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吉田茂が憲法を改正しなかったのはなぜか
吉田茂は、現憲法成立過程で、常備軍10万の要求など、GHQ憲法草案を変えようと数々努力しました。そのほとんどが却下されましたが・・・ 憲法施行後2年間は日本政府は自由に憲法を改正することが出来るという期間がGHQにより認められておりましたが、このときの首相であった吉田は改正のための委員会を設けはしましたが、結局改正案すら出さずにこの期間を終わらせています。 あれほど苦闘した吉田が憲法を改正しようとしなかったのはなぜなのでしょうか?
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誤解があるようなので。。。 憲法のGHQ草案が日本政府に提示されたのは1946年2月13日で、これをもとに日本政府が作った憲法草案が発表されたのが3月6日です。この一ヶ月間にGHQ案を日本的なものに変えようとGHQと交渉を行ったのは憲法問題調査委員会で、このとき吉田は幣原内閣の外相にすぎません。従って「GHQ憲法草案を変えようと数々努力」したのは松本丞治憲法問題調査委員会委員長であるといえます。 吉田が首相としてGHQと交渉するのは憲法公布後で、刑法についてGHQとやり取りがあったことは良く知られています。皇室に対する罪(不敬罪、大逆罪)を残してほしいとする吉田に対し、GHQは法の下の平等に反すると却下しています。 前置きはこれくらいにして、吉田が憲法を改正しようとしなかった理由について。。。。 仰るように、憲法施行後2年間は憲法を自由に改正してよいとされていました。ただし、国民投票によって改正案が信任されるのであれば、です。 当時の日本は「憲法よりもメシ」で、貧しさと飢えから国民の間には社会主義的な考えが広がりを見せ始めるような時代でした。 従って、仮に吉田内閣が、かつて幣原内閣がGHQに提出した明治憲法とさほど変わらない松本甲案のような改正案を国民投票にかけたとしても、信任される可能性は低かったと思われます。また、日本政府の改正案が国民投票で不信任ということになれば、それこそGHQの思う壺で、「GHQ草案による憲法のほうが優れていた」ということを国内外に知らしめる結果となってしまいます。 吉田としては憲法を改正したいのはヤマヤマだったのでしょうが、今は時期が悪いので見送ろう、という判断だったのではないでしょうか。 それから約50年が経過しましたが、機は熟しているのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 勉強不足のようでした。