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幕末~明治初期の鎧兜について
今日映画「ラストサムライ」を観てふと疑問に思ったのですが、たぶんモデルとなった西南戦争時代の武士の戦闘服?ってどういうものだったのでしょう? 映画では戦国時代のような鎧兜を身につけて闘っていましたが、これはフィクションだと理解しています。 それとも本当に当時でも鎧兜を身にまとい戦っていたのでしょうか。 私の記憶では戊辰戦争の頃にはすでに鉄砲・洋装だったと思います。 ※映画にケチをつけているわけではありません。 映画はフィクションですのであれはあれでいいのですが、単純な疑問です。
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こんばんは アノ設定された時代(mole_mole さんの指摘している西南戦争時代頃)は、西洋よりの戦術、戦闘方式は日本に紹介され、熱心に学び教育した藩もあります。それらの藩は、やはり洋装が主で、火縄銃も西洋式に改装された銃を用いました。 一方、心得ある武士階級の人々は、戦国時代と同様の鎧兜を身に付けてもいました。 戦国時代同様の鎧兜は実戦に使用する実具として「働きの甲冑」と呼びますが、江戸の泰平期にはほとんど需要が無く、江戸期には、先祖の武功を称える伝来をつけた虚飾の多い飾って見栄えの良い鎧兜を主に作っています。 これは「飾り甲冑」とよび、現在の5月人形のような物です。当時の工芸の芸術品でも有ります。 で、幕末期に、にわかに世の中が騒がしくなると鎧兜の必要性が出てきましたが、残念ながら、虚飾の多い江戸期の鎧兜は実戦にはあまり向いていないので、戦国期から残っている物(先祖伝来とは少しニュアンスが違います。)を修理したり、勿論、働きの甲冑の先祖からの伝来品があれば、其れを着用して、戦に望みました。 ですから、アノ映画での鎧兜を着用しての戦闘シーンは、フィクションではないでしょう。むしろ、虚飾の少ない「働きの甲冑」を使用している事など、史実をよく分析していると思います。 余談ですが、幕末期の武士には鎧兜着用の心得の無い人も多く、袖を左右逆に付け着用法を間違っている武士の姿が写された写真が、現在に伝わっています。 少しでも参考になけば、幸いです。
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- doya
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西南ノ役での薩軍の服装について 「天変の椅子(日露戦争と児玉源太郎)」 古川薫著 文春文庫より引用します。 ◆幹部(将校?)の服装 ・近衛・鎮台に奉職していたころの制服(軍服) ・警視庁の警部・巡査の制服 ・海軍将校の正装 ・詰襟、背広の平服 ・燕尾服に山高帽(村田新八) ◆その他 ・将校は、上衣の上から白木綿の兵児帯を締め、腰に一刀、真紅の隊旗を持ち、ズボンに脚絆、草鞋をはいている。 ・一般兵士は陸軍や巡査の制服もあれば、筒袖・股引という姿もまじっていた。 (”姿は一見珍妙”との描写あり) 小説ですので、100%正確かどうかはわかりません。(小説自体は大変良い内容でした) 薩軍に和装の者が多かったイメージはありますが、はたして甲冑を身に着けた者が戦闘に参加したかどうか。 幕府が倒れる以前の第二次長州征伐では、英国から輸入したミニェー銃を装備した長州軍が幕府軍を破りました。 戦国時代の甲冑では、最新式の洋式小銃の小銃弾を防ぐことができないことは、西南戦争の時代にはすでに明確になっていました。 従って、西南戦争の戦場に甲冑を着込んだ兵が参加していた可能性は低いと考えます。
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ご回答有難うございます。 様様なご意見があり参考になります。 私も小説で読んだものは洋装だったと思っていたのですが、そうでない場合もあるようですね。 でも幕末ならいざ知らず、明治に入ってから10年もたっているあの時代に鎧兜は無いんじゃないかと思いました。
- kenyamanasi
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私が以前に読んだ小説でも同じでしたよ(どの小説だったかは失念してしまいました)。旧来の武士階級は昔ながら(先祖伝来)の鎧兜に身を固め、民兵中心で西洋の指導を受けた側は洋装でした。
お礼
ご回答有難うございます。 >旧来の武士階級は昔ながら(先祖伝来)の鎧兜に身を固め、民兵中心で西洋の指導を受けた側は洋装でした。 あながちフィクションでも無かったのですね。 参考になります。
お礼
ご回答有難うございます。 大変お詳しい様子で参考になりました。 そういえば先日のドラマ「龍馬がゆく」でも、長州の来島又兵衛の一群が鎧兜で戦闘していました。 確かに、この映画はハリウッド作成の日本物にしては時代背景・日本の様子などが比較的正確に表現されていたと思います。