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★印の質問の仕方が回答がつきやすくなるか。
1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 3.『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』 →自分の頭の中の曲が勝手に再生された 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した 今日(11月11日)、上記に書いてある言い換え前の文で、「~れる」「~られる」が伴った文はどの文でも、 未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞「~れる」「~られる」と表現されるという解釈であるという回答をもらいました。(それでその質問に関しては解決しました) 僕は1.~7.のように、他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがあるのです。 ここで回答がつきやすくなる質問の仕方について質問があります。 以下の★印のとおりに質問をしたら回答がつきやすくなるかどうかを教えて下さい。 ★以下の未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文を、未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文に言い換えて下さい。 もし★印の質問の仕方で誤りがあれば、誤りの部分を訂正してくださると助かります。 よろしくお願いします!
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- toroken
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こんにちは。 まずは前回のお礼と補足の最初の部分に関して私が思ったことを伝えます。 あなたは私が「こんにちは。」と出だしに書いたことでお礼の一番最初に「こんばんは。」と 書いてくれましたね。 これはとても嬉しかったです。 あなたの気持ちが伝わってきました。 人はね、文の言い換えにこだわるよりもこういう何気ない一言がある方が嬉しかったり するものですよ。 それから「稀に」が「時々」に訂正されましたね。 あなたは間違った、いい加減な回答が稀よりももう少し多い回数寄せられると 思ったのではないですか? だから「時々」に訂正したのではないですか? 私はあなたの訂正をそういう風に受け取りました。 文はそんな風に自分で自分の気持ちに合う言葉を見つけて行くことが大事です。 補足での文中、≪※1≫の手前までの文は私が言ったことに対しての答えだと 思います。 けれどもそれから後のことは私への新規の質問に思います。 元々私はあなたの本来の質問に対して答えられてはいません。 NO.4にしろNO.6にしろこの回答にしろ「回答」とは言えないもので、 「回答欄を使ったあなたへのメール」みたいなものです。 だから誰かから「これは回答になっていない」と通報されても仕方がないことだし あなたから「私の質問には答えてもらっていません、不愉快です。」と言われても 仕方のないことです。 私の回答こそ「時々間違った、いい加減な回答」の一つにあたるでしょう。 でもあなたに私の意見を言った以上、私の文であなたが疑問に思ったことには 答えなければいけないと思います。 けれども、あなたの補足で行われる質問はもはや私の最初の回答とは関係のない 話であり、答える必要は無いように思います。 それでも答えるとするなら、≪※1≫も≪※2≫もあなたが思ったり考えたり したことなので私にはその違いを正確に回答することは出来ません。 解釈が合っているかどうかも、≪※1≫も≪※2≫も回りくどくて解りにくいので 理解出来ません。 それが私の答えです。 でもこういう経験はあります。 自分で自分に言い聞かせるということ。 例えば久しぶりに乗った自転車。 私の中で「久しぶりだけど乗れるかな?」と思います。 その片方で「大丈夫、きっと乗れるよ。」と言い聞かせます。 私の中には私しかいないけど、まるで別々の私が会話しているようなものです。 何かをきっかけに何かの現象が起きるということ。 私は以前にとても辛い経験をしました。 今でもその頃に流行っていた歌を聞くとその時のことがふっと思い出されることが あります。 その時に全く違うことを考えていたのにその歌を聞くことで当時のことが蘇って くるのです。 私はその歌と辛い経験を結びつけて覚えてしまっているのでしょうね。 無意識のうちに言葉が浮かぶということ。 例えば今日の夕飯は何を作ろうか?と考えたとします。 でもなかなか良いメニューが浮かびません。 一旦そのことは忘れて庭の花の手入れをしていたとします。 「あぁ、この花はもうすぐ咲くな」とか「この花はもう終わりだな。」とか考えて いたのに、なぜか突然「カレー」という言葉が頭に浮かんで「あ、今夜は カレーにしよう。」と答えが出たり。 こういうのは「ひらめき」と言うのかもしれませんね。 ひらめきには助けられることが普段から色々とありますよ。 それから、そういうひらめきの経験以降は庭やお店でその花を見ると「カレー」と いうフレーズがパッと頭に浮かぶようになってしまった、みたいなこともあります。 これは上記の「何かをきっかけに何かの現象が起きるということ」と同じ現象ですね。 TVで見た俳優さんの名前がどうしても浮かばなくてず~っと悩んだ末に忘れて、 お風呂に入った途端に「○○さん」と俳優さんの名前を思い出したりもあります。 そんなことは私の中に私一人しかいないはずの私でさえ日常茶飯事です。 でもそれを不思議とも変だとも思いません。 誰にでも普通に起きることだと思っているからです。 あなたは主治医が「統合失調症の症状」と答えることに不満を持っているようですが、 主治医があなたと会話をしてみて診察してみてそうおっしゃるのならそれが あなたの病状です。 それで満足出来ないのなら「この診断では満足出来ないんですけど。」と主治医に 伝えることが大事です。 私の意見は変わりません。 未然形がどうの、助動詞がどうのではなく最初に浮かんだ言葉、文があなたの 気持ちや思いを一番上手に表現していること。 主治医には言い換え文を見てもらうのではなくてあなたの症状を診てもらうことが 大事だということ。 「稀に」を「時々」に訂正したというのは、「最初は“稀に”って思ったけど後から よく考えたら“時々”の方が正しい表現だろうな。」と思われたからでしょう? そうやってもう一度よく考えて、もっと自分の気持ちにあった言葉を見つけることが 大事なことです。 それでも誰かに言い換えて貰うという欲求が抑えられないのなら質問を繰り返すしか ないでしょうね。 けれども補足で最初の質問とは関係の無いような質問を繰り返さないことも大事です。 補足は相手があなたの質問をかなり勘違いしていたりする時だけのはずです。 皆さん一生懸命に考えて回答してくださっているのですから、よほど変な回答でない 限りは「有難うございました。」以外の返事は本当は無いはずです。 私からの回答とは言えない回答はこれで最後にします。 元からこの質問とは関係のない話ばかりでごめんなさいね。
