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質問
日本史を勉強していると平安時代くらいから貴族って出てきますよね。日本史における貴族とは何ですか。 皇族とは違うとすると、日本には皇族と貴族という二つの高貴な家柄とか血筋があるのですか。 貴族は天皇の親戚かと思っていたのですがこの理解は間違っていますか。
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例えば、貴族でも上流といえば、五摂家といわれるように、 「摂家(せっけ)とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家のこと」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E5%AE%B6 藤原氏嫡流。つまり中臣鎌足の直系の子孫。ということになります。 それ以外は古代から続く地方豪族の末裔と考えてよいのでは。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F
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- type096
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「貴族」という身分ができあがるのは、律令制がしかれた奈良時代前後からになりますが、その明確な基準というものはNo.3の方が答えてくださったとおり、「従五位下以上の官位をもつ人(とその家族)」になります。 そのルーツはほとんどが奈良時代以前から朝廷に仕えていた豪族や地方を治めていた豪族、また百済などからやってきた渡来人になっています。 皇族と貴族の違いについてですが、血筋の問題以前に決定的に違うのが「君主たるか、臣下たるか」ということです。 たとえどれほど高位の貴族であっても、天皇陛下の臣下としての域を脱することはありません。これに対し、皇族では皇太子殿下を始め(内親王殿下を除く)全ての殿下が皇位の継承権をお持ちになっておられます。つまり、実際に即位されることはないにしても「君主たる権利(もしくは可能性か)」を持つ皇族の方々は、あくまで「臣下」でしかない貴族とは決定的に違うのです。 最後に蛇足ですが、平安時代以降貴族の主流となっている藤原北家は代々の天皇と外戚関係になることでその地位を築いてきたので、(千年単位で見れば)「貴族と皇族は親戚のようなもの」というのもあながち間違ってはおりません。立場は全く違いますが。
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回答ありがとうございました
- TANUHACHI
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日本の法制度上には「律令」と呼ばれるシステムがあります。これは奈良時代から明治維新に至る迄の間、日本国全体を全階層に渡って支配する法的根拠となった存在とされています。 この「律令」には「貴族」に関する規定があり、三位以上の官人を「貴」五位以上の官人を「通貴」と記します。そして通常は五位以上の者とその親族により付与された蔭位など身分的特権の範囲を「貴族」と呼んでいます。 貴族は朝廷の高級官僚であることが条件とされたことから京に在住し、9世紀以降は公卿として国政に携わる上級貴族は家政機構を有し国から付与された動産および不動産を核とした独自の家産経済を発展させ荘園を領有し寺社・院宮とともに荘園制を発展させます。 8世紀には藤原氏の他に大伴氏・阿倍氏・和気氏・紀氏など多くの氏から貴族が構成されていましたが、9世紀に至り藤原氏が大部分となり殊に藤原北家の諸流が中心となり、また新しく皇親貴族である源氏加わります。 中世以降では政権を掌握した武士を武家と呼ぶのに対し、朝廷に拠り所を求めた廷臣を公家と呼びます。 室町時代以降は朝廷権力の衰退により公家の経済的基盤も弱体化し、1869年の版籍奉還に伴って貴族は華族と改められ、従来の公卿に加えて諸侯を華族とすることとなります。 これに対し「皇族」とは天皇の親族ということになります。但し皇族だからといって特別な存在というわけでもなく古代の長屋王の変や壬申の乱のように政権や皇族内部での対立により歴史から抹殺された人物もおります。 簡単に申しますと「貴族」は法的な地位に裏付けられた身分ということになります。
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回答ありがとうございました
- hekiyu
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私の理解ですが、貴族には皇族も士族も含まれて いて、皇族てのは天皇の一族、てことでは ないですか。 つまり、貴族という大きな円があり、その 一部が皇族だ、ということで。
お礼
回答ありがとうございました
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