Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?
A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。
この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。
もっと、分かりやすく言えば、親は子供が出来れば、子が死ぬなら自分の命を捧げる覚悟をするケースもあります。人生の目標が親であり、親として子供を育て上げることに目標があるなら、その人の人生は、満たされたことになり、少なくとも一つの大きな未練はなくなります。それは、死しても自分の子孫が残るということで果たされるからです。
苦と楽というのは、子供の頃に死を恐れることにも影響します。苦しみには仏教では四苦八苦というものがあり、生老病死に生きる上で必ず1度は味わうであろう、愛する人と別れる苦しみ、恨んでいる人や憎しみを抱くような相手と会う苦しみ、求めるものを欲する苦しみ(それが手に入らない苦しみ)、精神的な苦しみの4つを加えた8つの苦しみがあるのです。
死ぬ苦しみが、怖いのは年老いても実際には同じですが、子供の場合は、精神的な苦しみが少なく、憎しみを抱くことも普通に育てられていれば少ないはずです。さらに、愛する人が近くにいることも多く、別れる機会も少ないはずです。それに対して、漠然として理解できないのが死の苦しみです。
生きる苦しみは、病気をしたとき、人生において一人立ちをしたとき、生活を自分で設計したとき、子供が生まれ家族が出来たときと順番に、大きくなります。それらは、全てが苦しみではありませんが、生きていることの苦が、死の苦に勝っていけば、自分から死を選ぶようにもなります。
人の喜びや悲しみ、苦しみや、楽しみは人によって様々ありますが、その人にとってほぼ苦と楽は正反対の価値です。楽が10なら苦は-10なのです。ただ、人は慣れる生き物です。そのため、最初は楽が10でも次に同じ楽を味わっても、9に感じます。苦も不条理でなければ同じことですが、楽しか味わっていない人は、それを理解できないため、苦が緩和される前に、諦めてしまい社会に苦ばかりがあるように感じるようになります。
生まれたときから、一定の楽を味わえば、たいていの場合、年齢があがるにつれて、死は怖くなくなるでしょう。
何故なら、死に対する苦しみより、社会の苦しみの方が現実的で、恐ろしいからです。
最初から、死に直面するような社会に産まれ、育っていくと死を重んじるようになり、恐れるまではいかないでしょうが、死の価値を誇大に見るようになります。まあ、よい方向で教育されれば、最後まで生き抜いて、死の苦しみが少ない社会を目指すかもしれません。悪い方向で教育されれば、テロリズムに走り、自分の死を選ぶときに、多くの敵を一緒に巻き込むでしょう。
人の喜びは、価値のある物を手に入れたとき、人に評価されたとき、そしてそれらを合わせて自分の好きなことを好きなだけ出来るときなどに生まれます。死に対する感情は、その教育と幼児期からの育ちによってある程度は決まります。ある方法での死を喜びと錯覚させるように教えられれば、死は恐怖ではなくなるでしょう。
また、社会が苦しみの固まりだと感じれば、死は怖くなります。そして、一番よい死の苦しみを和らげる方法は、目標の幸せを手にして、幸せを一定程度勝ち取ることです。苦をある程度受け入れ生きることが、死を安らかに迎える方法かもしれません。