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嫦娥は複数人夫を持っていたのか?
- 嫦娥は多くの子供を持つ妻として描かれているが、夫は帝俊とゲイの2人とされている。
- 嫦娥は帝俊との間に12人の娘を産んでいることが伝えられている。
- また、羿(ゲイ)の妻としても知られており、罪により俗界におろされていた。
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御質問は3点、 1.嫦娥は複数人の夫を持っていたか? 2.一妻多夫制はおかしくないか? 3.一妻多夫制は神の世界では許されるか? →3.神の世界のことはわかりません。 →2.世界諸民族の歴史に存在するが少ない、現在は希少とされる。 近代文明の視点においては望まれない制度。 自然と戦って生存する人間の民俗としては歴史の事実であり、 種(DNA)を残すのに効率的な方法として、 過去の局地的社会で採用された制度。 現代人が是非を述べる対象ではない。 →1.事実または文献の確認。 後述します。 ------------------------ 嫦娥については伝説、民間伝承が多様、古典文献も一様ではありません。 ・夫婦仲悪く、夫の羿を騙して自分だけ不死を得たものの、月の蟾蜍(ひきがえる)になった。悪女めいた評価。 ・一方で、美女伝説として月の女神、更に音楽芸能方面で現在にまで人気があります。 ・更に、羿の子を宿した嫦娥を帝俊が拉致した。10ヶの太陽も月に行った話もない。 ・加えて、羿と嫦娥は一夫一妻制の先例を創始した。 など。 嫦娥月へ行く説話は西王母神話の関連で存在し、大羿・后羿の混同の中でできてきたもののようです。 →ご質問の一妻多夫の疑問についても、どの伝承に拠るか次第です。 *古代中国中原地域では女系社会で一妻多夫制(長江文明では集団婚)らしいことから、神話時代の嫦娥も一妻多夫の可能性は否定できません。視点を変えると《詩経》が書かれた時期には、既に一夫一妻or一妻多妾(実態は一夫多妻でも建前は別)でした。《詩経》等に嫦娥の話を収録著述した人が嫦娥の生きた?社会をどう設定していたかは断定できません、書いた人の時代の価値観の影響もあると考えます。 このあと述べる文献の記事を眺める限り、嫦娥が同時期に帝俊と羿の妻であった記述は見つからない(私は未見)。嫦娥は一妻多夫ではなかったと推測します、再嫁は排除しません。 古代において、女子の再嫁は普通のことであった(と想定される)ので、そのことの道徳的評価や好悪は措きます。 ------------------------ ☆文献を見る。 説話の出典は、古典《山海经》《帝王纪》《诗经》《吴越春秋》《楚辞》などによります。私のできる範囲でこれらの該当部分を見ると、相互に整合がとれない記述が多くあります。古典が成立した時期に已に伝説化していた証でしょう。更に後代に伝わる過程では、部分を取ったもの、人物の混同があるもの、もともと時代が曖昧なことによる解釈の幅、物語としての発展、儒家による辻褄合わせetc.が想定されますし、矛盾や錯誤の混入は避けられません。所詮は伝説の世界ですから、それとして味わうのが筋でしょう。 一妻多夫に繋がる事項を改めて見直してみました。 頭注:尭-舜-禹-夏-殷-周-秦 嫦娥=桓娥=嫄娥=常羲? 姓は纯狐。 帝俊=帝喾 以下の文中に混在あるので以上を参考に。 本文中個別に出典表示煩雑故に割愛。 昔作成のreportをタネにコピペ&補足しますので、乱雑ごめんなさい。 詳細は後出のURLが参考です、ただし中国語です。 -------------------- 諸文献より拾うと、 a.帝俊(尭ないし以前)=帝喾。 b.大羿(尭の時代)と 后羿(夏の時代)の2人がいる。いずれも弓の名手。 c.文献により、 嫦娥は大羿の妻、 后羿の妻がある。 単に羿の妻もあり。 d.帝俊には4人の妻があった、名は姜嫄、簡狄、慶都、常羲。 e.常羲の娘=嫦娥説がある。 一方で常羲の娘は名も残されず蛮地の王と暮らし蛮族の祖となったなども。この説では、常羲の子は男1女1のみ。 f.嫦娥は帝俊の娘。 g.桓娥=常羲説。桓娥=嫦娥ゆえ、d.を併せると嫦娥は帝俊の妻ということになる。 h.桓娥は帝喾時代の女性で后羿の後妻(ひょっとすると二人目の妻)。 i.羿は王になったが悪政。 j.羿は夏を蹂躙し王となった。 k.嫦娥を帝俊が拉致し妃にする。.嫦娥は羿の子を宿していたが帝は気づかない。 子は帝位に就くが退位。嫦娥は子を捨てて故郷に逃げる。 などなど。 参考資料,出典など:エッセンスのみ和訳 ---1,2,3は材料。4,5,6,7が大羿・后羿・嫦娥--- 1.古今人名考略 http://www.uname.cn/article/Html/Class27/15977.html 神仙也得改名 の項 神話に言うには、桓娥は帝喾時代の女性で后羿の後妻・・・帝喾の妻とは書いていない。 2.嫦娥-百度百科 http://baike.baidu.com/view/19893.htm 嫦娥は姮娥、姓は纯狐,名は嫄娥とも。后羿の妻。 「羿と嫦娥は一夫一妻制の先例を創始した」・・・一妻多夫どころではない。 