※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神経症の治療法として)
フロイトの神経症理論と治療法の有効性について
このQ&Aのポイント
フロイトの神経症理論では、抑圧された記憶が他の対象により恐怖症として現れる場合があるとされています。
フロイトの治療法による思い出し解決は、病的な神経症の改善に有効であると考えられます。
しかし、忘却された記憶が当人の心が耐え得るものであれば、それを忘れたままである方が心にとっては健康なのかもしれません。
フロイトの神経症の理論として「抑圧され忘れ去られた記憶が他の似た対象を見ることによ不安が沸き起こり恐怖症という症状が現れる場合がある」と書かれているのですがフロイトの治療法に置いて病的な現象が引きおこっているのなら思い出し解決へ導くのは有効だと考えるのですが忘却され忘れ去られた記憶が当人の心が耐え得るものであればつまり「まあどうでもいいや」とかその対象を見ても「違和感はあるが苦しみは無い」などの過剰な病気にならない程度のものの場合はかえって嫌な記憶は忘却され忘れる方が心には健康なのではないでしょうか?一時期フロイトの影響で今生きていく中で逆に心の糧にして有意義に日常生活をしていたのですがフロイトが言うには過去の忘れ去れた記憶が神経症を引き起こすと書いてあって怖くなってフロイトの治療法を実践してみようとおもいその苦しい思い出を思い出し解決法を模索していたのですが余計症状が悪化し自分は神経症で死んでしまうのではないかと思うほど苦しい目に合いました。しかし森田療法や無為療法を知りそちらを実行したところたちまちその神経症は治りました。二度とフロイトの療法を実践するものか!と心に思ったのですが疑問に思ったのがフロイトの治療法が有効な場合が抑圧され思い出せない記憶による異常な病的症状を改善するためのものであることを知ったことです確かにその場合は神経症の元の原因である記憶を一旦治療者に委ね治療をして改善するというのは分かるのですが過去の記憶が幾ら辛かろうが神経症の症状を改善する為にはむしろ無為療法の方が症状が改善するのではないでしょうか?
お礼
ありがとうござました。私は勘違いしていました。フロイトの自我意識に上らせ解決法を見つけるのが良いのかと妄信していたのが私のもともとの間違いでした。確かに解決すればよいですが解決しないようなどうでもよいもしくは過去の事で社会的現実的に無意味な個人的な症状であれば逆にフロイトの手法は悪化の一途をたどる可能性をtumaritou1の回答をみてしりました。おそらく家庭教師の子供の嫌な姑の犬が水を飲んでるシーンを見て水が飲めななくなったというのをフロイトに話したら症状が改善したというのはtumaritou1でいうところの 「症状を受け入れた場合です。受け入れる事によって、『意識には上がって来なくなります。』意識に上がって来なくなった場合に『症状が消滅しています。』」 という理由でしょう。自我意識に上らせたからその少女は改善したのではなく症状を話したとたん症状が自然に受け入れられるよになったからでしょう。それをフロイトは「自我意識に上らせる事が改善に繋がる」と勘違いしたのでしょう。tumaritou1の説明で良く分かりました。 まさに私の症状は自我意識でグルグルと迷走し神経症を悪化させてしまったのでしょう。 ありがとうございますtumaritou1のおかげで長年の疑問が解消された気がします。おっとこういうことも一々考えない方がいいですねw気分が楽になりました。