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ソ連が崩壊した理由

ソ連が崩壊した理由はなんですか

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  • sudacyu
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回答No.6

 No3です。 <参考>  ソ連八月クーデター http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A38%E6%9C%88%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC <クーデターを起こしたメンバーはヤナーエフ副大統領、クリュチコフKGB議長、ボリス・プーゴ内相、ドミトリー・ヤゾフ国防相、ヴァレンチン・パヴロフ首相、オレグ・バクラーノフ国防会議第1副議長、ワシリー・スタロドゥプツェフソ連農民同盟リーダー、アレクサンドル・チジャコフ国営企業・産業施設連合会会長であった。また、同委員会の正式メンバーでは無かったが、アナトリー・ルキヤノフソ連最高会議議長は、同委員会と密接な関係にあり、謀議に関与していた>  ゴルバチョフを除いたほぼ全ソ連首脳ですね。 <前日の8月18日の午後5時頃ワレリー・ボルジン大統領府長官ら代表団がクリミア半島フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフに面会を要求、ヤナーエフ副大統領への全権委譲と非常事態宣言の受入れ、大統領辞任を迫ったがゴルバチョフはいずれも拒否、別荘に軟禁された。 国家非常事態委員会は8月19日の午前6時半にタス通信を通じて「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」という声明を発表する。反改革派が全権を掌握、モスクワ中心部に戦車が出動しモスクワ放送は占拠された。(当時、アナウンサーは背中に銃を突きつけられた状態で放送をしていたという。[1]) 午前11時になるとエリツィンロシア共和国大統領が記者会見を行い「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表する。エリツィンはゴルバチョフ大統領が国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得、市民はロシア共和国最高会議ビル(別名:ホワイトハウス)周辺にバリケードを構築した。また市民は銃を持ち火炎瓶を装備、クーデター派ソ連軍に対し臨戦態勢を整えた。クーデターに陸軍最精鋭部隊と空軍は参加しなかった。>  国防相がクーデター派だし、首脳部の大半がクーデター派なのに、陸軍の中核部隊と空軍は動かなかったのです。動いた陸軍部隊の一部も、説得されてしまうのですから、軍がソ連首脳を見限っていたのも当然でしょう。   

その他の回答 (5)

  • hekiyu
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回答No.5

1,まず、社会主義体制が上手く行かなかった  という理由が上げられます。  上手く行った国はありません。  理由は色々ありますが、計画経済がそもそも  無理だったし、無理矢理平等で、自由を制約し  国民がやる気を無くしたのも大きな原因です。 2,ソ連が経済に苦しんでいる時、レーガン  政権が、ソ連に宇宙防衛競争をしかけました。  これは戦争の舞台を宇宙にまで広げようとした  もので、米国と軍事費を競ったソ連の経済はますます  困窮することになりました。 3,このままではソ連は負ける、と危機感を持った  ゴルバチョフが、ペレストロイカ、という自由化政策  を採ったのですが、これが弱っていたソ連にトドメを  刺す結果となったのです。  腕力で国民の自由を押さえていたため、やっと保持していた社会主義  体制に、自由化というヒビを入れてしまったのです。  その為、ソ連はあっという間に崩壊してしまいました。 4,ソ連の崩壊を目の当たりにした中国は、社会主義の敗北を  知り、今のような改革開放政策を積極的に推し進めました。  中国は、ソ連の轍を踏まないよう、特区を創るなどして、慎重に  経済だけの自由化を進め、現在のところ大きな成果を上げています。

  • tanuki4u
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回答No.4

ソ連が崩壊した理由はなんですか ゴルバチョフがロシア人的にかっこ良くなかったから。 ソ連という経済体制が崩壊したのは、ほかの方の指摘の通り。 しかしソ連という国家体制が崩壊したのは 1990年3月 ゴルバチョフ ソ連邦大統領に就任(まぁその前からずっとソ連のトップだったが) 1991年6月 エイツィン ロシア大統領就任 (ロシア大統領に実質的な権限はほぼなかった) 1991年8月 反ゴルバチョフクーデター で、この時にエリチィンがクーデターを失敗させ、 1991年11月 ロシア内における共産党の活動停止命令 BY エイツィン 1991年12月 ロシア以外のソ連邦内共和国のソ連邦からの離脱 → CIS体制へ ゴルバチョフではダメだとクーデターを起こしたのだが、そのクーデターを失敗させたエイツィンが、ソ連から他の共和国ともども離脱することで国家体制としてのソ連は崩壊した。 ロシア人的には、ゴルバチョフは西欧かぶれで人気がないが、アル中でもエリチィンの方が人気があったので、エイツィンが指導するロシアなどが連邦から離脱することで、ソ連邦というのが無くなったということになります。 日本で言えば、石原都知事がめちゃくちゃ人気が出て、他の道府県の知事ともども日本から離脱したら、日本という国家が実質的に支配している土地が無くなったので、日本国が崩壊するというようなもの。 日本では起こりそうにないが、ソ連邦の場合、構成する共和国には離脱する権利があり、実質的に離脱出来なかったのは、ソ連共産党がロシアを含めて各共和国を指導することになっていたから。 エイツィンは、共産党の活動を停止させることで、このタガを外して、離脱に成功します

