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フロイトの神経症理論と治療法の有効性について
- フロイトの神経症理論では、抑圧された記憶が他の対象により恐怖症として現れる場合があるとされています。
- フロイトの治療法による思い出し解決は、病的な神経症の改善に有効であると考えられます。
- しかし、忘却された記憶が当人の心が耐え得るものであれば、それを忘れたままである方が心にとっては健康なのかもしれません。
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フロイトも今の精神医学も神経症のメカニズムを解明出来ていません。例えば書けいと言う症状が在りますが、その専門家でも『その原因は分かっていませんが、治療をすれば良くなります。』と言う宣伝を インターネットなどのホームページで見かけます。 もう30年以上昔に神経症が完治した経験が在りますので、その経験から書いています。 神経症が発症する原因が自分の体験として分っていますので、そのメカニズムを書いてみますので、精神科医などには任せないで、自分で学んで治して下さい。 神経症を理解する事は『自分自身の心(脳内のメカニズム)を知る事で』理解出来ますが、頭での理解は『頭で分っただけなので』本治りと違いますが、知らないよりは遥かに有効な事なので、書いてみますが、本治りする事『完治する事』に付いても終わりに書いて置きます。 神経症の理解をする場合では『人間の全人格的な理解をする必要が在ります。』症状や、或はその人の過去と云う事柄は、間接的な原因であって、直接的な或は根本的な原因では在りません。 神経症の原因は『人間の脳内には二つ意識が在るからです。』この二つの意識が、上手く同調出来なくなる事が原因ですので、その科学的なデータを載せて見ます。ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” この二つの意識が、上手く同調して、仲良くその役割分担を出来た状態を、聖書では『天国』と表現したり、今の世の中では『健常者』と呼んでいます。 自我意識は左脳に存在する意識です。顕在意識とも呼んでいます。二つの意識は進化の過程で機能が二つに分かれたと思います。 この二つに分かれた機能の違いから『人間の悩みが始まっています。』このところを端的に書いているものが『聖書です。』 知恵が付いたと表現しています、この意味は、機能が分かれた事によって、右脳の意識は『無意識の底に沈み込んで、隠れてしまって、姿形が見えなくなって、確認する事が出来なくなった。』と言う意味が在ります。 右脳の人格に付いて、もう少し詳しく説明する事によって、心のメカニズムが分ると思いますので、脳卒中によって左脳の人格が薄れていって、右脳の人格が姿を表わす、脳科学者の動画を載せて見ます。この後から説明すると、分かり易いと思います。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画によって、示されている事実は、人間の全人格の中で『自我意識は一つの要素を占めているだけ』と云う事です。人間を突き動かしている者が、自我意識の他に、もう一人存在している事です。 此処までは納得していただけましたでしょうか? 此処から本題です。神経症は右脳の意識と仲違いしたり、上手く同調出来なくなる現象です。書けいという症状で説明するなら『健常者の場合では、二つの意識が上手く役割分担が出来た上で、文字を書く事』を意味します。 書けいという状態は、自我意識単独で『無意識の自分の力を借りないで』文字を書こうとする状態です。 或は『心同士の折り合いが付かなくなって、無意識の自分から、助けて貰えないで』文字を書こうとしている状態です。 人間の全てを知るという場合では、神経症は、一つの事実しか見ていない事を意味します。そういう場合には、未だ不安が頭をもたげてくるという意味ですが、全ての不安解消には、未だ学ぶ事があるという意味です。 人間の不安とは『全人格的な不安です。』人間の不安とは『生と死』の意味を学ぶ事や、人生の意味を自らの手で掴む事や、あらゆる疑問を解消する中に存在するという意味が在ります。 その解消のためには、未だ学ぶ事があると言う意味になりますので、簡単にその全貌を書いてみます。 人間の不安とは『右脳からの情報の受け取り方の誤りです。』右脳の意識の機能は『命そのものの維持装置です。』 人間の命を守る場合では、大まかに分けるなら、三つに分ける事が出来ますが、厳密に言うならその三つには境目がない事から、その三つは非常に密接な繋がりが在りますので、本当の意味では、三つと言う限定をする事は、『その境目に存在する事柄に対しては、誤まった解釈をするかも知れない事は、頭に入れておく必要が在るかも知れません。』 その三つのものとは、身体と行為と心です。 人間の身体に対する生命維持装置とは、ホルモンの調節をする機能や、腸などや心臓や肺や、発汗の仕組みなど生物的な生命維持装置として働いている機能の事です。 この機能と自我意識との間が上手くゆかない場合を、自律神経失調症や、過敏性腸症候群や、難治性の心身症と表現しています。