- CC_T
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No.5より。 > お手数ですが、このことに関してもう一度回答下さると助かります。 今回の質問は、「どのような文章にすれば回答を得やすいか」というものであり、「↑の質問内容」である言い替えについては今回の質問とは別の内容、すなわちノイズ(雑音)です。ちょうど部屋の中に飛びこんできたアブかハエのようなもの。 ですから、私に新たに手間を強いようという「↑の質問内容」について、「しつこい・うっとうしい・邪魔」といった感情を持ったわけです。 ついでに、『―――のように、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」などがついていない文章に変えれるものはあるかどうか』などという、コピペ(コピー&貼り付け)のような『同じ文言の繰り返し』も、何度も同じ文章を読まされる方はかなりの「うっとうしさ」を感じますので、今後はぜひそういった点にも留意されたほうが良いと思います。 以上、本件私はここまでで手を引かせていただきますが、あしからず (_"_)
お礼
度々ご回答をどうもありがとうございました。 要するに質問とは関係ない話をしていたことをおっしゃっていることを思いました。 僕の遣り取り内容では話が脱線していたということに思いました。 同じ文言の繰り返しに関しては他の言い方がわからなかった理由でそうなりました。
- toroken
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こんにちは。 >稀に間違った、いい加減な回答もありますが・・・(以下、省略) そうですね、中にはそういう回答もあります。 私はその点に触れませんでしたが、あなたがそのようにどの回答が間違っていたりいい加減な回答だと思うのかを 自分の中で区別や判断していらっしゃるのは素晴らしいことだと思います。 あなたが他人様の文を理解しているという証明にもなると思います。 さて、補足に対する私の考えです。 【A】に関して。 OKwaveでのそのやりとりを私も拝見しました。 その方はあなたの質問を「無理強いする印象がある」ように感じられたのでしょうが、私は「上から目線(偉そうな 態度)」に感じました。 まるで大学の教授が生徒たちに試験問題を出しているみたいだな、と。 一つの文でも人によって受け取る印象は違います。 でもどちらにしても良い印象ではなかった、ということは一致しています。 だからあなたが「1つだけでなく出来れば・・・」と変えたことは良かったとは思います。 でもだからと言ってその質問が正しいかどうか、は私には解りません。 何故なら文の推敲や添削を人にしてもらうことはあっても「文を言い換える」ということはしないからです。 普通はしないことをお願いしているのにも関わらず、それを親切な人が私から見ると100点満点の回答を 出してくれています。 それでもあなたは納得しない。 あなたのその強い“こだわり”は他者には解りません。 私を含め他者は高機能自閉症(このことはあなたの自己紹介にも載っていることなので隠していることではないですね。)の 症状の一つなのだろう、と想像して納得するしかありません。 そうだとしたら、私は精神科の主治医には他者に教えてもらった「言い換え文を見て」もらうのではなくて、あなたの 「その症状(強くこだわってしまうこと)を診て」もらうことが重要ではないかなと感じます。 【B】に関して。 これに関しては可能か不可能かよりも、私は反対です。 まずはあなたの 【B】でも毎月・・・ 以降の文を主治医に見てもらう文と仮定して私なりの文にしてみますね。 【B】でも毎月1回精神科に行って主治医に自分の中だけで起きた出来事を伝えて楽になりたいのです。 今後は例えば診察の3日前くらいまでにOKwaveで「主治医に見てもらう内容を添削していただけたら助かります」という風に 質問して添削してもらって、回答者から戴いたその文を主治医に見てもらうのはどうかな?と思ったのですが、それでも 良いと思いますか? 勿論その答えには「~れる」「~られる」の助動詞が含まれていない文にしてもらいます。 そうしてもらうことでスッキリするのです。 あなたの文と私の文はほぼ同じことを言っています。 でも私の文はあくまであなたの文を下地(参考)にした「私の文」です。 私が添削した文を主治医に見てもらったら、あなたは主治医に自分の文ではなくて他者(この場合は私ですね。)の文を見て もらうことになります。 これではあなたの今の病状が伝わらないのではないですか? 医師はあなたと会話したり、あなたが持ってくる文を読んであなたの今の状態を判断されると思います。 他者の文を読んでもらったら医師は正しい判断を下すことが出来ないかもしれません。 それはとてもいけないことだと思います。 少し逸れた話をします。 あなたは以前に学生さんの数学の問題に回答されていましたね。(今はその質問は削除されているようです。) 他の方がその質問に対して「宿題を人に解いてもらうんじゃない。」と回答していたものがありました。 その回答は質問者からみたら当然「間違い」です。 けれども、私からみたらその回答は「正しい」と思います。 何故なら勉強をする中で解らないことがあったら正直に「解らない」と言って“どうやってその問題を解くのか”を 教えてもらうことが大事だからです。 ここに質問することでその数学の問題の答えは解るけど、答えを出すまでの過程を理解していないとその問題を 解いたことにはなりません。 最終的に出た数字が答えと間違っていたとしても、問題を解く過程を理解していれば何度もやり直すことでいずれ 正しい答えに辿りつくでしょう。 