  • sudacyu
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回答No.3

 遠因はNo1の方の指摘の通りです。  直接的な原因は、アフガニスタン侵攻です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%B4%9B%E4%BA%89_(1978%E5%B9%B4-1989%E5%B9%B4)  アメリカが、イラク・アフガニスタンに侵攻して、軍事費を垂れ流したことで、アメリカ発の世界バブルが発生し、未だにヨーロッパ経済が変調をきたし、アメリカ経済が低迷、日本経済までおかしくなっているのはご存じのとおりです。  ベトナム戦争時には、第二次世界大戦後、世界の覇権を握っていたアメリカが、その通価「ドル」を変動相場制に移行せざるを得なくなる状況に追い込まれました。(この時は、資本の自由化が世界中に行き渡っておらず、アメリカの独り負けでした。)  アメリカ+ヨーロッパ+日本ほか、よりも小さな経済圏なのに、10年間も戦争を続けたために、元々無理をしていた経済の崩壊が決定的となりました。  最後は、戦闘をやっている末端の戦線に補給が続かなくなり、ソ連軍は撤退を余儀なくされましたが、「兵士を戦場に送りながら、食糧・弾丸が届かない。」状態を作ってしまった政権に対して、自分の命を張っている『軍人』が、従わなくなってしまったのです。  独裁政権では、軍が動かなければ、崩壊しかありません。

  • nishikasai
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回答No.2

一番さんが詳しくて完璧な回答をしておられますのでわかりやすく短く書きます。 ほら、日教組が提唱して運動会はみんなで手をつないで一緒にゴールインしようと言いだしました。 ソ連が崩壊したのはそれなんですよ。 北朝鮮みたいになっちゃうんですよ。 北朝鮮ではね、階段がね、レンガが二段のところと三段のところがあるんですって。 最初の日は真面目なグループがノルマである一日10段をクリアしました。 二日目はちょっと怠け者のグループが担当し、ノルマはクリアしたものの、手を抜きレンガを二個しか積まなかったんです。それで20段のレンガの階段の段差に違いがあるんです。三段が途中で二段になるんです。 これはまあ笑い話で済みますが、あらゆる産業に手抜きが出てきていい物が作れなくなるんです。そして国の経済がガタガタになり崩壊するんです。北朝鮮がいまその状態です。キムジョンイルが死んだら即、崩壊します。

  • abc0
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回答No.1

大きく分けて2つの理由があります。理論と実際の矛盾面からと国際競争の面からです。 1.理論と実際の矛盾  マルクスの共産主義理論によると、資本家が労働者を搾取して資本の蓄積を行い、労働者に還元しないため、労働者が革命を起こし共産化するのです。  そして、新たに生まれる共産主義社会は、資本主義社会が労働者を搾取して作り上げた資本蓄積を引き継いで発展することになっています。  ところが、実際には資本主義の進んだ国では修正資本主義(資本主義によって得られた利益を、労働者にも分配することによって、資本家と労働者がお互いに妥協点を見出し、革命を起こさない。)が一般化しました。  そして、実際に共産主義革命が起こったのは、農業国から工業国になりかけた、資本家が経営者として未熟で労働者を搾取することしか知らない、資本の蓄積のまだ進んでいない国でした。  これらの国では工業化に際し、農民・労働者を国家が搾取して資本の蓄積を行なうしか方法がありませんでした。ですから、社会が豊かになってくると、労働者が資本家に対してではなく国家や共産党に対して革命を起こす事となりました。(中国はソ連の失敗を見て、経済の資本主義化に方向転換しました。) 2.国際競争  社会主義体制をとった共産主義諸国は、自由主義体制の資本主義諸国と競争することとなりました。しかし、人口・資源・生産力・市場など、経済力は世界の4分の1程度でした。ところが、軍事・技術においては対等の競争を余儀なくされ、共産主義国は無理を重ねました。  社会主義国の盟主であったソ連は、無理を重ねたことで社会に矛盾が蓄積し、経済力がこの競争を支えきれなくなって、崩壊に至りました 簡単に言いますと、社会主義というのは「みんな平等(=つまり、みんな同じ給料、服、物をもつ)」という考えです。 すると、中には働かなくてもみんなと同じ給料もらえるという考えを持つ人がでてきて、結果経済的にもかなり苦しくなったということが言われています。