自分の身体の機能を疑うという現象です。 人間の行為する事、或は行動する事柄に付いての機能と、自我意識が上手く同調出来なくなった場合が、神経症です。この場合は自分の行為を疑う事(強迫観念)となったり、行動する事が出来なくなったりする現象です。 人間の心『湧き上がる自分の感情や、湧き上がる考え』に付いて疑う場合を、心を病むと言っています。自分の心の在り方がわからなくなってしまう現象です。正常な自分の心の在り方を疑う場合です。 今書いた事には、共通点が在ります、一つは『健常者と何も変わらないという検査結果です。』全ての値が正常と言う事です。もう一つ共通点が在ります。それは心理的な圧迫感です。言葉にするなら『違和感や、漠然とした不安や、湧き上がる疑問です。』昔の表現方法をするなら『罪の意識や生き難い想い』です。 その共通する事柄は、右脳からの情報の受け取り方に誤りが在るからです。普通の何でもない情報に『過敏に反応しているだけです。』 神経症の原因は『自分自身の、右脳の機能』と上手く同調出来なくなっている事です。 最後に神経症にまでしてしまう場合と、神経症にまでしない場合と、神経症が治る場合と、治らない場合を書いておきますので比較して、学んで、神経症の完治と言う体験を手にして下さい。 神経症にまでする人には『神経質な性格や不安になり易い性格基盤が在ります。』その性格基盤とは、人生に対する不安です。ですが健常者と言う人達には『不安が存在していないか』と云う事になりますと、同じです。 同じ不安に対する態度の違いが、その違いを分けています。神経症にまでする場合は『不安を避けようとする態度に在ります。』健常者の場合では『不安をそのままにして、不安を受け入れています。』 その違いが大きな差になっています。 湧き上がる小さな不安にまで、防衛規制が働くからです。そうしてその防衛機制が『予期恐怖にまで発展するからです。』こういう思考方法がしっかり染み付いてゆく事から、神経症にまでしています。 その違いは『小さな不安にまで、防御しようとする考え方です。』 神経症が治ってゆく場合を書いてみます。湧き上がる自分の感情に『良いとか悪いとかの、自分のフェルターかけないで、そのまま、自分の中に湧き上がる感情を受止める事が出来るようになる場合です。』 神経症の場合の症状は『治った場合に自然消滅する性質が在ります。』『頭の中に作り上げた、思い込みによる妄想です。』症状は誰の頭の中にも湧きあがっている事柄でしか在りません。 自我意識の好き嫌いを言う、その人のものの見方によって生じています。その人が頭の中に作り上げた『受取りたくないものの名称を』=『症状』と言っています。 受取りたくない事によって拡大された総称が『症状です。』その症状を追い出そうとしたり、感じない事にしようと、意識する事から、更に又意識にしっかりと固定されています。 完治する場合では、症状を受け入れた場合です。受け入れる事によって、『意識には上がって来なくなります。』意識に上がって来なくなった場合に『症状が消滅しています。』 更にいうなら、湧き上がる自分自身の感情は、全てが一過性のものである事を了解します。この事によって、自分の感情には、流されない人間性が出来ています。 では治らない場合です。この場合では『いつも自分自身の心の内部観察に、いそしんでいます。良い感情を喜びすぎていて、悪い感情を排除しようとする事です。』 悪い感情を受取ろうとしない心が『症状の元を作っていて、症状を排除しようとする心がしっかりと症状を固定していますので、』症状の改善に全力を尽くしたり、一生症状の改善に努めた場合では『症状は一生掛かっても治らない事が保障されます。 治そうとする心が、『症状を作っているからですので』治そうとしなくなった時が『完治』になるからです。 元々異常がない事が検査の結果証明されています。何処にも異常がない事を『了解した時とは』治そうとしなくなった時です。
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- papur-snow
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・細かなことまで丁寧に書かれ、「困ったちゃんマーク」もあるので、 少しだけ専門的に長く書きます。 ・薬も療法も、その人にぴったりのものを探すために、結構時間が かかるものです。医師はそれをさぐることから始めます。 売られている風邪薬がタイプ別になっているのもそのひとつです。 市販薬はカルテがない人も購入するので、 自分の症状を少しはわかるカゼひきさんが、選べるようになっています。 でも、こどもにきいた薬が、親に効くとは限りません。 症状を説明できない乳児なら、良い医者の診断は重要です。 親が、勝手に(大人用の薬)を量を少なくして与えるのが最善か 考えてみるだけで、その危険性は理解できるでしょう。 ・つらい思い出を (治療) のために思い出すには 「どこで思い出すか」がもっとも重要です。 悩む人が (ひとりで)思い出すのは、人のいない真夜中の海に ひとりで飛び込むようなもの。