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親鸞の見た風景
宗教の授業で タイトルにある映像を見させられました。 しかし、 寝てしまって内容がわからず、 「親鸞はなぜ比叡山から下山したのか」 という問いに答えられません。 友人からは{養和のききんがあったから}と 教えてもらいましたが、 養和のききんとはいったい何ですか? そして、 「親鸞はなぜ比叡山から下山したのか」 という理由を教えていただけないでしょうか、 お願いします。
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- TANUHACHI
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こんにちは。企業勤務と大学及び大学院で研究と教育に携わる者です。専門領域が歴史学それも日本中世史であるので少しばかりお話しできればと思い、返事を書かせていただきました。 親鸞の教えで大切な事として「悪人正機説」がありますが、もう一つ「女人正機説」との考え方があります。『歎異抄』に記された一節には「善人でさえも極楽往生できるのだから、仏の慈悲に頼るしかない悪人が仏を信じ念仏を唱えることによって救われるのはいうまでもないこと」としてこの世に生きる全ての人が幸福に生きる権利があるとのメッセージを残しています。 親鸞の考え方はそれまでの仏教に見られる来世信仰に対し現世信仰とも呼ぶべき性質のもので、それがベースともなり一向宗門徒による自検断の確立などの動きに反映されてきます(加賀の国一向一揆や石山本願寺での信長との対峙)。 本筋から見れば、親鸞の考え方は比叡山よりも高野山に近い。空海が民間での布教活動を重視したのに対し、最澄は専ら教典の解釈などの宗教学的立場を重視した。もちろん空海が宗教学的研究を軽視したというのではなく、既に空海は最澄の研究などを遣唐使派遣当時からマスターしていてその上で「宗教家はどうあるべきか」を自らに問い掛けていたのであり、実践家としての側面が色濃く反映されています。 他の回答者様もお答えになっていますが、親鸞は仏門に帰依する立場でありながら結婚しました。通常の僧侶は結婚はおろか女性との付き合いや自らの性欲を満たす行為まで禁じていますので、そうした世界から見れば親鸞は異色の僧侶ともいえますが、別な表現をすれば人間らしい人間ともいえるでしょう。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>友人からは{養和のききんがあったから}と 養和の飢饉: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%A3%A2%E9%A5%89 >>「親鸞はなぜ比叡山から下山したのか」 養和の飢饉が原因ではありません。 京都市中京区に六角堂と呼ばれる頂法寺(ちょうぽじ)がありますが、聖徳太子が建てて如意輪観音(にょいりんかんのん)を安置してありますが、建仁元年(1201)、その六角堂に100日の参籠(さんろう=籠(こも)って念仏を唱えること)をした僧がいた。それまで比叡山で修行していた親鸞である。 親鸞は9歳のとき、比叡山に上って出家をしました。父は地位の低い貴族の日野有範(ひのありのり)であったため、親鸞も山内での地位は低く、念仏道場の常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)のいち堂僧でしかなかった。 親鸞は、やがて最大の悩みを抱えることとなった。それは、抑えようとすればするほど湧き上がる「性欲」であった。 比叡山の僧たちに聞いても、また、師と仰ぐ僧侶に聞いても、当時は「女犯」(にょぼん)と言って地獄に落ちる業(ごう)の最大要因だと言われていましたので、誰も頼る僧はいませんでした。 29歳のとき、「性欲」の答えが出ないまま比叡山を下り、六角堂に参籠しました。その95日目の暁(あかつき)に聖徳太子の化身(けしん)といわれる観音菩薩が夢に出てきて、 「念仏行者が女犯をしたいと思うなら、私が女性の姿となって、あなたを受け入れましょう。あなたの一生を輝かしめ、臨終に際しては極楽に導きましょう」 と言うお告げを聞いた。これを「六角夢告(むこく)」という。 その後、親鸞は京都東山に行き、そこで「専修念仏」(せんじゅうねんぶつ)を唱えていた法然に夢告を問うと、法然は、 「僧が結婚しないと心を静められないならば、結婚しなさい」 と、教えたと言われています。 その口調は、阿弥陀如来の本願に絶対の「信」(しん)を置いたゆるぎない堂々とした回答だったと言われています。 以後、親鸞は法然の弟子となり、専修念仏の仏門に入り、やがて、念仏さえ唱えていれば誰でもが極楽往生できる、との他力本願の悟りを開花させました。 ちなみに、親鸞は初めて「妻帯」(さいたい=結婚)した僧として知られるようになったのです。 親鸞は僧であると同時に一人の「男性」としての「生臭い」一面も持っていたのです。 ただ学校の授業とのことですので、「性欲」などではなく、養和の飢饉の鎮守を願うために比叡山を下りた・・・などと教えているのかもしれませんね。