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友情とは何か?結論は友情は契約!
- 友情は人と人との間に成り立つ契約であり、小さな親切をすることで大きな親切を期待する関係です。
- 友情は利益に関係なく成立する純粋なものである一方、メリットを見越して友情が成立するという考えもあります。
- もし純粋な友情を持っているのであれば、関係を成立させる基盤はお互いへの信頼や理解、共有する価値観などです。
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1、ある意味正しい。しかしそれは友情(友人)という単語を使っただけの単なるステークホルダーの事ではないでしょうか? 2、結果としてメリット・デメリットが発生するというだけで、それを念頭に置いていない人間関係は持っています。 3、「一緒にいて楽しいから」が基盤だと思います。しかしそれをメリットと捉えるとなると2の答え自体が覆されてしまいますが…… 4、「お互いがそれぞれの価値観に共感し、相手への信頼関係を持つ間柄に生まれる親愛の感情」とでも言いましょうか……。 う~ん難しいですが、やはりメリットやデメリットが念頭にあるかないかだと思うんですよね。 >対人関係において、メリットの無い関係というものがよくわかりません。 これは私もそう思います。 「付き合いの結果としてメリット・デメリットが発生する」か「メリット・デメリットを考えた上で付き合うか」の差だと思うんです。 小学生の時とかって、いちいちコイツと付き合えば宿題やってくれそうとか、家が金持ちっぽいからとか考えて付き合ったでしょうか? 価値観が合って、一緒にいて楽しくて、なんか解らないけど信頼してて。 そいつが苛められてたら「てめー!俺の友達に何すんだよ!」って一緒にケンカして。 その時にいちいちメリットやデメリットなんて私は考えていなかったなぁと思います。 そこにあるのが友情ってやつだったのかな?と思います。 そう考えると大人になればなるほどそういう意味での友情って無くなっていってるような気がしますね。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。お邪魔します。 ○ (モンテスキューの心の内なる影の声):じつはわたしは 利害関係を超えた――ということは 利害関係に換算すると こちらの持ち出しになってもよいと〔無根拠にて〕思える――あいだがらが 友情としてあると思っていた。けれども・・・かなしきかな 人間よ。 ☆ というところではないでしょうか? ただし モンテスキュー本人の心つもりなどなどは 申し訳ないですが 知りません。 (1)への回答でしたが これは(4)にも答えていると思います。 (3)についても 少し延ばして《こころざし》といった基盤を考えればよいかと思います。 (2)については 双方向の問題になりますが それでも主観のみでいいよということでしたら 《純粋な友情》を持っています。ただしどこまで発揮できるかは 微妙です。 つまりその意味は 健康保険も年金にも入っていない しかもこの歳になって仕事が減ってしまった たすけてくれと言われて こちらの財力を超えて助けることは出来なかった。共倒れをおそれて しなかった。(ごく微細なことのみしかできなかった。でも 持ちこたえたようでもある)。コネも何も金づるはないのだと初めに言ってあったのだけれど 純粋さを最後までは発揮しえなかった。 でも モンテスキュー先生にしても その実行性を超えてなら 友情は志において現実であると思っているのではないでしょうか? そのような夢をもちつづけることは 世間では 阿呆と言うようです。
お礼
ありがとうございます。モンテスキューの内面の声は、そのようなものかもしれません。この意味では、彼は純粋な友情を見出したがっていた、ということはできるでしょう。次の点は何を言っておりますか? >(3)についても 少し延ばして《こころざし》といった基盤を考えればよいかと思います。 志といえば、新撰組のイメージで、何かの政治運動のようなものが真っ先に思い浮かびますが、そういう意味でもなさそうです。あなたのそのご友人と、どのような「こころざし」を共有なさっていたのでしょうか。 ちなみにNo3とNo4の回答から私がくみ取ったことは、友人とは同胞であり、自らのアイデンティティを支えるための基盤となるものであるということです。No3の方にとっては、同胞には無限の価値を見出すべきであって、いかなる貢献も小さなものでしかない、ということのようでした。精神的な同胞という意味で、「こころざし」とおっしゃっていますか? 以上、「こころざし」を定義・説明してくださいませんか?という補足要求です。