その時に自分はどこでつまづいたのか、に気付きます。 正しい数値やグラフの答えだけが数学の問題の答えではありません。 自分で考えて答えに辿りつくことも大事なことです。 だから数学の問題は「答えはこれです。」と教えることよりも、「この問題はこんな風に解いていくんだよ。」と 解き方を教えてあげるのが本当の回答だと思います。 例えば「1+2の答えはなんですか?」と聞かれたら、「3」と答えてあげるよりも「鉛筆を1本とペンシルを2本用意しましょう。 鉛筆とペンシルをまとめて数えたら何本ですか?それが答えです。」と答えてあげる方が質問をした人にとっては良い勉強に なります。 1+3= という問題が出たときは人には聞かずに1本の鉛筆と3本のペンシルを用意して自分で数えることでしょう。 これが中学・高校の数学ともなると説明するのも難しくなるでしょうが、そういう時こそ学校や塾で先生に質問してその場で 理解していくことが大事なことなのです。 私がこの話の中で言いたかったことは、ここで解いて教えてもらった答えは先生には○を付けてもらっただろうけど、 その○をもらったのは数学の問題を質問した学生さんではなく、ここでその問題の答えを出した人だってことです。 学生さんはその問題のことを全然理解していないままに、です。 これではダメですよね。 【B】の疑問も同じじゃないですか? 主治医はあなたの文を読まなくちゃいけないのに誰かに添削をお願いすることであなたの文は他者の文になって しまいませんか? それではダメなのですよ。正しい診察、診断が行えません。 だから私は誰かに添削してもらった文を主治医にみてもらうことに反対なのです。 前の回答でも言いましたが、一番最初に浮かんだ言葉や文があなたの気持ちや思いを一番上手に表しています。 だとしたらそれを主治医に見せることが一番重要なことだと思います。 さて、あなたがどうして「~れる」「~られる」といった文を言い換えてもらいたいのか、私に対する補足で今までよりも ずっと良く解りました。 回りくどい(読みにくい)部分もあったけど、以前よりは理解出来たと思います。 つまり、あなたの中にはあなたしかいない。 なのに何かがあなたの中にいて自分を操っているように感じるのですね。 あなたの中にはあなた一人しかいないのと同じで私の中にも私一人しかいません。 だから私には私の中で何かが私を操っているという感覚はありません。 でもあなたにはそれがある。 「そんなこと有り得ないのに」とあなたは考えているのに、そういう感覚がある。 だから「~れる」「~られる」といった何かに操られている言葉を遣いたくないのでしょうが、そういうことこそ主治医に 伝えなければいけないことです。 そしてどうすればそういう感覚がなくなるのかや、言い換えにこだわってしまうことを軽減出来るかを主治医と一緒に 解決していかなくてはいけないのではないですか? しつこいようですが、自分の気持ちや思いを一番上手に表現出来るのは自分自身です。 誰かに言い換えてもらった文はその回答者の文にしかすぎません。 何かに操ら“れる”感覚があるのなら、それをそのまま主治医に伝えてください。
お礼
こんばんわ。再度ご回答ありがとうございます。 「稀に間違った、いい加減な回答もありますが」という文は「時々間違った、いい加減な回答もありますが」に訂正させていただきます。 後ほど補足にて返信をするつもりです。
補足
補足です。 torokenさんが、 >精神科の主治医には他者に教えてもらった「言い換え文を見て」もらうのではなくて、あなたの「その症状(強くこだわってしまうこと)を診て」もらうことが重要ではないかなと感じます。 ―――とおっしゃっていることについて。 実は自分は「頭の中で発せられた感じがした」と同じ意味である「頭の中で浮かんだ」という文を他人から教わるまでは「浮かんだ」という言葉も知らなかったのです。意味も知らなかったのです。 他人から教わった後は言葉も意味も知ることができました。 「浮かんだ」は言い換えれば「意識に出てくる」ですよね? 僕は「~れる」「~られる」「~させられる」などの受身・使役などの助動詞を使った文で精神科の主治医の先生に自分の中だけで起きた出来事を伝えただけでは全部統合失調症の「作為体験(=操られ体験)」と主治医の先生がおっしゃるのではないかと思ったのです。 よって「~れる」「~られる」「~させられる」などの受身・使役などの助動詞を使った文で主治医の先生に自分の中で起きた出来事を伝えただけでは満足しなかったと感じたことがあったのです。 《※1》 僕は、「~れる」「~られる」「~させられる」が使われた文を書いたことを条件とした言葉を使って自分の中だけで起きた出来事、例えば(1)“喫茶店に行かない日、実際でも幻聴でも何も言われてないのに、何だか「今日も働きに行け」「○○○に行け」と言ったような感じで言われるような信号が伝わってきた感じがしたことがあった”、(2)“声に出さない(しゃべらない)で心の中でいろいろ質問をすると、その質問に対する答え、返事が飛んでくるような戻ってくるような感覚があり、それは人や犬の声が聞こえた時にそういう現象が起きるだけでなく、自分が物音(歩く音とか)を立ててもそういう現象が起きます。要するに自分で質問と答えを言ってしまう感覚があるんです。”など伝えたら主治医の先生は「統合失調症の幻聴だ」とおっしゃいました。 それでこれも「外から伝わってくる」内容のことですけど“自分が心の中で質問してもしなくても、人や犬の声・車の音とかがしたとき、自分が動いた時とかに自分に心の中に言い聞かせてくる感じもあったのです。”と主治医の先生に伝えたら「操られている症状」であると主治医の先生はおっしゃったのです。 でも文章を今、おかしいと思っていて、「声に出さないで」「心の中で」は「頭の中で」と言ったほうが正しいと思うのです。 「自分に心の中に言い聞かせてくる」は「自分に言い聞かせてくる」ということなのです。 《※2》 それで今年の4月に「~れる」「~られる」「~させられる」などが使われてない文を書いたことを条件とした言葉を使って自分の中だけで起きた出来事、例えば(1)“自分の中で問い「今日は○○さんからメッセージが来るのか来ないのか」が浮かんだことに対し、何らかの刺激をきっかけにして問いへの答えを強迫的に決める(心の中で無理矢理答えを言う)ことで、この時に辛く感じる。答えを出すきっかけになる刺激は、様々で、人や犬やテレビの音声、家族のふるまいなど外界の刺激だったり、内的な幻聴や耳鳴りだったりする。