やってはいけないことの最大のものです。 考えすぎて眠れなくなる人は、からだを動かさない状態で悩みます。 脳は睡眠から覚醒し、眠られなくなって当然です。 「救い」がある場所で、思い出さなければ、苦しむだけでしょう。 ・「違和感はあるが苦しみは無い」などの 過剰な病気にならない程度のものの場合はかえって 嫌な記憶は忘却され忘れる方が 『心には健康』 なのではないでしょうか? これは(細かなことを言いますが)、『心』に関してはまちがいです。 「その人には」忘れたほうがいい・・・ 「生活していくには」忘れたほうがいい・・・とは言えますが。 いえ、「忘れたほうがいい」というより、普通、みんな、それを 自然に行い、少し苦しんで、夢に見たりして、忘れています。 「自然に・・・」だから有効と言えるでしょう。 健康な精神、「生命」は、それを選択するものです。 生きのびるために・・・「心は、記憶のゴミ箱になります」。 しかし、フロイトが反省したように、世界大戦後のPTSDの兵士の 増加は、異常でした。ベトナム戦争もそうでした。 脳は壊れやすく、心は洗脳されやすいので、一部だけを記憶し あとは、「忘れさせる処理」を行います。自然に反し、急激に。 心の一部、脳の記憶の一部を、『瞬間冷凍』するのです。 その人のために・・・というより、脳自身のために。 脳が生きのびるために。 ・食べ物や飲み物が 「胃」になだれ込むように、経験は その反応を 「心」になだれ込ませます。脳はそれを 半永久的に記憶します。ご存知かもしれませんが 「P300」は、それの証明のひとつです。 呼び出せるものがあるかどうかは別にして、 (心=脳)というわれる脳は記憶します。 それで、「その人らしさ」が形成され、人格が育ちます。 でも、「心のゴミ箱に入れられた記憶」は、いつまでも消えないで 少しずつ腐っていきます。そして、その人をむしばむのです。 ・フロイトもユングも、他人のために、というより、自分のために その心理学を深めていきました。 彼ら自身、心の病を持っていたのです。 そして、自分と似たような経験をした人たちを、解放に導いたのです。 なぜ、分析が必要か。その病いにぴったりと照準をあわせるためです。 正確であればあるほど、その病いと闘う力が生まれるからですね。 ・このように、その病いと闘う力が出てくること、それがかなうなら、 どの薬でも療法でも良いのです。 昔々、サバンナに暮らす人に、風邪薬がほしいと言われた人は、 もっていた「はみがき粉」を飲ませました。 薬を飲んだことのなかったその人は、たちまち元気になったのです。 ・文面からして、どちらが有効かとたずねた問題は、あなたにとって あなたの精神にとって、とても大事なことなのだと思います。 大切だから、自分の悩みにも、症状にも正確でありたい、 理解できることはすべて理解したいと願うのでしょう。 人に「個性」があるように、症状にも「個性」があります。 それを認めて、あなたに一番の「救い」を見つけましょう。 あなたの明日にステキなことがありますように。
- moto_koukousei
- ベストアンサー率54% (331/606)
「あなたは治療者ではない」のですから、どの方法が良いかを選択したり、その手法に習熟する必要性そのものがないでしょう。 他の疾患など、例えば、ガンの治療法として、あれが良いだろうか、こちらが良いだろうかという論議は無用です。たまたま、ある方法で自分のガンの進行が止まった、あるいは日常生活に支障がないようになったとしても、その方法が良いという議論はないです。 器質的な疾患でも、感染症でも、あるいは精神障害や神経症でも、健康法や体力強化法でも、ダイエット法でも同じです。 一切の条件や方法の適用状況をさておいて、この方法が良いとか、有効でないとかは言えません。
お礼
ありがとうござました。私は勘違いしていました。フロイトの自我意識に上らせ解決法を見つけるのが良いのかと妄信していたのが私のもともとの間違いでした。確かに解決すればよいですが解決しないようなどうでもよいもしくは過去の事で社会的現実的に無意味な個人的な症状であれば逆にフロイトの手法は悪化の一途をたどる可能性をtumaritou1の回答をみてしりました。おそらく家庭教師の子供の嫌な姑の犬が水を飲んでるシーンを見て水が飲めななくなったというのをフロイトに話したら症状が改善したというのはtumaritou1でいうところの 「症状を受け入れた場合です。受け入れる事によって、『意識には上がって来なくなります。』意識に上がって来なくなった場合に『症状が消滅しています。』」 という理由でしょう。自我意識に上らせたからその少女は改善したのではなく症状を話したとたん症状が自然に受け入れられるよになったからでしょう。それをフロイトは「自我意識に上らせる事が改善に繋がる」と勘違いしたのでしょう。tumaritou1の説明で良く分かりました。 まさに私の症状は自我意識でグルグルと迷走し神経症を悪化させてしまったのでしょう。 ありがとうございますtumaritou1のおかげで長年の疑問が解消された気がします。おっとこういうことも一々考えない方がいいですねw気分が楽になりました。