補足
No3さんの意見をラディカルに展開するなら、身をなげうつべきなのでしょうね。No4の方も、身を危険にさらして、友人を庇ったようです。実効性を伴うからこその同胞というわけです。この意味では、あなたのおっしゃっている意味は、少し違うかもしれません。 私はアホとは思いませんよ。中国やインドでは、同胞=親類を養うでしょう? 日本でも、かつては村の同胞に対して貢献していたでしょう? 現代でも、大学に多額の寄付をする人もいるでしょう? 学閥を作って、使えない人材なのに、その面倒を見てあげて、優遇する人などいくらもいます。なぜか。そこに自分の帰属意識があるからです。帰属意識を持つなんてことがバカらしいと思う人にとっては、この手の友情はデメリットをもたらすだけで、そもそも阿保らしいことになることでしょう。 そういえば、あなたは前に、どこまでも平等で自由なコミュニケーションを取りたいとおっしゃっていましたね。友情が無ければ、それは不可能であって、友情こそ、あなたが関心を持つべきテーマではないかと思えます。
- 雪中庵(@psytex)
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打算であれば、友情とは言いません。 確かに、自分が困難に直面した場合には、「相手に より大きな貢献を期待する」関係ですが、逆に相手が 困窮した場合には「自分に大きな貢献が期待される」、 つまり打算=経済的な等価交換をこえた、潜在的な 利害の一致を想定した関係なのです。 それを可能にしたのは、人間における社会行動の 可能性=同等の機能の対立ではなく、助け合いに よる共同が可能な遺伝的進化+認識の深まり(非 自己中心的な客観性&長期的な観点)によります。
お礼
ありがとうございます。友情とは打算ではない。だが、「潜在的な利害の一致」がある、ですか。何か深いことを言っているようですが、結局は、「長期的な観点」に還元されるのですね。すなわち、長期的に見ると、何かしらのリターンが来る可能性があるというわけです。「情けは人のためならず」というわけです。これって打算じゃないですかね? あと、おっしゃっているのは「友愛」であって、友情ではないと思います。話のスケールが共同体のレヴェルになっていますので。
ふふふ。。。 これはこれは、えらい具体的な例を持ち出して来ましたね(笑 哲学など、型にハマってしまえば余計理解出来なくなるものですよ。 モンテスキューがどう言う意味でその言葉を残したか、元より本人でなければ分かるものではありませんが、自分であれば、友情にしろ、愛情にしろ、メリットデメリット、強いては利得関係はどんな場合にも発生すると思っております。 >友情とは、誰かに小さな親切をしてやり、 お返しに大きな親切を期待する契約である。 本人から見た目線をどう捉えるかだと思うのですが、自分の場合、親友などに対しては「どんな行為も小さな親切」にしか思えません。 つまり、自分のどんな行動も苦に思わないんですな。 相談されれば、どんな時でも力になるとは思っておりますが、それは相手から見れば「小さな親切」なのか「大きな親切」なのか分かりませんがね。 対し、「相手が自分に対して行動してくれる全ての行動は大きな親切」だと思っています。 自分が相談に乗ってもらったりした際などは、本当に助かると思いますし、またその行動を当たり前だとは到底思えません。 そういう存在がいてくれる、それだけで自分にとってはもう十分立派な「見返り」ですからね。 人は常に何かを求めている存在ですので、これは大きくて、これは小さいなどと目先の事にばかり気を取られているようだと、自分に取って本当に必要だった大きな何かを失ってしまう事になるのでは?と思います。 それに気付くのが、自分の定義ですかね。 もちろん、親友以外には適用出来ませんが。。。
お礼
