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密教
密教 空海の思想 密教は実践する宗教で理論とかではない文章化されない 直接 師匠から弟子に口伝されていく 要点としては タントラ 女性原理を重視されて結びついて解釈される(哲学や書物や妄想ではないこと。大宇宙の神秘) 性的な技法をもちいることが多い 絶対にあんな修行をしてはならない あまりにも危険だ 意思の弱い者は用意ではなく暗闇もって深く落ち込んでしまう 危険のともなう修行とも言われている それじゃぁ、風俗や歌手やダンサーとかにならなければ救われないのでしょうか?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.3お礼欄) ~~~ ☆ 即身成仏 生きながら仏になって教え悟すんですよね。 密教の金剛杵 独古で何をするんでしょうか ~~~~~~~~~~~ ☆ 金剛杵も独鈷もよく知りません。だって 即身成仏であれば 要らないと見ます。 ★ 教え悟す ☆ というよりは 自分の生活をしっかりと 山をも谷をも越えて 自己をうんうんと推しながら あゆむということ。そこに成仏した姿があると見ます。ほかには要りません。 つけ加えるとすれば そのような姿でほかの人びとと共生することです。 共生とは 話し合いです。いつまで経っても結着がつかないとしても それでも話し合う。これが 即身成仏の姿ではないでしょうか。何の教えも修行も要りません。 ★ 暗闇もって深く落ち込んでしまう ☆ ことがあっても これを――あたかも池にはまってしかも濡れずに上がって来るごとく―― それでも前へすすむ。このすがたです。 きわめて単純な人間原理です。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ○ 即身成仏 このひと言が すべてだと思います。 密教は要りません。 という考えです。
補足
生きながら仏になって教え悟すんですよね。 密教の金剛杵 独古で何をするんでしょうか
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
#1の者です。 いや、半分冗談のつもりだったのですが。 人は、苦行に耐えるよりも、快楽に耐える事の方が難しい。 だから、認識を深めるためには、快楽を遠ざけ、孤独に 耐える必要があります。 ただ、ある意味それは“より易しい苦行だ”とは言えるでしょう。 仏陀も苦行する一方で、様々な誘惑にも耐えています。 快楽の中においてなお道を見失わない事は、苦行以上の 苦行でしょう。 娼婦とセックスしながら、その不遇に涙するワザ(それを 修行のために抱かなければ、収入がなくて娼婦は餓死する やも知れず、ただお金をめぐんだのでは乞食同然で彼女の プライドが傷つく)。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
自然という意味では、性も自然であり、それなくしては誰も 存在し得ない必須のものであり、それが悪や不浄であって はならないはずです。 裸は誰しも持っている以上、裸が猥褻であってはなりません。 猥褻なのは裸ではなく、裸を見ればすぐに欲情する人の心 の方なのです。 言い換えれば、そうした性を自然界全体の生命の営みの中 に位置づけて考えられれば、それは功徳にもなるのです。 苦行によって悟るのと同じ到達点でしょう。
補足
回答ありがとうございましたm(_ _)m 理論ではないし、文章化されないので、何を言っているのかさっぱり分からない。これが女性の原理を悟っているのが密教なのでしょうか? 絵で表現することが多く、(色彩感覚が豊か)詩、ダンサー、でなければ、救われにくいとも。(本当なのかは分かりません) 純粋ではなく苦行により洗練されていかなくてはならないという事でしょうか?
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補足
密教って、一途に掘り下げていく地下のイメージがあります。(集中力、濃さ) 独特な色彩があります。 オーラはすごいです。 >共生とは 話し合いです。いつまで経っても結着がつかないとしても それでも話し合う。これが 即身成仏の姿ではないでしょうか。何の教えも修行も要りません。 まぁ、そうかもしれませんが、滝や山には行ってたでしょうね… 独古や金剛杵はたくさんあるので、多分眠らないように、集中が切れないように、手で握ったりして、脳に血をいかせてたんでしょう…