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森鴎外「最後の一句」の心意気
森鴎外に「最後の一句」という短編があります。 高校の国語の教材で読んで感動し、夏休みのクラスの合宿の アトラクションで寸劇までしました。 若いときにそれだけ心を動かされた作品ですが、今の時代に 置き換えてみて、このようなことが本当にあるのでしょうか。 桂屋にかぶさって来た厄難というのは、今でもありそうな不 祥事です。しかし願書というものを書いてお奉行様に出すと 言う「いち」の勇気、それを受け入れて、「生先(おいさき)の 恐ろしいものでござりますな」と言った佐佐の包容力は、現 代の人にも受け継がれているのでしょうか。
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- bakansky
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回答No.1
こういう形の問いかけは、「質問」の範疇に入るのかどうか疑問があります。 「あなたはどう思いますか」と問いかけているのと同じですね。 私も「最後の一句」は中学生の時に読みました。 お上の権威を疑うような言葉。お上のなさることだから、間違いはないだろうけどという、ほとんど不尊な言葉ですね。 権威とされているものへの疑問の眼差し。 これはたとえば、「民主主義」とか「平和」とか、あるいは「天皇」と称されるものへの疑惑の念であってもいいわけです。 これは人類の永遠のテーマかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 ジャンルを文学と間違えたようですね。 史実とは別に結論にどのような意見を 持つかが大切です。