ありがとうございます。モンテスキューの言葉の解釈をする際に、「大きい」と「小さい」の意味を私とは別の文脈でとったということですね。であるからにして、私の質問の項目に沿って回答することはできない、と。私はモンテスキューの学者ではないので真相はどうだか知りませんが、一つの脱構築的な解釈として、承っておきます。さて本題です。 >そういう存在がいてくれる、それだけで自分にとってはもう十分立派な「見返り」ですからね。 友人が自分の存在を成立させるために不可欠な要素であるということですか。私はそういう気になったことがありませんので、よくわかりません。恋人であろうが、誰であろうが、そういう気持ちになったことが無いのです――となると私は存在していないも同じか、自分の存在について未熟な考えしかもっていないということなのかもしれませんね?。差支えなかったら、具体的に、あなたはご自分をどういう風に定義していて、どういう友達がいらっしゃるのか、具体的に教えていただけませんか(個人情報に触れない範囲で)。私にとっては抽象的すぎて、今一つ、理解ができないのです。
- kiyo7041
- ベストアンサー率16% (69/416)
友情を定義した事はありませんが私自身ごく親しい友人とは「自分が自分らしさでいられる事」だと思います 友人関係で親切を期待してするものでもなく困っていれば助けて又自分も困っていれば助けてもらって 支え合って信用できる関係だと思います 綺麗事かも知れませんが裏切られたら自分にとってそれまでの人だったんだなと学習能力をつけそれなりに付き合っていきます
お礼
ありがとうございます。「自分らしくいられる」ですか。これは一緒にいて、気づまりにならない人、自由に振舞える相手が友人だということでしょうか。自由を確保することを問題にする時、少なくてもお金に換算できる利害は問題ではないということは、理解できます。というのも、良くも悪くも、自分より目下であるとか、能力が乏しい相手の方が、こちらの意のままに動いてくれそうですから、好都合であると予想できるからです。
補足
後で考えが進んだ結果、こちらの意のままに動いてくれる相手でなくても、友情と呼びうる関係が成立することに思いあたりました。その点については、また別の問いを投稿しました。お礼欄がかなり皮肉な書き方になってしまいましたが、私の未熟さのためですので、どうぞお許しください。
- mmk2000
- ベストアンサー率31% (61/192)
哲学者はどうしても時代背景や、自分の経験を含んだ表現になりますので・・・ 1.あぁ、なにか昔、友達に裏切られたのかなぁ、いやになっちゃったんだなぁ、と思います。 2.メリットデメリットを考えてから友達になるのではなく、友達になったらメリットデメリットだった、ということはあります。そして、そのどちらでもない人ももちろんいます。 3.友情のきっかけは千差万別です。たまたま食堂で隣同士だった、とか、職場で同じグループに属した、とか。要は環境とタイミングです。 4.結果論です。つまり、仲良くなって、それが続けば友情です。
お礼
早速、ありがとうございます。3について、私が聞きたい意味とは少し違っていると感じたので、伺わせてください。利害関係が無いのなら、何が関係を継続させる動機になっているのですか? つまり、たとえば環境やタイミングが合わなくなれば、友情は消滅するのですか?
補足
申し訳ないのですが、環境やタイミングが合わなくなって消滅する関係であれば、そもそも、それは友情でも何でもないように思えます。「何となく一緒にいるだけ」の知り合いではないでしょうか。
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お礼
よく考えられた回答を、ありがとうございます。回答者様は、メリットとデメリットが無い対人関係はないという点に同意してくださっています。しかし、 >結果としてメリット・デメリットが発生するというだけで、 とおっしゃる。となれば、損害をこうむっても、それが友情を保つか否かという判断に影響しないと、基本的にはお考えなのでしょうね。利害関係に先立って、友情を考えていらっしゃるというわけです。 ――それは何か?。「楽しい」というものです。しかし「楽しい」は、お笑いを見て快楽を感じるのとは異なることでしょう。自分の同胞だと感じられ、波長が合うことによって生じる安心感に似ているものなのかな、と私はご回答を読みました。 言い換えると、友人とは同胞であり、自らの帰属意識を規定する際に、大きな役割を果たすということです。No3の方のご意見が今一つ私にはわかりませんでしたが、こういう意味なのかな、と関連付けて解釈させていただきました。
補足
皆さま、どうもありがとうございました。この問いは一端、締めさせていただきますが、ここから発展させた問いを新たに投稿いたしました。そちらも参照していただけると幸いです。