの力は在る。あなたは時間とともに存在し、自ら変化し続け、発展し続けている。あなたが変わらないなんてことは全くない。あなたも他人も社会も、常に相対的に変化し続け、質的変化をもたらし続けている。 哲学の森へようこそ!

回答No.4

「善悪」そのものが絶対的な基準ではなく、相対的である以上、 「性善」「性悪」などといった絶対化も不可能です。 また、そうした基準の側からだけでなく、人類の生物学的特性 である脳の発達は、生後の刺激に大きく依存しており、「善悪」 などという現象的な要因に対して、固定的ではあり得ません。

cojohan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まあ、善悪は私も相対的だと考えますので、倫理学の命題である「性善説」vs「性悪説」論争自体、永遠のテーマなのかなとも思います。確かに性善、性悪と対置している時点で、それはすでに絶対化ですものね。 確かに脳の発達は固定的ではないですよね。 >生後の刺激に大きく依存しており・・・ まったくそのとおりだと思います。

回答No.3

 歴史という歩む、歩んだのか?  文明文化?  それは知や感覚など人間機能の弄(もてあそ)びか、それとも弄ばれか。  人の文明と歴史は仰せのように、人間の愚劣さ劣等性の経験について多く提示してきました。  そして人間に対するやりきれなさ、幻滅を見せ付けてきました。  しかも人間はなお生まれ、死んでいき、歴史と文明文化とやらを継続しています。  それは欺瞞と虚偽であるのか。  チョイス、信ずる事の人間本性という思考をご提示されているご回答もあります。  されどなお、志向と願い、或いは多少悲壮に為りますが祈りを忘れることはできない。というお話にも似ています。  (むしろ信ずることは、自然的に具有している傾向や原理である、というお話のようですが)    私もインド哲学の端っこを40年ちょいと(独学)勉強し、精進してきていますが、『鼻から呼吸している人間に価値を求めたり、信用したりすることはできない』といわれています。  そういうこと、そしてなお人間の何たるかを徹底して認識して、人間の根源に自分を置くという正気を取り戻すことをしなさい、と教えられています。  そういう確固とした人間は信頼できるし、尊いが、そういう意識のない人間は信頼できないし愚劣であるのは当たり前だ、というのです。  以上、ご参考までに。  そして私の勉強しているその哲学のサイトをハイパーを削除して一応ご紹介します。  コピーして検索すればでます:Self-Realization Fellowship    つまり正気になることだということです。その哲理と実際のやり方を教えているのです。

cojohan
質問者

お礼

深遠なるご高説ありがとうございます。

回答No.1

100%信用できるとか信用できないとか答えの出せるものじゃない 倫理観というものは集団の中での個々のぶつかり合いの結果生まれるもの そしてその倫理観をベースに個々の判断が加わって個人個人の倫理観が形作られる 個々の倫理観のズレから軋轢が生まれまたぶつかり合い そこからまた変化した新たな倫理観が生まれる その繰り返しです その軋轢のしわ寄せを喰らったのがあなた もしかしたらあなたを虐待した人やあなたがサイコパスと呼ぶ人もそうだったのかもしれません しわ寄せのはけ口にあなたを虐待した人 はけ口を見つけられずに精神崩壊したサイコパス あなたには幸運にも寄ったしわを分散して取り除いてくれる人がいたんですね あなたが思っているほど人間と怪物に違いがあるわけじゃないとおもいますよ 普通に見える人も何かのきっかけでコロッとアッチに転げ落ちるかもしれない そんな天使も悪魔もいる世界に自分の経験をかんがみて自分で線を引くんです あなたにはその経験がまだ少ないのでしょう だから動画なんていうほんの一例で左右されちゃう たくさんの人に出会って経験を積んでください そして信用するに値しない人間がいる現実を受け入れつつ信頼できる人を増やしていきましょう それが幸せに生きるという事だと思います

cojohan
質問者

お礼

サイコパスは精神崩壊している人たちではありません。 精神異常でもないです。 彼らは単に、性格が極度に偏っており、サディストで相手の立場に立って物事を考える能力がなく、感受性もないだけです。相手に苦痛を与えることに快楽を感じる趣味を持っています。つまり、精神病者ではありません。 >普通に見える人も何かのきっかけでコロッとアッチに転げ落ちるかもしれない 何かのきっかけさえあれば、普通に見える人でも、拉致・監禁、顔面ベッコベコ・グチャグチャ、乳児ベコベコにして脳みそグチャを腹いせでもなく、無邪気に笑いながらできるようになれますか。それを撮影したりも。 私の知る虐待者はそういう類のことをやった人ですが。 回答ありがとうございました。