そして強引に見出した答えは「来る」だったり「来ない」だったりして、要するに後で答えが当たっていたり間違っていたことに気付くということ。”、(2)“僕は「(言葉を長く詳しく)つなげて言う」などの言葉が、頭の中(心の中)で勝手に浮かんだ。それらの言葉が頭の中(心の中)で勝手に浮かぶまでは、今よりもうまく主体性を保てなく、様々な禁止や命令、制限などが強かったのです”と主治医の先生に伝えたら「こういうことは病気でなくても起きる。誰にでもある」とおっしゃいました。 要するに辛いけど我慢しているということをおっしゃったのです。 ただ「頭の中(心の中)」と表現するのはおかしいと言うことを聞き、「頭の中」と「心の中」は必ずしも同じではないということでした。 (1)「~れる」「~られる」「~させられる」という言葉が使われた文(2)「外から伝わってくる感じ」(3)意に反して起こったなどを条件として主治医の先生に伝えたら統合失調症の症状だと全ておっしゃると思うということです。 今後そのように伝えても統合失調症の症状とおっしゃるはずです。 これだけでは満足しないので僕は、(1)「~れる」「~られる」「~させられる」という言葉が使われてない文(2)意に反して起こったなどを条件として主治医の先生に伝えたいのです。 要するに受身が使われてない文でも主治医の先生に伝えたいのです。 このことでスッキリするのです。 【質問】《※1》と《※2》の違いを回答してくださると助かります。 《※1》も《※2》も意に反して起こったことで、《※1》は「外から伝わってくる」ということを条件として書いた文《※2》は「外から伝わってくる」でないことを条件として書いた文という解釈で合っているかどうかが知りたいです。【ここまで「質問」】 僕はすべての自分の中で起きた出来事を「受身が使われた文」「受身が使われてない文」両方で主治医の先生に書き表して伝えることで楽になるのです。 お手数ですがもう一度回答下さると助かります。
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
A:思考の柔軟性に乏しい’=‘考え方の方向性を色々と変化させながら物事を考えることが苦手’= (^^; 「物事について、色々な異なる見地(視点・観点・見方・立場)から見た状態を考える事が苦手」でどうでしょうか。更に言えば「今考えている事と違う考え方があるのかどうか、改めて考えてみることが苦手」って感じですね。 「固定概念」については、固定観念、視野狭窄、思い込み、偏執、なんて言葉と置き換え可能です。「一つの事に拘っている状態」を指す言葉です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%A6%B3%E5%BF%B5 B:「れる」に自発の用法ってのはあるのですかね? 私は国語を感覚的直感的に捉えているだけで、助動詞がどうとか言う文法上の話はまったく意識していません。だから文法に関しては助言できません。ただ、あなたがこれまでの相談で使ってきた「れる」の類は全て受身の表現(受動態)としか感じられなかった以上、それ以上の文法的な言葉は「全く言う必要が無い事」と感じるのです。 そういう「必要無い部分」を取って、文章を簡単にまとめる事を指して、「スマート(気が利いた・格好いい)」と表現しました。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/119920/m0u/ 「くどさ」は「くどい」状態を指した言葉ですね。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/62386/m0u/ 同じ言葉の繰り返しが何度も出てくる事を、「しつこい、うっとうしい」と言いたいのです。 「質問の仕方」を問うている質問の中で、Cのように「言い替えの質問」を取り出すことも、「くどい・うっとうしい」行為にあたります。 ~~~ 以上、今回も私の提案はNo.2回答内容から変化しません。 強いて言うなら、分かりやすい回答を求めるため、最後に「なお、説明文はなるべく、中学生程度でも理解できる簡単な表現でお願いします。」という一文を付け加えておけば良いのではないか、というくらいです。
お礼
再度ご回答ありがとうございます。 補足にて質問があるので、お手数ですが再度ご回答頂けると助かります!
補足
補足です。 >思考の柔軟性に乏しい’=‘考え方の方向性を色々と変化させながら物事を考えることが苦手’= (^^; 「物事について、色々な異なる見地(視点・観点・見方・立場)から見た状態を考える事が苦手」でどうでしょうか。更に言えば「今考えている事と違う考え方があるのかどうか、改めて考えてみることが苦手」って感じですね。 : このことに関して、要するに例えば『頭の中で発せられた感じがあった』という「~れる」「~られる」がついた表現を『頭の中で浮かんだ』というふうに「~れる」「~られる」がついた表現に頭の中で言い換えることが苦手という解釈に思いました。 >「固定概念」については、(中略)「一つの事に拘っている状態」を指す言葉です。 : このことに関しては自分が例えば『頭の中で発せられた感じがした』という表現を『頭の中で浮かんだ』というふうに表現を他人に言い換えてもらいたい気持ちが強いことだと言うことを思いました。 「~れる」には自発の用法があるとCC_Tさん以外の方から聞きました。 例えば質問文にある『頭の中で発せられた感じがあった』というのは自発的表現だと思うのです。そういうふうに聞いたような気がします。 「頭の中」という言葉がついているので、自発的表現だと思うのです。 ただ、意に反して起きた場合の言い換えに関して、受身以外の自発・可能・尊敬表現の言い換えはできるかどうかが疑問です。(自分ではわからないので、疑問を感じました) スマートおよびくどいという内容は大体理解できましたが、 > 【C】それと可能・敬語の助動詞「~れる」「~られる」などがついた文は、質問文 >> 1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した ―――のように、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」などがついていない文章に変えれるものはあるかどうかをお手数ですが、回答して下さると助かります。【ここまでC】 ↑の質問内容がCC_Tさんにとってどうしてうっとうしいかが知りたいです。 お手数ですが、このことに関してもう一度回答下さると助かります。
