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無常やこの世のはかなさを語った人物

 失礼します。 この世の無常感やはかない世であると 書かれた書物や文学作品など、ご存知ないでしょうか? 日本だけでなく、中国や欧米などの文献も知りたいのですが 教えて頂けませんでしょうか? 日本では平家物語しか知りません。 李白もそのようなことをうたっていたような気がしたのですが、、、、 教えてくださいませ。

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回答No.2

日本で、その手のものなら、平家物語以上に、 無常感の代名詞みたいになっているのが、 鴨長明「方丈記」です。有名なので出だしはご存じかも。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html >李白もそのようなことをうたっていたような気がしたのですが、、、、 「白髪三千丈」のことでしょうか http://blog.hix05.com/blog/2009/07/post-1057.html 杜甫の「春望」、国破れて山河あり、の方が、 もう少し「無常感」っぽいので、その勘違いかも。 http://www.geocities.jp/the_longest_letter1920/shunbou.html ただ、どちらにせよ、というか、漢詩全体として、 「無常感」には、向いてない?少なくとも、日本人の 思う無常感とは、違うんじゃないかな、という気がします。 西洋、というか、旧約聖書に、もっと近い感じの文章があります。 カトリックの聖書だと、確か「伝道者の書」、 プロテスタントの聖書だと、「伝道の書」、 新共同訳だと、「コヘレトの言葉」という文書で、 プロテスタントの聖書(日本聖書協会・口語訳聖書)から引用すると、 第1章から、 「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。 」 「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。 「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。 」 「わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである」 「わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。 それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」 何て言葉のオンパレード、ちょっと見ているだけだと「聖書」とは思えません。 で、こういうフレーズが延々と続いて、最終章の出だしの1節が、 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、」 あぁ、なるほど、こういうことだったのか、と、思いますが、旧約聖書・新約聖書を通して、個人個人は別として、日本人全体としての心を一番くすぐるのは、この書かと思います。機会があったら、一度読んでみると面白いかもしれません。

benkyouchu
質問者

お礼

 伝道の書は5回ほど読んだことがあります! その内容に共感するところがありました ! ありがとうございました^^

その他の回答 (5)

  • SPS700
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回答No.6

    色は匂へと散りぬるを     我か世誰そ常ならむ     有為の奥山けふ越えて     浅き夢見し酔ひもせす     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C    上記ですと10世紀末から11世紀中葉に出来たようです。

benkyouchu
質問者

お礼

ありがとうございました!

  • boko10cho
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回答No.5

書物や文学作品ではありませんが、平安初期の檀林皇后は、人々に無常を示すために 自分の死体を放置させ、九相図を描かせたという伝説があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E7%9B%B8%E5%9B%B3 また、唐の劉希夷には「代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)」という詩があります。 (書き下し文の調子を味わっていただきたいので、現代語訳は書かかないでおきます。) 洛陽城東桃李花  洛陽城東 桃李の花 飛來飛去落誰家  飛び来り飛び去って誰が家にか落つ 洛陽女児惜顔色  洛陽の女児 顔色を惜み 行逢落花長嘆息  行(ゆくゆ)く落花に逢いて長く嘆息す 今年花落顔色改  今年 花落ちて顔色改まり 明年花開復誰在  明年 花開いて復(ま)た誰か在る 已見松柏摧為薪  已に見る 松柏摧(くだ)かれて薪と為ることを 更聞桑田変成海  更に聞く 桑田変じて海と成ることを 古人無復洛城東  古人復(ま)た洛城の東に無く 今人還対落花風  今人還(ま)た対す落花の風 年年歳歳花相似  年年歳歳 花相似たり 歳歳年年人不同  歳歳年年 人同じからず 寄言全盛紅顔子  言に寄す 全盛の紅顔子 応憐半死白頭翁  応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁 伊昔紅顔美少年  伊(こ)れ昔 紅顔の美少年 公子王孫芳樹下  公子王孫 芳樹の下 清歌妙舞落花前  清歌妙舞 落花の前 光祿池台開錦繍  光祿の池台 錦繍を開き 将軍楼閣画神仙  将軍の楼閣 神仙を画く 一朝臥病無相識  一朝病に臥して相識る無く 三春行楽在誰辺  三春の行楽 誰が辺にか在る 宛転蛾眉能幾時  宛転たる蛾眉 能く幾時ぞ 須臾鶴髪乱如糸  須臾(しゅゆ)にして鶴髪乱れて糸の如し 但看古来歌舞地  但(た)だ看(み)る 古来歌舞の地 惟有黄昏鳥雀悲  惟(た)だ黄昏 鳥雀の悲しむ有るのみ 「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」は、無常感を表す句として よく例に出されます。 さらに、孔子も、「逝く者は斯(か)くの如きか、昼夜を舎(お)かず」 〔過ぎ去ってゆくものは、この(川の流れの)ようなのだなあ、昼も夜もなく(流れ去って)止むことがない〕 という有名な言葉を残しています。 これを「川上(せんじょう)の嘆」といいます。

benkyouchu
質問者

お礼

 確かに!孔子は有名ですよね^^ ありがとうございました!

  • TANUHACHI
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回答No.4

 ある意味で言えば『蜻蛉日記』などもそうでしょうね。「かくありし時すぎて~」で始まるこの作品は平安時代の女性であり歌人としても有名な藤原道綱母による日記です。夫藤原兼家と結婚したものの決して幸福とは言えない結婚生活、兼家のもう一人の妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾の登場また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先でのできごと、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事が綴られていきます。普通ならば嫉妬に狂い、自らの命を絶ちかねない情況の中で、自身を対象化して時には冷ややかに嗤うなど、恋一途な女性からは到底想像も付かないほどに醒めた目で自らの人生を振り返るなど並大抵ではありません。  他にも芭蕉の『奥の細道』などもそうした「漂流者」の系譜にあたる作品ですね。小林秀雄を挙げられた方もいらっしゃいますが、そのものズバリのタイトルを冠した作品が唐木順三の『無常』です。

benkyouchu
質問者

お礼

回答ありがとうございました^^ 中学生の時に少し触れたい記憶があります^^

  • hunaskin
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回答No.3

そのものズバリ 「モオツァルト・無常という事」 小林秀雄

benkyouchu
質問者

お礼

 ありがとうございます!

  • cbm51901
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回答No.1

アーネスト・ヘミングウェイの作品で、「武器よさらば」、「老人と海」、「誰がために鐘は鳴る」。

benkyouchu
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。 老人と海は中学生の時に読んだもので 内容を忘れていました。 感謝です!