- 締切済み
美的感覚に普遍性はありますか?
人が何かを美しいと思う時に、文化や時代を超えた普遍的な「美」の 感覚はありますでしょうか? あるとすればそれは具体的にどういったものに当てはまるでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
「美」の感覚と言ってしまうとあやふやでわかりにくいものになってしまいますが、人間が美しいと思って観賞する物に共通する何か法則や、定番のようなものがあるかと言われたら、それは存在すると思われます。 まず、視覚というのは、それだけではなくて、触覚や嗅覚味覚などと連動した体験に支えられたものであることは前提だと思います。 つまり身体的な裏付けがあります。 人間は自然にはたらきかけて人工物を創ることができますが、人間は自然の産物でもあります。生物の進化の過程で偶然できあがったひとつの種でもあるのです。 したがって人間の中には自然も組み込まれていて、人工物にも自然の一部としての人間が反映していると思います。 人間は自然の調和した風景や現象に心を動かされます。心とは理屈では説明しきれない、生き物としての人間に組み込まれた生きる動機・人間を動かす力と言ってもいいと思います。 また心の動きと言うようなものを一歩離れたところから不思議なもの、おもしろいものとして観察できるというのが人間特有のおもしろい特徴だと思うのです。 こうして自分の心を動かす自然を描き写す、人間そのものの身体を描くという行為は説明できるように思います。 さらに、その自然の中から美しい色や形の組み合わせに着目してそれだけを抽出した物に対しても心が動くのにも気付いて行きます。質感も然りです。 また人工物が人の手を離れ風化して自然物に埋もれて行く情景にも人は生き物としての自分の存在や時間の流れのような物を感じとる瞬間があります。 そのような、生き物としての人間の不思議や心の不思議、美に着目して研究しているのが美術(他の芸術全般)であり、また心に受ける美や醜の法則性などを研究して応用しているのがデザインだと言っても良いと思われます。 具体物の例を挙げるなら 自然の風景、自然の奇異な風景、自然物の色、ある色・形、ある色の組み合わせ、形の組み合わせ、プロポーション、人間や動物の肉体、見慣れていると思っている物の本質に改めて気付かされるような新しい視覚、などなど。 まあこれは一例で、いろいろと考えつくことはできると思います。
実例からいけば、有名な火炎土器(縄文式)の美が現代の芸術家によって再認識されたというようなことがあるように、何千年前の美的感覚と現代の優れた感性がある共通のものでつながっていると考えることは可能だと思います。それが何なのかといわれると良くわからないのですが。 それに、古代人も死者の埋葬には花を手向けたそうです。花は、ですからやはり人間の感じる不変な美、というか「いいもの、何か死者を慰めるもの」とされていたのでしょう。やはり私は古代人も花のうつくしさに惹かれたのだろうと思います。 美にもいろいろありますが、性を抜きにしても、色んな美の感覚が昔からあったように思います。巨大なもの、高いもの、強いものに対して感じる好ましい美的な感覚は、神に対するような驚き、不可知なものへの恐れなどが重なったものでしょうし、あこがれに近いとも言えます。これらは当然ながら古代人が抱いたものがずっと継承されてきたように思います。 ご参考になれば。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
美はどういう時に発生、つまり感じるか、と 言えば、カントの言うように、生命感情が高揚 したときではないでしょうか。 では、どういう時に生命感情が高揚するか。 美は脳で感じます。 そして人間の脳は本能を司る部分と、理性を司る部分、 つまり、先天的な部分と後天的な部分とから 構成されています。 先天的な部分と後天的な部分は互いに干渉し合って います。 例えば、若くはつらつとした異性を眼にすれば やりたくなり、いや生命感情が高揚して 誰でも美を感じ取ります。 これは先天的な脳による作用です。 しかし、 具体的にどんな女性に美を感じるか、 ということは、後天的な脳に干渉され 時代や国によって異なる訳です。 このように美は後天的側面に大きく影響されるので 完全に普遍的な美、というものは無いと思います。
お礼
なるほど、とてもわかりやすいです。 「美を感じるプロセス」は普遍的なものがあるのですね。