- toroken
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この質問に対しての答えにはならないでしょうが・・・。 過去やこの質問に対する他の回答者さん方の答えは私にすれば100点満点のものばかりだと 思います。 それでもあなたが納得しないのは、あなたにとって答えはどうでも良いからじゃないですか? それはあなたご自身がが質問の中でもおっしゃっているように「他人に文を言い換えてもらう ことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがある」からではないですか? だから100点満点を超えるような素晴らしい回答でもどこかに不満を無理やりに見つけて 補足で質問を繰り返す、そう思えてなりません。 人は未然形がどうのとか助動詞がどうのとかを考えずに思ったことを文にします。 後で読み返してみて主語と述語が合っているか、誤字脱字が無いかくらいの見直しをすることは ありますが、よほど変な文でない限りは大きく変化させることはないでしょう。 何故なら一番最初に頭に浮かんだものがその人にとってその状況を説明するための最高の 表現であるからです。 と言うことは、あなたの頭の中で最初に浮かんだ文があなたにとってその状況を説明するための 最高の表現です。 その文に「れる」「られる」などが付こうと付くまいと、です。 あなたのその最高の表現を、他者がそれ以外の表現に言い換えることは不可能です。 だからもうこのことにこだわるのは止めましょう。 私は未然形がどうのとか助動詞がどうのとかを気にするよりも、回答者さんから指摘された 「回りくどい文」をスッキリとした文(読みやすい文)に直したり、「家族の方がおっしゃる」と いう表現を直したりと文の基本を勉強する方が先だと思います。 (家族に対して尊敬語は遣いません。「家族の者が言った」か「家族の者が申した」と いった表現になります。 無理に「の者」を遣う必要もありません、「家族が言った」でも充分通じます。) もっと言えばあなたのこの質問のタイトルの文もおかしいですね。 「★印の質問の仕方で回答がつきやすくなるか」や「★印の質問の仕方の方が回答が つきやすくなるか」でしょう。 小さい違いのようですが文が得意な人から見るとこういうことの方が未然形や助動詞などと いったことよりも気になります。 では、ここで回りくどい例文を挙げてみます。 今朝、私は朝5時に目が覚めた。 朝5時15分に居間に行くと誰かがもうこたつに入っていた。 まだ朝5時15分なのに、こんなに早くからこたつにいるのは父だろうなと思った。 朝だから私はお父さんに「おはよう」と言おうと思って父を見てみると、それは大きなクマの ぬいぐるみだった。 上記の文章には時間のことが何度も出てきます。普通は最初に1度言えば判ることです。 また、「今朝」は「今日の朝」を表すので「朝5時」と言わなくても「5時」は「朝の5時」だと いうことが判ります。 上記の文章ではこの部分が“回りくどい言い方”になっているのでスッキリとさせてみます。 「5時15分」と言うのも読み手にはそれほど重要なことではないので省略するか言い方を 換えます。 2行目で「誰かがこたつに入っていた」状況を説明しているので、3行目の文から「こたつ」と いう言葉を省きます。 それから、この文章では父親のことが「お父さん」と「父」という言い方で出てきます。 これはどちらかに統一した方がスッキリとします。 小学低学年ならともかく、大人なら「父」の方が妥当な言い方でしょう。 では直してみます。 直すと言ってもこれもまた一つの例にしかすぎません。 他の人が直したらまた違った文になると思います。 文と言うのはそれだけ色々と(大げさに言えば人の数だけ)あります。 一つの言い方にこだわる必要はありません。 今朝、私は5時に目が覚めた。 少しして居間に行くと誰かがこたつに入っていた。 まだ早い時間なのに、こんな時間からいるのは父だろうなと思った。 私は父に「おはよう」と声を掛けようと思ってよく見ると、それは大きなクマの ぬいぐるみだった。 どうですか?行数は同じだけど上記の文章よりもスッキリしてませんか? もっとスッキリとさせるなら3行目の「まだ早い時間なのに」を省いてもかまいません。 4行目の出だしの「私は」を省いても読み手に伝わります。 逆に今度はこれに少し文を足したり言い方を変えたりしてみます。 今朝、私は5時に目が覚めた。 この冬一番の冷え込みだったらしく、布団の中でも寒いと感じたからだ。 もう一度寝ようと思ったが寝られなかったので居間のこたつで温まろうと思った。 まだ早い時間なのに、もう誰かがいる。 誰だろう?父だろうか。 「おはよう」と言おうと思ってその人を見てみたら、それは妹の大きなクマの ぬいぐるみだった。 妹はこのぬいぐるみが大好きなので、風邪をひかないようにと寝る前にこたつに いれてあげたんだなと思った。 このように文を足すことで「この冬一番寒い朝だったんだな。」と言うことが読み手に 伝わります。 また、「もう一度寝ようと思ったが」と言うことで“本当は起きる気はなかった”という 文にはしていない書き手の気持ちも伝わります。 「誰だろう?」と入れたら読み手も「誰かな?」と一緒に考えることが出来ます。 そして最後の一文で誰が何のために、何故ぬいぐるみをこたつに入れていたのかが 判ります。 どうですか?最初の文よりも文字や文は増えてしまったけど文を書いている人の 気持ちやその場の状況がよく判るようになっていませんか? 文と言うのはこうやって組み立てて行くのです。 最初の方でも言いましたが未然形がどうの、助動詞がどうのではなく、最初に 浮かんだ言葉、文があなたの気持ちや思いを一番上手に表現しています。 それに言葉や文を足したり削ったりすることで相手にもっと気持ちが伝わるのです。 こういうことを勉強してみてください。 最後にもう一つ。 あなたは他の回答者さん宛ての補足の中で「例えば本を読んだりして自分にあった 言葉を見つけるには時間がかかるし」とおっしゃいますが、自分は本を読んだり 勉強をしないままで人を頼るのはここで回答する方々に対して失礼です。 回答者は辞書代わりではありませんし、回答をくださる方々は自分の時間をあなたの ために遣っているのですよ。 一生懸命に本を読んだりして勉強したけれども判らなかった、と言うのであれば 力になってあげようという気持ちにもなれますが、自分の為に時間を遣わずに 簡単に答えを求めようとする姿は反感を持たれるだけです。 あなたは他の方の数学や英語の質問に対して詳しく答えていますね。 他人様の質問に答える時間があるのなら、その時間を自分の疑問の為に遣うことも 大事です。 厳しいようですがもっと自分で勉強しましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 補足にて返答・質問をするので、お手数ですが、もう一度回答を下さると助かります。
