• ベストアンサー

秀吉の奥州仕置

秀吉の奥州仕置で所領を没収された大崎義隆、黒川晴氏、和賀忠親らの所領はどれくらいの石高だったのでしょうか?Wikipediaは見たのですが載っていなかったので知っている方お教えください。 それと所領を安堵された最上義光の所領の石高はどれくらいだったのでしょうか? お教えください。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

没収された大崎領に木村吉清父子が変わりに入ったんですよね。 いきなり木村父子が30万石の大封になったんでそこを伊達政宗に付け込まれたと記憶してます。 黒川。和賀両氏はわかりません。郷土の研究家ならわかりますよね。 最上義光はこの時は24万石です。その後関が原の合戦で庄内地方を加増され52万石です。 資料によって差異がありますから他の回答者の回答と合わせて判断願いますね。

noname#154784
質問者

お礼

この時24万石とはあまりなかったんですね。 最上100万石というからもっとあるかと思ってました。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

少々、局所的な諸豪族の情報(大崎・和賀・黒川最上)などは精査した情報がない・・・ と思ったのだが、1580年後半程度まで大雑把な時代であれば、回答できそうである 最上家は、下の回答者が指摘するように24万石であるが、民心の安定度からすれば、実質的にはもっと高い石高であっただろう。 最上黒川家・和賀・江刺・粕山(正しいかな?)などの諸家の所領については、週明けまでには回答できるように知己のヲタクと連絡するので、回答を待って欲しい たぶん、明日には帰省先からネット世界に戻ってくるだろうから・・・ 以下、回答になってないかもしれないが・・・

noname#154784
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

関連するQ&A