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森鴎外 最後の一句について
「いち」の「お上の事には間違いはございますまいから」という言葉は、なぜ佐佐や役人たちにとって「只氷のように冷やかに、刃のように鋭い」最後の一句と感じられたのでしょうか?
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- kine-ore
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文中の「いちの最後の詞の最後の一句」とは、「お上の事には間違はございますまいから」という詞の「間違はございますまい」という句であり、煎じては「間違」という語句になるでしょう。 訊問取締側の問う「間違」とは、その人物の性向上での心底の虚偽(つくりかざり)の如何を指しているのだが、あに反するやいち女の口を突いた「間違」は、司法執行上での過誤・誤謬(失敗やしくじり)の生じないようとの意味であったものでした。 「元文頃の徳川家の役人」たる高所に立った者達ならではの、情状主義的な温情掛けの意識故の虚偽の排除と誠の曝け出し期待に対しての、いち女からの挑戦からは、良くも悪くもこれより数年後に裁判を規定した江戸幕府の基本法典である「公事方御定書」が制定される、その前夜においての旧来からの司法の有り様を垣間見る思いがします。 女子供相手ゆえに虚偽か誠かという想定意識を見事に裏切った、いち女の意識態度に付いて作者は「マルチリウム」といい「獻身と云ふ譯語」に及んでいるが、果たしてその真意は如何なものでしょう。 父の助命嘆願の条件としての献身は、文字通りわが身を献ずる(たてまつる/さしだす)ことなのだが、いち女の場合はそれはあくまでも当時の司法への「方便・駆け引き」であり挑戦でもあったものであり、そういう意味での「マルチリウム」とは、所詮「殉利」なのだと思われます。 「【殉利】ジュンリ 利益のために命がけで努力すること。小人はすなはち身をもつて利に殉じ、士はすなはち身をもつて名に殉ず{荘子・駢拇}」(「学研漢和大字典」) このような、小人女子への誠意期待と温情報復意識に対して、いち女の方は根底から発想の異なる駆け引きでの「只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い」、新風潮とも呼ぶべき「殉利」を以てした経緯にこの短編の特記性があるのでしょう。 では、作者としての鴎外のスタンスとは、もちろん「元文頃の徳川家の役人」的情実主義ではなく、しかもいち女の「殉利」行為でもなく、さりながらその対比ともなる「士」たる者としての「殉名」でさえないように思えます。 「目に涙が一ぱい溜まつて來た」妹とくや、「「お前はどうぢや、死ぬるのか」と問はれて、活溌にかぶりを振つた」その「六歳になる末子の初五郎」への「書院の人々は覺えず、それを見て微笑んだ。」という記述にこそ鴎外の真意が忍んでいるのだと受け止めたいと思います。
- ennalyt
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これから回答される方の為に原文を。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/687_15356.html 鴎外の文章ってこういう展開多いよね。