補足
補足です。 >過去やこの質問に対する他の回答者さん方の答えは私にすれば100点満点のものばかりだと思います。 : torokenさんがそう思うことについて、以前『国語』カテゴリで聞いた話ですが、okwaveには誠実な回答をしてくださる方が多くいると聞きました。 稀に間違った、いい加減な回答もありますが、誠実な回答・率直な回答・ちゃんとした回答をしてくださる方が多いですよね? >それでもあなたが納得しないのは、あなたにとって答えはどうでも良いからじゃないですか? それはあなたご自身がが質問の中でもおっしゃっているように「他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがある」からではないですか? : “どうでも良いから”という理由で納得しない訳ではありません。 torokenさんがおっしゃる「他人に文を言い換えてもらうことが好きですし、文を言い換えてもらいたい気持ちがある」という考えが妥当です。 【A】僕はOKwaveで回答をしている方から、1つの質問に対して2つの答えを求めるのは回答者さんに無理強いする印象があるためにこうした質問の仕方は良くないということをメールで聞きました。 つまり、僕が思うには「1つだけでなく2つ以上言い換え文を教えて下さい」と質問するのではなく、「1つだけでなくできれば知る範囲で、言い換え文を教えて下さい」という質問の仕方が良いと思いました。 このことについて、どう思うか、正しいかどうかお手数ですが、再度回答下さると助かります。【ここまでA】 他人に「~れる」「~られる」の文を「~れる」「~られる」ではない文に言い換えてもらうことで気持ちが楽になるのです。 要するに自分の中で起きた出来事に対しての苦しみがなくなったり、ゆるんだりするのです。 僕は精神科の診察に月に1回行っています。(毎月行っている感じです) そこで精神科の主治医の先生に一太郎で自分の中だけで起きた出来事を文にして書いたものを見せ、質問をするのですが、答えを主治医の先生からもらうことで楽になったことがありました。 どういう内容で楽になったかと言うと、去年の2月に主治医の先生に自分の中だけで起きた出来事を伝えるまでは自分の中だけで起きた出来事を病気の症状ではないと思っていましたが、主治医の先生に例えば“寝れなかった時とかにもパソコンをやっていた時やごはんを食べた後とかにあった辛いことで、幻聴と耳鳴りが混ざったような音が聞こえ、その音の中から何か嫌がらせでもされているような信号が伝わってくる感じがして非常に苦痛なことがあった”ことおよび“喫茶店で働いている時に間違ったおかしい言葉が頭に浮かび、その後に職員さんが注意する時や口で何かしゃべったり何人かの利用者さんに仕事を伝えたりすると正しい言葉が送られてくる感じがした”など伝えたら、主治医の先生はそのことに対して「幻覚の一種です」とおっしゃり、楽になったことがありました。 その他、「文章を目でたどっていく動きを止められた」とかも主治医の先生に伝えたら、「それは作為体験です」と主治医はおっしゃり、さらに楽になったのです。 しかし楽になっても「(主治医の先生がおっしゃったこととは)関係なくなおす」という言葉がテレビの音声・耳鳴り・犬の吠え声を聞いたことで勝手に浮かんで、それのせいでまた苦しみが増してきたのです。 また「意に反して行動が止まったのも作為体験です」と主治医はおっしゃり、ここで一番楽になったのです。 僕は「(主治医の先生がおっしゃったこととは)関係なくなおす」という言葉が勝手に浮かんだことを自分は「主治医の先生が作為体験や幻覚などの症状とおっしゃったのに関わらず、間接的に何らか(=自分以外のものなど)が自分の中で起きた症状などを操る、動かす」と言う解釈に思ったのです。 これが辛く感じた要因です。 僕が主治医の先生に「発せられた」「操られた」などの「~れる」「~られる」などを使った表現で伝えたのは、そう感じたことがあったからだと思うのですが、僕は「発せられた」「操られた」は有り得ないことだと聞いたし、自分でもそう思ったのです。 「~れる」「~られる」などが使われてない表現で伝えたい気持ちもおまけにあったのです。 言い換えにこだわることから離れられないです。 なぜならば、毎月1回主治医の診察に行って先生に伝えたいことがあるからです。 月1回毎回伝えることで楽になりますが、1回の診察で質問は2つまでと限られていますが・・・。 例えば11月に2つの質問をして主治医の先生から答えをもらって気持ちが楽になる、12月に2つの質問をして主治医の先生から答えをもらって気持ちが楽になる度合いが1ランク増す、来年の1月に2つの質問をして主治医の先生から答えをもらって気持ちが楽になる度合いがもう1ランク増すほうが気持ちが苦しいよりもマシだと感じるのです。 僕はtorokenさんがおっしゃる文を足すことおよび文の内容を訂正することは自分の中で起きた出来事を文にしたものでも有効かと思いました。 >あなたは他の回答者さん宛ての補足の中で「例えば本を読んだりして自分にあった言葉を見つけるには時間がかかるし」とおっしゃいますが、自分は本を読んだり勉強をしないままで人を頼るのはここで回答する方々に対して失礼です。 : そうですか。 【B】でも毎月1回精神科に行って、主治医の先生に自分の中だけで起きた出来事を伝えて楽になりたいという気持ちがあったのです。 今後、例えば診察の1週間前にOKwaveで「主治医に見てもらう内容を添削して下さると助かります」というふうに質問して文を診察の3日前までに添削してもらい、添削して質問を解決させてから、主治医に見てもらう文を一太郎で作成して、プリントアウトして当日主治医に見てもらうという方法をとっても良いかどうか疑問を感じました。 主治医の先生にはもちろん「~れる」「~られる」の助動詞が書かれていない文で伝えるのです。 このことでスッキリするのです。 ここで質問です。 疑問を感じたことに対してどう思うか、可能か不可能か回答下さると助かります。【ここまでB】 よろしくお願いします!
