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清盛の遺言「頼朝の首を我が墓前に供えよ」の出典

平清盛が臨終の際、「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と遺言した話が『平家物語』にあるということですが、どの巻にあるのでしょうか。 巻第六「入道死去」はざっと見たのですが、みつかりません。

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  • boko10cho
  • ベストアンサー率55% (64/116)
回答No.3

平家物語にはいくつかありますが、少なくとも参照ページの流布本、延慶本、高野本、 それぞれの巻六に、御質問のようなことが書かれていました。 流布本・巻六 P370 延慶本・巻六 P2314 高野本・巻六 P06064 それぞれの巻六を表示させて、「わがはか」のキーワードでブラウザのページ検索を なさってみてください。

参考URL:
http://www.j-texts.com/index.html
jumbotako
質問者

お礼

boko10cho さま 詳細なご回答をいただき、感激しています。 私が求めていた出典が確認できました。 延慶本と高野本の方ではすぐ見つかりました。 流布本・巻六 P370は”かな”文で、「つきしま」などを読みましたが、関連文をまだ見つけていません。 お礼の方を急ぎましたので、後ほど精査させていただきます。 本当に有り難うございました。

その他の回答 (2)

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.2

平家物語は質問者の資料としては不足気味です。 巻第六「入道死去」の閏二月二日 伊豆の流人前兵衛佐頼朝が首を見ざりつるこそ安からね。 だと思います。 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/heike12.htm 物語ですからかなり信憑性は低いと思われますが、 (前)兵衛佐は官位が剥奪された様を表現しています。 前総理をニュースで元総理と表記して報道していた某民間バカテレビ局よりも はるかに語学力は高いようです。 元でなく前と言う表記は、 記述者が学識高き事、源氏の遺恨深き様が伺えます。 吾妻鏡を参照しますと、 前右兵衛佐頼朝 前兵衛佐 http://www.geocities.jp/jytkb817jp/aazuma01kan/azuma1-m04.html とあります。 こちらから引用してきた可能性は否定出来ない物があります。 (但し、強く否定する根拠にはならない。) 資料的価値はこちらの方が高いと存じます。http://www.geocities.jp/jytkb817jp/aazuma01kan/azm1kanme.html

jumbotako
質問者

お礼

Verhaltenさま いろいろ詳しい情報をいただきお礼を申し上げます。 私の質問の仕方が悪かったようです。 例えば「平清盛」Wikipedia の「最後」の項に、 (『平家物語』では清盛が死に臨んで「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と遺言を残したとしている。) との記載があります。 そこで、『平家物語』の原書でそれを確かめることが目的でした。 私のavailableなネット『平家物語』をbrowseしたのですが、見つからないので、 本当にその記載があるのか疑問を持ちました。 そこで、ご教示をお願いした次第です。 どうも有り難うございました。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>清盛の遺言「頼朝の首を我が墓前に供えよ」の出典      ↓ 吉川英治「新平家物語」では、強く否定されており、平家物語の入道死去でも記載されていません・・・ 推測ですが、朗読・平家物語の中での人物像・物語の展開を盛り上げを強調する為の挿入エピソードだと思います。 数年前の森進一「おふくろさん」の冒頭の挿入せりふを巡っての作詞者川内康範との※確執問題を連想しました。 ◇朗読平家物語 http://roudoku-heike.seesaa.net/article/73179906.html ※おふくろさん騒動 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%95%E3%82%93%E9%A8%92%E5%8B%95

jumbotako
質問者

お礼

lions-123 さま 早速のご回答有り難うございます。 勿論、清盛のこの言葉が史実とは思っていませんが、 平清盛のWikipediaにも、『平家物語』にこれがあるというので、 文献的に『平家物語』原文中を探しているところです。