※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:平治の乱で、「清盛が信頼に名簿を提出」の出典は?)
平治の乱で清盛が信頼に名簿を提出?出典は?
このQ&Aのポイント
平治の乱で清盛が信頼に名簿を提出した出典を調査しています。
『古事談』などの文献が「清盛が信頼に名簿を差し出した」と記述しています。
しかし、『平治物語』にはそのような記事は見つかりませんでした。
平治の乱を調べています。
例えば五味文彦氏『鎌倉と京』(大系日本の歴史5、小学館、1988年)などに、
「清盛が信頼に名簿を差し出した」の記事があります。
『平治の乱』Wikipediaには
「25日早朝、清盛は信頼に名簿を提出して恭順の意を示し・・(中略)・・(『古事談』、ただし同書は18日のこととする)」とあります。
文脈から見て、「信頼に名簿を提出」の出典は『古事談』のようですが。
『平治物語』では「信頼に名簿を提出」関係の記事は見つけることが出来ませんでした。
「清盛が信頼に名簿を提出」の史実性を問題にしているのではなく、あくまでもその出典を確認したいのです。
よろしくお願いします。
お礼
Verhaltenさま 早速ご教示くださいまして感謝いたします。 『愚管抄』だったのですね。 第五巻をチェックしましたら、ご指摘の文の少し前に、 清盛ガ名簿ヲ信頼ガリヤルベキ。ソノヨシ子細ヲ云ヘトテアリケレバ。清盛ハタダイカニモイカニモカヤウノ事ハ。人々ノ御ハカライニ候ト云ケレバ。内大臣公教ノ君ゾマサシクソノ名簿ヲバ書タリケル。ソレヲ一ノ郎等家定ニ持セテ云ヤリケルヤウハ。カヤウニテ候ヘバ。何トナク御心ヲカレ候ラン。サナシトテヲロカナルベキニハ候ハネド。イカニモイカニモ御ハカライ御気色ヲバタガヘマイラセ候マジキニ候。其シルシニハヲソレナガラ名簿ヲマイラセ候也トイハセタリケレバ。 を見つけました。 後ほど更に、精査したいと思っています。 本当に有り難うございました。 それと、OKWaveの力はすごいな、と感じ入っています。