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
A:思考の柔軟性に乏しい’という言葉の意味 「考え方の方向性を色々と変化させながら物事を考える事が苦手」という意味です。 類似の表現なら「固定観念に縛られている」といったところですね。 B:補足で書かれた質問文では、回答数はさほど増えないと思います。 回答が付かないのは、 (1) 「コダワル気持ち」自体に共感ができない。 (2) 『★印以下の文章』自体が非常に長い上にクドく、読みづらい。 (3) 回答に対する延々とした補足を見ると、どんな回答を望んでいるのかますます分からなくなる。 という3つの大きな理由があると思います。 適度の改行、くどさのない簡潔な表現、整理されて理解しやすい内容。 人に文章を読んでもらうために必要なそれら3点が、全て欠けていると言えるからです。 私からの提案はNo.2回答の通りで変更はありません。助動詞云々のくだりは鬱陶しいとさえ感じますので。 言い替えが苦手な事に統合失調症云々が関係しているかは専門外なので知りませんが、あなたの言い替えに対する『病的なこだわり』を初見の回答者に受け入れて貰い易くするためにも、入れておいた方が良い一文と思って入れておきました。 「関係で『か』」とボカしているのは、他の失調症の方に対する偏見を生じないようにとのせめてもの配慮のつもりです。 ~~~ パソコンで答えを探してもほとんど見つからないでしょう。 あなたの捜しているのは「同じ意味の言葉」ではなく、「同じような状態を他の視点から見た言葉」であり、そのような類語検索のできる辞書はまずありません。人間の感性に負う部分が大きいというのもありますが、あまりに多くの言い替えが出来るから、載せきれないというのが大きいでしょう。 そういう言い替えを指す言葉で最も近いのは、「意訳」でしょうね。 意訳:原文の文法構造や単語にとらわれずに、意味するところ、意図するところを再現する手法(出展:wiki) つまり、あなたの場合は根本的な解決のために語彙や表現の幅を増やし、感性を磨いていく工夫をせねばなりません。 それを思いつくままに質問として投げているようでは、古参の回答者は離れていくばかりで、ちらほらと新規の回答者が得られる程度のままでしょう。しかし、回答があまり受け入れられたように見えず、類似の質問自体何度も繰り返してきた経緯から、今では端的に言って「この人に回答の日本語がちゃんと通じているのだろうか?」って悪いイメージがついているようにさえ感じます。 回答は義務ではないので、回答は基本的に「善意の表れ」といったものです。 今回の質問の様に、言いたいことが分かってもらえないから工夫するという姿勢は十分に評価できますし、そこに気が付かれたのは素晴らしいと思います。 私の意見を採用すべし、とは言いませんので、まぁ参考と思ってみてくださいな。
お礼
再度ご回答ありがとうございます。 補足にて返信および質問を書くので、お手数ですが、再度回答下さると助かります。
補足
補足です。 【A】‘思考の柔軟性に乏しい’イコール‘考え方の方向性を色々と変化させながら物事を考えることが苦手’と回答を頂き、「方向性」「固定観念」の意味を調べたにも関わらず、CC_Tさんのおっしゃる‘考え方の方向性を色々と変化させながら物事を考えることが苦手’という文の中の“方向性を色々と変化させながら”という言葉の意味がわかりません。 お手数ですが、再度教えて頂けると助かります。【ここまでA】 【B】No.2補足内容に書いた内容で質問しても回答はつきにくいのですね。 「~れる」「~られる」「~させられる」は受身だけでなく、自発・使役の表現もあると思うのです。 なので、No.2の回答内容を以下のように修正すれば回答はつきやすくなるかどうか疑問を感じました。 ◎質問は★印以下の文章の表現についてです。 これらは私が自分の意思で行った事ではなく、不随意で(意に反して)この状態に陥ってしまったと感じているため、受身・自発・使役的な表現にしています。しかしこの受身・自発・使役的な表現だと文章的にどうにも落ち着かないため、どなたか助けて頂けないでしょうか。 受身・自発・使役的な表現は、例えば「~れる」「~られる」「~させられる」などの表現のことを言います。 ここで質問です。 ◎印の文で質問した場合回答はつきやすくなるかどうかをお手数ですが、教えて下さると助かります。【ここまでB】 【C】それと可能・敬語の助動詞「~れる」「~られる」などがついた文は、質問文 >> 1.『頭の中で発せられた感じがあった』 →頭の中で勝手に浮かんだ 2.『視線をそらす行為を止められた』 →視線が勝手に留まった →視線が意志とは無関係に動かせなくなった →視線が自分の意志どおりに動かなくなってそらせなかった 4.『自分の頭の中の言葉が変換された』 →自分の頭の中の言葉が勝手に置き換わった。 5.『制止が解除された』 →制止が解けた 6.『何らかによって体の動きを止められた』 →何らかのきっかけで体の動きが制止[停止]した 7.『行為を止められた』 →意に反して行為が制止[停止]した ―――のように、可能・尊敬の助動詞「~れる」「~られる」などがついていない文章に変えれるものはあるかどうかをお手数ですが、回答して下さると助かります。【ここまでC】 他人に別の文を回答してもらうことで、自分の中だけで起きた出来事のこだわりがなくなり、胸のつかえがおりることもあるのです。 僕はなるべくわかりやすい文の回答を求めているのです。 僕は具体的な表現である「方向性」などの言葉の意味がわからなかったことがあったのです。 「方向性」という言葉を使って文を書いた内容が理解できなかったのです。 回答を頂いた後に補足をするのは、回答内容がわからない要するに例えば「方向性」「スマート」「くどさ」などの言葉の意味がわからないということです。 さらに「方向性」「スマート」「くどさ」という言葉がついた文の意味もわからないと感じたということです。 関連内容で疑問を感じた点が生じると2度目、3度目の回答が欲しくなるのです。 お手数ですが、再度回答頂けると助かります。 よろしくお願いします!
- CC_T
- ベストアンサー率47% (1038/2202)
・・・国語カテの先生達には苦い顔されそうですけど、回答しときます。 未然形がどうの受け身がどうのと書いたところで、あなたの求める回答に近づくかは大いに疑問と感じます。あなたは学問的な内容というよりも、ご自身のフィーリングに合う表現方法が知りたいわけですから、平たくそう書くべきかと。 難しい回答を読むのもつらいなら、なおさらです。 ~~~ 質問は、★印以下の文章の表現についてです。 これらは私が自分の意思で行った事ではなく、不随意で(意に反して)この状態に陥ってしまったと感じているため、受け身的な表現にしています。しかしこの受け身的な表現だと文章的にどうにも落ち着かないため、どなたか助けて頂けないでしょうか。 私は統合失調症など抱えている関係でか思考の柔軟性に乏しいため、自分では感覚にあった言い替えが難しく、 http://okwave.jp/qa/q7792712.html の質問にあるように、自分が意図して行ったわけではない、このような状態を表す別の表現に改めたいのです。 よろしくお願いします。 ~~~ こういう書き方なら、どこで質問するにせよまだ新たな回答者を得やすいのではないでしょうか。この質問を引用することで、望ましい回答例も示せて簡潔な質問文にできると思います。延々スクロールしなけりゃ全容が掴めない退屈な質問文ってのは閲覧者数が減る元ですから、ますます回答を得るのに不利なります。 なお、タイトルは「『頭の中で発せられた感じ』を別表現にしたいです」など、内容が分かるようにしてください。質問履歴見て「★印の・・・」なんてばかりでは後から見る人には個別の区別がつきません。 あわせて、自己解決に向けた工夫も検討・実施していって下さい。 これは私だけではないと思いますが、特定個人から「すぐに回答ください」レベルで同じような質問が短期間に続いていると、あまりいい感情は持ちませんので・・・。