別の伝承と断り、前記g.がここに登場!・・・嫦娥は帝俊の妻? 同じく 、前記e.がここに登場!・・・嫦娥は帝俊の娘? 3.帝俊-SOSO百科 http://baike.soso.com/v4329117.htm?ch=ch.bk.innerlink 姜嫄、简狄、庆都、常仪 は帝喾の妻。帝喾は帝俊,常仪は常羲とも。 4.后羿-SOSO百科 http://baike.soso.com/v258418.htm?ch=ch.bk.innerlink ・史上に名を残す二人の后羿がいる。 尧帝时代の后羿,弓矢の名手、尧帝が九つの太陽を射るのを助けた。名手 “羿”を下界に遣わした。 夏朝时代の后羿, 夏王朝第六代帝,嫦娥の夫,夷羿とも,夏王朝東夷族有窮氏の首领,尧帝时代の后羿と同じく弓矢の名手。 ・多くの人は太陽を射た后羿が嫦娥の夫と誤解している。嫦娥の夫は后羿と言っても夏代第六代の君王の后羿である。 ・夏の后羿は配下の寒浞に殺され、王位を奪われた。 5.后羿-百度百科 http://baike.baidu.com/view/1217.htm ・(夏代の)后羿は本名“司羿”で文武百官の一人。“司”の本義は知識技能の世襲、“羿”は“射師”の義。“司羿”は“世襲の射師”。帝喾時代に定められ以降この赫々たる職務は伝承された。夏代の初期に至って、王太康が朝政を蔑にし司羿がクーデターを起こす(これが“射日”),以降“后羿”と称す,意味は“世襲の帝王世袭的帝王”。 後に配下の寒浞に殺され、寒浞は王位を奪取する。 当時の習俗に按ずると羿の妻嫦娥を娶ったに違いなかろう。 嫦娥が月へ行き“広寒宮”に入るが,これは将に“寒舍”すなわち“寒浞之舍”。 ・上古時代の后羿=大羿 弓の名手、尭帝が9ヶの太陽を射るのを助けた。上手く行き人々は称えて“大羿”と呼ぶ。しかし后羿の功績は,天神に妬まれ天帝に讒訴され、天帝は后羿を遠ざけ終には后羿を永遠に人間界に遠ざけた。 ・夏朝時代の后羿 后羿,別名“夷羿”,言い伝えでは夏王朝東夷族有窮氏の首領。有窮氏は射弓術の優れた集団で后羿も腕の良い英雄であった。一部の学者は、伝説中の后羿は部分であって、大羿の特徴を融合して創作した神話上の人物と考える。後に寒浞に殺される。 6.大羿射日-SOSO百科 http://baike.soso.com/v5144295.htm 歴史上大羿と后羿がある。両者とも東夷出身。前者は尭帝の時代、後者は夏の太康の時代の人。 この記事では嫦娥に関しあくまでも伝説として触れる→“《山海经海外东经》地望考证”によると:大羿とその妻姮娥(後に天を飛ぶ嫦娥とされる)は死後天台山に葬られた。地元では大羿陵と呼ぶ。 7.嫦娥故事考据 http://www.dzwww.com/zt/zhongqiu/xisu/200708/t20070816_2410654_2.htm 前々から娵訾氏の美女嫦娥にあこがれてきた帝喾は夕暮れに人を遣って彼女を略奪した。娵訾氏の村では文句を言わなかったのは、当時略奪婚が流行っていたからだ。帝喾は嫦娥を連れ去り第四妃とした。《帝王纪》では:“(帝喾)の次妃娵訾氏のむすめ,嫦儀,帝挚を生む。”嫦儀=嫦娥。《山海经·大荒西经》では: 思いがけなくも帝喾は思いもよらなかった。嫦娥は已に羿の子を身ごもっていたのだ。名義上は帝喾の子,嫦娥は挚を生んだ。羿への愛情の記念に,嫦娥は子供の名に“挚”を付ける,これは東夷の祖先少昊の名と同じ。挚は羿と嫦娥の私生児であってこれは確かなこと。挚は名義上帝喾の長子で帝喾崩御の後,挚が当然即位する。政治力が弱く在位九年で異母弟尭により退位させられる。 嫦娥は挚を生んで以降帝喾の都に寂しく暮らした。故郷への思い強くまた羿への思い断ちがたく,終にある日彼女は子を容赦なく見捨て、苦労の末独り東夷へ帰り着く。嫦娥と羿が会った情景はきっと人々を感動させたことだろう。数年の恨みは人々のみでなく国の敵にしみわたっている。すぐに団結し、東夷は間もなく来たらんとする帝喾の激しい怒りに備えるのだ。 8.参考:林雅子氏訳『中国姓氏考』の引用、中国女系社会 http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2006/12/000053.html 9.参考:《詩経における通い婚について》徐送迎 http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/44_2/jyo.pdf
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日本版のウィキにも、短いですが、あります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%A6%BB%E5%A4%9A%E5%A4%AB%E5%88%B6 なぜ一夫多妻制は少ないかと言う疑問はここでも発せられています。 http://www.psychologytoday.com/blog/the-scientific-fundamentalist/200806/why-are-there-virtually-no-polyandrous-society-0