以下、hioxさんの補足に示された疑問に対する完全な回答を提示します。先に結論を述べ、次に詳細を説明し、最後に結論をまとめます。
hioxさんがどこで躓いているか、私にはよくわかるような気がします。前にも言ったように、私も随分昔に、同じようなことを考えていた時期があるからです。
繰り返しますが、宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙」と「人間の作ったもの」を峻別すること。これを理解しなければ、それ以上一歩も前に進むことはできません。
>私は、人間よりも宇宙の法則のほうが先にあるのだから先にある方が正しく、後
>に発生したものが判断をくだすのは間違えだ、宇宙法則と人間が作り出したものは
>関係ないとするのには疑問を感じます。何故、先にあるものは無条件に正しいこと
>になってしまうのでしょうか。
全く違います。宇宙の存在そのものが無条件に正しいなどということを私は一度も述べていません(他の回答者にはそういう回答があったのかもしれませんが)。
「正しい」「正しくない」という議論を行うことが可能になる以前に、まず宇宙が先立って存在するのです。
宇宙が先にあるから正しい、のではありません。「正しい」「正しくない」という人間の判断そのものがよって立つ絶対的前提のひとつが宇宙法則なのです。絶対的前提を認めなければ、そもそも「正しい」「正しくない」という議論そのものが不可能であり、無意味なのです。
このポイントさえご理解いただければ、補足に示されたような疑問が氷解します。
以下、詳しく説明しましょう。
>まるで、先輩後輩の関係のようですね。先輩がいく
>ら無茶苦茶でも、先に生まれた人なんだからという理由で、正しいとするのに納得
>がいきますか。
宇宙は「先に生まれた人」ではありません。そもそも、宇宙が生まれる前に何があったと思いますか。宇宙は人間も動物も何もないときから存在していたものです。「先輩」と同列に議論することは不可能です。その理由は、次のようなことです。
>むしろ、先にあるものは後のことを考えて責任をもたなければならないのでは
>ないでしょうか。
先輩に対して「後のことを考えて責任を持て!」と言うのには意味があります。同じ宇宙に住み、人に影響を与える行動をとっているわけですから。
では、宇宙に向かって「後のことを考えて責任を持て!」と言うのでしょうか。そのことにどんな意味があるのでしょうか。
宇宙に「責任」はあるのか。あったとしたら、それはどういう意味があるのか。それを以下に説明します。
>とにかく、ものごとの結果には原因があります。良い結果をもたらすにはその原因
>を替えなければいけません。原因を替えずして、結果は変らないですよね。不完全
>な人間を作り出したのは、完全な宇宙法則なのでしょうか。どうして、完全なもの
>が不完全なものを産み出すのでしょうか。
全ての結果には原因がある。これは正しい。不完全な人間や人間社会には原因がある。原因を変えることで結果を変えようとする。これも正しい。では、人間の行動、価値観、倫理感を正して、今の社会をもっとよくしようとする。これも正しい。
原因を宇宙法則までたどったとする。「この宇宙法則が間違っている!」と結論したとする。そこで、「ではこの宇宙法則を変えよう」と言って変えられるのでしょうか。変えられないものを間違っている!と断じることにどんな意味がありますか。
宇宙が絶対的前提であるというのはそういうことです。
一方、理不尽な法律があったとする。「この法律は間違っている!」ということには意味があります。法律は人間が作ったものであり、変えられないものではないからです。
正しい法律(社会、国家、政治、学校、企業、その他人間の作るもの全て)を作るためには、絶対的に変わらない存在である宇宙を知り、その法則を把握することが必須条件です。
>それから、宇宙と人間が作ったものは無関係ではないと思います。それは、人間と
>いえども無から何かを作り出したわけでなく、人間が作ったもの、起こしたこと
>は、最初から自然の中にそれを引き起こす可能性があったからこそ、起こせたの
>ですから。
無関係どころか、宇宙の法則を知ることによってこそ人間が意図したものを作り出すことができることは、上述した通りです。
>それに、人間が何も作っていない時から災難はあります。例えば、人間でも動物
>でも自然災害にあうように。
そのとおりです。そして、宇宙法則、自然原則を知ることによって、災難に遭うリスクを回避したり、軽減したりすることが可能になるのです。動物は本能によってしか災難に対応できません。人間は知性をもって宇宙を知ることによって災難に対処することができます。
宇宙を敵に回しても何の意味もありません。絶対的前提としての宇宙を味方につけることです。そのためには、宇宙法則の何たるかを知り、何が不変で、何が可変かを知ることです。
「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」と宇多田ヒカルが歌っていますが(Wait & See, Risk)、これの原型は、
Grant me the strength to change that which needs changing, the courage to accept that which cannot be changed, and the wisdom to know the difference.
という古い箴言にあります。変えるべきものを変える力、変えられないものを受け入れる勇気、そして変えられないものと変えるべきものとの違いがわかる知恵。知能と良心がある人間が、理不尽な世の中で生きていくために必要な資質を端的に表しています。
この箴言の持つ意味を、具体的に理解できたとき、理不尽な事件や事故が起きている世の中で、希望をもって毎日を生きていくことができるようになるでしょう。
以上、この問題に対する私の見解の全てを提示しました。思考の前提が間違っていれば、その後の思考結果は全て間違ってしまいます。前提を正すお手伝いをできればと思ってこの回答を書いています。納得がいかなければ質問を重ねる前に上述のポイントを自問自答して熟考してください。必ず出口はあります。
どうか霧が晴れて hioxさんがブレイクスルーを迎えられますように。