お礼
ご回答ありがとうございます。 補足にて返信および質問を書くので、お手数ですが、再度回答下さると助かります。
補足
補足です。 >★印以下の文章の表現についてです。 これらは私が自分の意思で行った事ではなく、不随意で(意に反して)この状態に陥ってしまったと感じているため、受け身的な表現にしています。しかしこの受け身的な表現だと文章的にどうにも落ち着かないため、どなたか助けて頂けないでしょうか。 : 質問文の★印の文は3.の『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』が使役受身文で、それ以外は受身・自発・可能・尊敬のいずれかですよね。 CC_Tさんがおっしゃるように質問文の1.~7.を含む自分の中での出来事は不随意に起きたと感じたと言えます。 ただ、 >私は統合失調症など抱えている関係でか思考の柔軟性に乏しいため : は、僕は統合失調症などの病気を抱えている理由で思考の柔軟性に乏しいのではありません。 【A】‘思考の柔軟性に乏しい’という言葉の意味をわかりやすく説明して下さると助かります。これがAの質問です。【ここまでA】 自己解決に向けた工夫ですが、例えば本を読んだりして自分にあった言葉を見つけるには時間がかかるし、家族は喫茶店の職員さんから統合失調症の本を借りて2冊読んでから図書館で本を借りることにするとおっしゃいました。 僕はもし本を図書館で借りるとして本を借りる前から他人から言い換え表現を回答してもらいたい気持ちがあったのです。 パソコンで調べても自分にあった言い換え文がなかなか見つかりませんし、検索しても出てこないことも多くあります。 話を戻しますが、僕が『国語』カテゴリと『心理学』カテゴリに言い換え文を教えて下さると助かりますという質問をしたとします。 【B】以下のように質問すれば回答が来やすくなるかどうか 『国語』カテゴリでは、 質問は★印以下の文(質問文で言う『制止が解除された』『自分の頭の中の言葉が変換された』『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』『視線をそらす行為を止められた』『頭の中で発せられた感じがあった』『行為を止められた』の文)の表現についてです。 これらは、私が自分の意思で行った事ではなく、不随意で(意に反して)この状態に陥ってしまったと感じているため、受身・使役・自発・可能・尊敬の表現にしています。しかしこの受身・使役・自発・可能・尊敬の表現だと文章的にどうにも落ち着かないため、受身・使役・自発・可能・尊敬ではない表現に改めたいのです。どなたか助けていただけないでしょうか。 『心理学』カテゴリでは、 質問は★印以下の文(質問文で言う『制止が解除された』『自分の頭の中の言葉が変換された』『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』『視線をそらす行為を止められた』『頭の中で発せられた感じがあった』『行為を止められた』の文)の表現についてです。 これらは、私が自分の意思で行った事ではなく、不随意で(意に反して)この状態に陥ってしまったと感じているため、「~させられる」「~される」「~れる」「~られる」などの受身・使役・自発・可能・尊敬の表現にしています。しかしこの「~させられる」「~される」「~れる」「~られる」などの受身・使役・自発・可能・尊敬の表現だと文章的にどうにも落ち着かないため、「~させられる」「~される」「~れる」「~られる」などの受身・使役・自発・可能・尊敬ではない表現に改めたいのです。どなたか助けていただけないでしょうか。 上記のように質問すれば回答が来やすいかどうか疑問を感じたので、このことについて回答下さると助かります。【ここまでB】 よろしくお願いします!
★以下の未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞の文を、未然形の動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文および使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の助動詞ではない文に言い換えて下さい。 は、 「以下の、 受け身の形になっている文章(たとえば、「~れる、~られる、~させられる」) を、 受け身の形でない文章(たとえば「~する、~した」) に言い換えてください。」 と言い換えれば、通じやすいとおもいますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ec032064さんは「受身の形になっている文章(例えば「~れる、~られる、~させられる」)を、受身の形でない文章(例えば「~する、~した」)に言い換えて下さい」と質問すれば通じやすいとおっしゃってますが、僕は回答がかえってつきにくくなると思うのです。 例えば質問文の『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』という文だけ言い換えるのなら、“使役プラス受身・自発・尊敬・可能の形の文を、使役の助動詞プラス受身・自発・尊敬・可能の形でない文に言い換えて下さると助かります”と質問すれば回答はつきやすいと思うのです。 『制止が解除された』という文だけ言い換えるのなら“動詞の未然形プラス受身・自発・尊敬・可能の形の文を、動詞の未然形プラス受身・自発・尊敬・可能の形でない文に言い換えて下さると助かります”と質問すれば回答はつきやすいと思うのです。 『自分の頭の中の曲を再生させられた感じがした』という文と『制止が解除された』という文両方とも言い換えたい場合は使役の助動詞あるいは動詞の未然形プラス受身・自発・尊敬・可能の形の文を、使役の助動詞あるいは動詞の未然形プラス受身・自発・尊敬・可能の形でない文に言い換えて下さると助かります”と質問すれば回答がつきやすくなると自分は思いました。 2件目以降の回答が来ることを期待しています。
お礼
度々ご回答をどうもありがとうございました。 そうですか、#6の補足に書いた≪※1≫の文も≪※2≫の文もくどい(要するにわかりづらい?)内容の文だったのですね。 例えば≪※1≫の文中にある“「今日も働きに行け」などを言われるような信号が伝わってきた感じ”というのは“「今日も働きに行け」など言われるのを強制されていて、それが自分に伝わった”ということです。 要するに操られる感じを受けたような錯覚だと思ったのです。 言い換えれば「今日も働きに行け」と言う言い聞かせに抵抗を持ったにも関わらず、「今日も働きに行け」と言う言い聞かせがあったと言い換えられると思ったのです。 要は勝手に浮かんだとも言えると思うのです。 主治医の先生に今後の診察で、 “「~れる」「~られる」「~させられる」などの使役および受身、自発表現を用いた文で自分の中だけで起きた出来事を伝えて「統合失調症の症状です」と答えをもらっただけでは満足しません。僕は「~れる」「~られる」「~させられる」などの使役および受身、自発表現が用いられてない文で自分の中だけで起きた出来事を伝えることに対する答えも欲しいのです” こう伝えればいいかと思いました。