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宇宙のサイズは無限大or有限?説明と考察
- 宇宙のサイズは無限大か有限かについての証明は論理上できない。
- 無限大という証明は定義に違反し、有限であるという証明も同様。
- サイズは観測可能な空間と観測不可能な空間の組み合わせと考える。科学の進歩により正確な構成が判明していく。
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質問者が選んだベストアンサー
私は、宇宙のサイズが無限大(=十分に大きい)だとしても有限だと思います。 今のところ、無限という数学の概念が自然界(=宇宙)で観察されたことは無く、すべの物理量(Observable)は有限ですよね。 だから、すべての物理量が有限であることから類推して、その入れ物である宇宙も有限であると仮設するのが自然です。宇宙が無限であるという不自然な仮説を主張するためには、それを観測事実から立証するべきと思います。ところが宇宙には観測可能な宇宙と、それ以外、観測可能でない部分が想定されています。 「海は広いな大きいな~」という童謡がありましたが、現在の人類の観測能力は大海原に対面した少年程度なんでしょうね。 で、観測不可能な宇宙が無限である可能性は否定できませんが、これは観測不可能なので立証しようとすると、宇宙をモデル化した数学的な概念のなかで論証するしかない。数学的な概念でいえば、少なくとも位相幾何学のテーマがあって、宇宙定数をどう仮定するかによって、有限という回答も無限という回答も出せます。数学的に。ですから、真実は宇宙定数を観測し決定し得た時に決まるのであって、それまでは「わかりません」というのが正しい態度ですよね。 哲学は、物理で記述できない部分を記述する自由がありますが、これは証明でも立証でも何でもなくて、主張にすぎません。私は、宇宙のサイズが(他の物理量と同じく)有限であると主張いたしますが、他人が無限であると主張することに対して否定しようとも思いません。 ご質問の直接のお答えになりませんが、結論としては同意します。
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- Mokuzo100nenn
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当然証明にはなっておらず、質問者さんは間違っていないと思います。 宇宙は概念ではなく、自然の実在です。 したがって、定義するべき事でなく、研究・観察する対象です。 また、哲学は公理系を持たない事が確認されました。 自然の実在に関して、不知だからといって定義してしまっては独自の公理系を持ち込むことになり、科学する態度(自然科学)を否定することになります。 哲学は自然科学を否定してはいけません。 否定した時点で衒学となるのではないでしょうか。 哲学する態度は無知の知も認めなければならないと思います。
お礼
ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
- 4490180
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大筋で間違っていないと思います。 後は科学の発展を待つしかないですね。
お礼
ありがとうございました
- root_16
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長いね。。。 定義によるというのは同意ですが、 各個人に委ねるとカオスになると思います。 例えば、有限の宇宙の外に宇宙で無い空間がある 定義すると、 その宇宙でない空間って何なのさ という疑問は出ますが 論理的に矛盾は出ないと思います。
お礼
ありがとうございました。 カオスになる と定義されれば それはその人の宇宙とおもいます。
お礼
ありがとうございました。 想定された有限の根拠を示して頂き 説得力あるものと理解しました。また 哲学には主張の自由がある ことを示して頂き 同感であります。
補足
少し補足させてください。次の例をみてください。 (1)a:人間は石である(定義する) b:石は生物ではない(石が生物でないという論理証明する) c:よって人間は生物ではない(人間が石であるという証明は出来ていない) (2)a:宇宙は空間である(定義する) b:空間は無限に広がる(空間は無限に広がるという論理証明する) c:よって宇宙は無限である(宇宙は空間であるという証明は出来ていない) 以上の例のように定義は論理証明できません。証明になっていないにもかかわらず 定義が証明されたごとく言っている例をみたものですから ここに載せました。