皆さんが回答していらっしゃる通り,深読みのしすぎではないでしょうか。
もともと,富士山レーダーは,伊勢湾台風など大きな台風による災害が相次いだのを契機に,早めに敵(台風)の大きさや雲の分布などをつかみたいというのがきっかけだったようです。
台風は日本に近づく前は海の上にいるわけで,ただでさえ陸に比べて観測網が荒いうえに,台風が近づけば船舶の観測もままならないなどの事情もあり,なかなか実態をつかむのは困難でした。実際,戦後すぐに南関東が台風の不意打ちをくらったこともありました。
富士山レーダーができた当時は,まだ気象レーダーのあるところは気象庁の本庁などごくわずかでしたので,観測半径800km(だったかな)と本州と四国をすっぽりカバーしてくれるこのレーダーは,台風時に限らず雲の観測に非常に重宝しました。
ところが,1979年に気象衛星ひまわりが打ち上げられてから,台風の見落としなどはまずなくなりました。最近のひまわりでは,画像から水蒸気量や風速なども求められるようになっています。またその後全国各地にレーダー網が整備されていき,それらの性能も向上するなどの背景があって,富士山レーダーはそれらに仕事を譲るかっこうになったわけです。
レーダー自体も老朽化し,メンテナンスに要するコストなどを考慮すると,維持するメリットよりもデメリットのほうが大きいと判断されたのでしょう。
最近の低周波地震の増加を受け,富士山付近での地震観測自体はむしろ強化される傾向にあります。仮に噴火の可能性が(レーダー閉鎖の前から)分かっていたのであれば,なぜ測候所自体を引き上げず,レーダーの閉鎖だけに終わったの?ということになりませんか。
お礼
測候所は閉鎖されていなかったのですね。 どうも考えすぎのようですね。