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貴族もランクで・・・・・

藤原一族の摂関家はともかく枝に当たる他の一門の状況はどうだったのでしょうか?特に平安末期からの状況を教えて下さい。出来れば出家(者)に関して特に知りたいです。 例えば仮に子息の誰かが比叡山で出家した時、家柄により出世、階級が俗世界と同様に違ったとか。 あるいは親鸞は藤原一族ではあるが下級貴族の出身らしですが何故門跡寺院である青蓮院で得道出来たのか。 あるいは貴族といえども結構生活厳しかったから出家したとか出稼ぎに関東へ下ったとか。 その他色々お願いします。

みんなの回答

  • tiuhti
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回答No.2

>仮に子息の誰かが比叡山で出家した時、家柄により出世、階級が俗世界と同様に違ったとか。 愚管抄を書いた天台座主の慈円は、摂関家出身でした。他の有力寺院も同様に、摂関家のような超上流貴族か皇室出身でないと、トップにはまずなれなかった、と理解しています。そもそも門跡という言葉自体に、皇室や摂関家などの有力者が法統を継いでいる、という意味があります。 >貴族といえども結構生活厳しかったから出家したとか出稼ぎに関東へ下ったとか。 その他色々お願いします。 平安時代末期でも、土地のすべてが荘園になったわけではなく、国衙領は残っていました。ですから、知行国主や受領という地位からの上がりは、完全になくなったわけではありません。また、平安中期以降、受領として下った任地で開発した田を、自分よりも上位の貴族に寄進して、そこからの上がりの一部を上流貴族に渡す事で保護を受け、自分は名目上は、「管理人」のような形で引き続き荘園領主としての地位を保つ事もかなりあった、と聞いています。このような状況は、鎌倉時代になっても、地頭となった武家にその地位を侵食されて、貴族側の取り分を増やす事はかなり難しくなったとは言え、特に西国においては、貴族側の「権益」は、かなり長い間残存していたはずです。 勿論、生活のために出家する事もきっとあったでしょうね。

nousagi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 門跡寺院の主は皇族、摂関家の子息というのは何かの本で読んだことがあります。精神世界は平等なるものというのは建前であることは自分なりにかなり以前から判っていました。 歴代天台座主の出身はまったく知りませんが実力プラス家柄というものが座主を含め出世の条件だったなら、やはりいずれは堕落および世俗化が始まる(始まった)といことでしょう。きっと。 朝臣やら公家といえどもその地位・権益・特権の保全の為に色々あったようですね。 その件については回答は頂けませんでしたが、貴族が門跡寺院で得道できたのも特権の一つかなと思い質問いたしました。

回答No.1

貴族が力をもっていた時代は、朝廷から寺院へ所領やお金が渡されていました。 そのため、権力者の息子は出世が早く、地位の高い僧になれていますね。 天台座主や大きな寺院の高僧などは、権力者の息子が有利。

nousagi
質問者

お礼

とりあえず、ありがとうございます。

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