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仏教は宇宙についてどー説いているのであろーか

  仏教はこの宇宙についてどー説いているのであろーか。 宇宙は大きいが有限であると説いているのか、 宇宙は無限であると説いているのか、 宇宙は無であると説いているのか、 それとも、そのよーなことは分かりませんとゆーておるのか、 いづれであろーか。 語りえぬものには沈黙するのみともゆー、 言わず語らずの仏教は答えもなく、ただただ十難無記を貫く以外にないのであろーか。   あ~、哀れ仏教、 あ~、    

みんなの回答

回答No.8

あるお坊さんの文章を人の道さんに贈ります。(逡巡しましたが) 総論 無邊光 如来の本體は絶對の大心霊態であることは已に説きぬ。(他の書物などで述べている、という事)大心霊態には相大と用大(確かユウダイと発音)との二属性を有ってをる。個人の心に知力と意志の二属性を有する如くである。相大とは心霊態の上に明るき象相なので即ち大智恵である。 心霊態が鏡の體とすれば智恵は鏡の明浄に喩えらる。用大とは大心霊の有する能力にて人の意志の如くである。如来の心相は法界に返照する大智恵の光明である。喩えば日光の遍ねく六合(りくごう)に照り渡る如き心の光明である。 無邊光の四大智恵は個人の心理の観念と理性と認識と感覚の四分類に例すべきものにて、無邊光に法身の四大智恵と報身の智恵との両方面あり。法身の四智は天則秩序の理性として自然の一切萬法に遍ねく亙れる理性である。四大智恵とは一大観念態と一大理性と一切認識の本源と一切感覚の本源とである。 其の四智が万物に内存して自然界の主観客観の本源となる。また萬有を生成する統一摂理の本源となる。また感覚作用たる客観の色聲香味觸の相となる。 此の四智が自然界の一切萬象の根元となる。また一切衆生の知覚も運動も悉く如来四智の万物内存からして、吾人の感覚等と為りないし一切の心の作用の相象を現せるものである。法身の四大智が万物の中に存在しておるから人類の精神作用も其れが分に応じて顕現したのである。 法身の大ミオヤ(御親)が一切衆生てふ子等の智を向上させて、而もまた更に進みて如来の自境界なる佛智の光明界に帰趣させん為には報心佛の四大智恵の光明を以て衆生の四智を開発させて、如来の自境界の中に攝めて一切の真理を覚らしむ。 更に云はば自然界の物質心質と依正色心の相と為り、また万物を生成する秩序と為りたり或いは衆生の五官の感覚と為り、外界の五塵と現はるるも、悉く此の法身の四大智の分類現象である。また更に進みて如来の淨き法界に攝められて佛慧の眼開けて如来の妙境界を照見し得らるるのは報身如来の四智の光が衆生の四智を照し給ふたものである。

noname#155457
noname#155457
回答No.7

>>宇宙は無であると説いているのか、 ブツダは宇宙は空(幻)であり、存在しないと説いています。 色即是空です。 ************************************** 『善現よ、汝はどのように考えるか。色(物質)と幻とは異なるか? 善現答えて言った『いいえ世尊。なぜなら、色は幻に異なりません。幻 は色に異なりません。色はすなわち幻、幻すなわち色。受想行識もこの ようです。』(大般若経) ************************************** 宇宙は心によってできた夢のように単に映像に過ぎないと言うことです。

回答No.6

>宇宙の公理はとっくの昔に完成しておる。 完成という根拠は? 妄想じゃなく、論理的に言えるの?

回答No.5

仏教における数の単位を検索でもして学んでくれたまえ。 計り知れないと言う意味で無限であるととらえている。

hitonomichi18
質問者

お礼

  もしかしてゴルゴムゆーのは既に死んでおるんではないのか。 悪いことは言わん、そんなもん忘れたほーがえー。    

回答No.4

無限と有限が厳密に区別されるのは、19世紀の後半にゲオルグ・カントールがきちんと無限を定義してからです。 仏教の方が古いのですから、仏教で無限をきちんと掌握していないのは当然です。 当時の無限というものは、「十分に大きな有限」のことであって、素朴な概念にすぎませんでした。 仏教が哀れというなら、キリスト教も、イスラム教も、カントール以前の数学者もみな「哀れ」っちゅうことでしょう。

回答No.3

仏教 宇宙 でググると色々出てくるよ。 一例 http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html ところで、宇宙の公理はどうなったの? 修正するの、もう止めるの?

hitonomichi18
質問者

お礼

  宇宙の公理はとっくの昔に完成しておる。  

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 質問者さんの期待される「この宇宙」とは違うものかもしれませんが、  仏教では、須彌山を中心とした世界の中に、例えば四王天、三十三天や夜摩天、兜率天などなどの、いわば亜空間があり、その亜空間の中にまた亜空間があり、という世界を1世界として、  そのような世界が3000もあり、その三千世界を含んだ世界がまた3000あり、・・・ という具合に無限にあると言っておりますので、それらすべて含むところの母宇宙は「無限」ということでしょう。  そのような世界(の大半)が、1辺が40里の岩を3年に1度天女が舞い降りて羽衣で撫でて、その岩がすり切れるまでを1劫として ・・・ 中略 ・・・  成劫で形成され、住劫で安定し、壊劫で破壊され、空劫の間は虚無というサイクルを繰り返すことになっております。  つまり、宇宙が「無」になる期間もあると説いております。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

人の道さん、こんばんは 「(そのようなこと?とは?)考えてみたこともありませんでした」 てなことでは、ないでしょうか。 「「宇宙」と呼ばれるモノの中には、何も残さず・出来ずに、消滅するモノもある」 「「宇宙」の発生・生滅が無限だ」と、仏教が説いている、わけではありませんが。 (「発生・生滅が無限だ」と、言っているのは、・・・)

hitonomichi18
質問者

お礼

  >「「宇宙」と呼ばれるモノの中には、何も残さず・出来ずに、消滅するモノもある」 これは問いの移り変わりではないのか。 この問いの移り変わりは一体何を意味するのか。 あ~、分からん。  

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