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アンソニー・ギデンズについて

「再帰性」など、彼の理論には理解しづらいものが多いです。 彼の功績を、限りなくわかりやすく教えて欲しいです!

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回答No.1

簡単に言ってしまうと、ギデンズは「近代後期」としてある「現代」とはいったい何であるのかを考察した社会学者である、ということになるでしょうか。 「再帰性」、あるいは「社会再帰性」とも言いますが、これはギデンズの鍵概念でもあります。 たとえば原発事故から一年が過ぎたいまでも、福島産の農産物を買うことは、「意志決定」の問題となっています。事故以前のわたしたちにとって、深く考えることもなかった「野菜を買う」という行為が、自分自身に起こりうるかもしれない健康被害と、被災地の復興支援を秤にかけたうえで、自分はどう考えるのか決定するという、とんでもなく重いものになってしまったのです。野菜を買うか買わないか、というだけのことが、一種の倫理的ジレンマになってしまっています。 どうしてそんなことになったのでしょうか。 事故以前のわたしたちは、食品の安全性を取り締まる機関や、飲料水の浄化処理機関、さらには政府発表や新聞報道を、ばくぜんと信頼していました。信頼というほど、はっきりしたものではないにせよ、つねに考えたり、ほかの情報と照らし合わせたりするようなことをすることはなかったのです。 けれど、原発事故以降、わたしたちは自分を取り巻くリスクについて、いやが上にも意識せざるを得ない情況になりました。 原発事故のような、大きな出来事ばかりではありません。 世襲制が当たり前だったころなら、自分が大人になって就く仕事に頭を悩ませることはありませんでした。けれども、いまのわたしたちは「自分の望む仕事は何だろうか」とさまざまな本を読み、あるいは「望む仕事」に就けるよう、小さい頃から学習塾に通って、偏差値の高い学校に行こうとしたりしています。 社会的再帰性というのは、このように現代に生きるわたしたちが、自分たちの暮らす周囲の状況について、知識を得たり、考えたり、自分の考えを修正したり、情報を吟味したり、意志決定を下したりしている、という事実のことです。 近代化はこの再帰的な性格を強めている、というのが、ギデンズの考え方です。 そうして、もうひとつ。 わたしたちが再帰的に行為することによって、社会もまたかたちづくられていきます。社会とわたしたちの関係というのは、乗り物と乗客のような関係ではなく、わたしたちひとりひとりの行為を通じて、社会がかたちづくられ、同時に、社会によってわたしたち自身が作りなおされている、という双方向の関係性があります。ギデンズのいう「構造化理論」を単純に説明すると、こんなところになるかと思います。 以上参考まで。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とてもわかりやすかったです! 社会の中にある「前提」を私たちが疑い始めている、という理解で大丈夫でしょうか。 再帰性が強まった理由として、資本主義とか、グローバル化とか、情報化、民主化などを推測しました。 ギデンズの本には再帰性の具体例がほとんど無いので、ちゃんと例も書けよと彼に言いたいです! しかし再帰性は、非常に哲学しがいのある概念ですね…

その他の回答 (1)

回答No.2

> 社会の中にある「前提」を私たちが疑い始めている、という理解で大丈夫でしょうか。 そういうことです。ただ、「疑い始めている」というより、「切り離されてしまった」という方が的確かな。 再帰性一般、つまり、人が自分のふるまいを、これで大丈夫だろうか、正しくふるまえているだろうか、と振り返り、軌道修正をしたりする、というのは、別に近代後期に限られているものではありません。 けれども、人が自分のふるまいを反省するときには、よりどころにするものが必要です。 近代以前なら、神や伝統が絶対的な力を持っていました。そののち、人間の理性が宗教に取って代わる時代(近代前期)になります。この時代、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉に代表されるように、思惟する「私」は懐疑の対象とはなってはきませんでした。それが、近代後期に入って、あらゆる「前提」から決別する時代へと推移してきたのです。現代社会においては、国や共同体などの組織や制度、個人の関係や自己自身とあらゆるものが再帰的な吟味の対象となっています。 「自己責任」という言葉を、しばらく前から頻繁に目にするようになりましたが、この言葉にあきらかに見て取れるのは、自分の選択は自分があえて選んだものである、という思想です。もはや頼るべき「前提」から切り離され、「専門家」も信頼できず、人は安心感を得ることはむずかしくなってきている。そのような時代にわたしたちはいるのだと、ギデンズは言います。 ギデンズは決してわかりにくい人ではありません。これを書く前に参考にしたのは『近代とはいかなる時代か? ――モダニティの帰結』(松尾精文/小幡正敏訳 而立書房)だったんですが、この本はおもしろいし、もっと一般向けの『暴走する世界 ――グローバリゼーションは何をどう変えるのか』(佐和隆光訳 ダイヤモンド社)だと、豊富な具体例が挙げられています。 この回答が何らかの役に立てば幸いです。

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、切り離されたという言い方もできますね。 てっきり私は、「前提」に安心感よりも煩わしさを見出して、「前提」をみんなで協力して回復するという選択肢があるにも関わらずそうしようとしない人たちばかりだと考えておりました。 後期近代も善し悪しって事ですね。 挙げて下さった本、読んでみます。 「前提」が復興するきっかけで私が思いついたのは、 ・法律を変える事で間接的にコミュニティを復興する ・カリスマ的人物やブームが人々の意識を注目させる ・共通の敵が現れる ・インターネット上のコミュニティ ・異文化交流 などです。 ghostbusterさんの「前提の復興策」を教えて頂きたいです!

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