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人間は知っていることより知らないことのほうが多い
公理として、 (1)人間の知っていることは有限である(自明) (2)人間の知らないことは無限である(公準として仮定する) としたときに、推論として 「人間は知っていることより知らないことのほうが多い」 という命題がこの公理系のなかで定理として証明される と考えたのですが、暇人の戯言と笑わないでください。 この命題から色々考えさせられることが多いと思います。 例えば、人類としても個人レベルにしても謙虚であれなどと、、、。 どう思いますか。
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- MOG777
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回答No.3
直観で申し訳ないけど、 永久機関が絶対に実現できないのと似ているね。 生物は情報の入力の他に、情報の出力も必ずしなければならないから 宇宙のすべての情報を受け取るとか無理そうだね。 情報科学とかで研究してないかなあ・・・
- MOG777
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回答No.2
諺でいえば、井の中の蛙は大海をしらずというとこでしょうか。 本当にすべて知っているかから、すべて知っていると思うのか 認識できないものの存在を感知できないから、すべて知っていると思ってしまうのか・・・ なぜ自然界の一部である人間は自然界を段階的に範囲を広げながらしか認識できないのか・・・ 「不完全性定理」とかという用語や結論を使っての説明は簡単だけど、結論までのプロセス込みで理解とかは難しいね。
- gldfish
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回答No.1
証明するまでもなく、当たり前のこととして受け取っていましたけど。 情報伝達も何も発達していない原始の時代、人にとって世界の全ては「自分が目にする周囲のもの」であり、それが「世界」そのものでした。 そしてそれは現代の人間にとっても何も変わらないということです。
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