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農奴解放

14世紀中頃、ペストが大流行して農村人口が激減したため、封建反動を強化するとともに農民の待遇改善をしました。純粋荘園で地代の定量化を図ったら農民が貨幣を蓄積しました。 この二つがどうして「解放金の納入」に繋がるのかがわかりません。 回答お願いします(。-_-。)

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  • nacht246
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回答No.1

昔々、農民の集落は広大な森林や荒地のなかで孤立していました。 広大な土地は領主のもので、一部だけを農民に耕作させ、自分で 経営できる農地を持たない農民を強制労働にかり出すといういわゆる 領主直営地が多く、農民の賦役そのものが貢租の対象だったのです。 ただ、直接耕作させていない他の部分の土地は、農民に任されて いました。広大な土地は自由に使われていたのです。農民たちは 耕した土地を相続したり、分配する事が出来ました。ただし、 そこから得られた農産物、収穫物の一部を城や修道院に現物で 納めなければなりませんでした。 ところが、1000年以降、ヨーロッパの農村部でも次第に商品、 貨幣経済が徐々に浸透するようになり、領主や教会は次第に金で高く 売れる種目も作らせたほうがいい、労働効率の悪い奴隷よりも金で 人を雇って働かせたほうがいい、自分たちの持っている領地のうち 森や荒地になっているところをどんどん農民に開墾させてそこから たくさん収益を上げたほうがいい、と考えるようになります。 一方、農民の生活は不安定で、凶作による飢えに常に脅かされ、自給 自足の生活をしていた農民たちにとって生き延びていくためには耕地 を拡大していくほかはありませんでした。そうした事もあって 僧や諸侯たちは開墾する人たちに有利な条件で契約を結び、新しい 農民たちは斧を片手に森を開墾するようになります。 そのようにして自分の耕作地を持つ農民がどんどん増えていき、領主 はこれまでの賦役労働などの不定量の貢租から生産物支払いという 土地に基づいた貢租(地代)へと徴収の軸足を移していくことになります。 農民は人頭税、結婚税、死亡税などの税を掛けられる事になります。 こうして12世紀後半から13世紀前半にかけて農奴制が農民支配の 形態として確立するのです。 領主たちは互いにいがみ合っていて、領主同士のいざこざは絶えませ んでした。他の領地を攻めるたびに、武器を買ったり、兵を雇ったり するため莫大な軍資金が必要になりました。それで農民からたくさん の重税を取り立てました。やがて領主たちはヨーロッパでの戦争に飽き、 十字軍を結成して遠征し、さらに莫大な資金がかかることになります。 一方、この十字軍がジェノバやヴェネチアの商人たちに東方への道 を開き、航海術の進歩もあいまって、フランス、イギリス、 ブルターニュ、マルセイユなどで活発な沿岸貿易が行われ、取引に 金貨や銀貨が使われ、やがてその通貨が都市から農村の隅々までゆき わたるようになります。 一方、農村では上述のとおり、貢租の支払いが生産物重視になり、収益 を多くあげられる農民とそうでない農民の間に格差が生じてきます。 その結果、農業従事者を多く雇って大きな土地を所有する農民と 少ない土地しかもてない零細農民、はては土地を手放して大土地所有 農民の従事者になる農民、食い詰めて都市に流れてくる者まで出てきます。 さらに、新しい土地の開墾も次第に頭打ちになり、今までの無理な開墾 がたたって土地はやせ、それに従い人口増加も伸び悩むようになり、 今まで農民を率先して開墾に当たらせていた僧たちも、 ワインを造って都市に売って儲けるほうへ熱心になったりします。 生産物とは違い、貨幣は「蓄積」出来るため、農村での貨幣の流通は 上述の「格差」にいっそう拍車をかけ、一方領主のほうでも穀物価格 の下落等から地代支払いを「貨幣を蓄積」した農民からは貨幣で徴収する ようになります。一方、都市のほうも人がどんどん流れてきて、 貨幣が流通して、商業が発達して、手工業品の生産が盛んになり、 一般物価を押し上げます。 その結果、戦争をするにも、武器はどんどん高くなり、また一般生活でも 物価が上がっているため、人を雇うにも、農業従事者、職人、雇い兵の 人件費はそれに応じて上昇していく、生活が貨幣を食い、貨幣が零細農家 の家計を破滅させ、ましてやもっとお金が必要な領主の家政は・・・・。 このような状況の時に「黒死病」が大流行したわけです。 (ヨーロッパの人口のうち1/3~1/4がペストで死に、人手不足に 陥った) 農民という働き手を失った領主は領地経営が困難な状況になり、本当は 税金を上げたいところなのだが、そんなことをしたら他の領地に貴重な 農民が逃げていってしまう。 一方、「貨幣を蓄積」した大土地の金持ち農民も農業従事者の数が 減っているわけだから相対的に農業従事者の賃金を上げざるを得ない。 だから領主にたくさん税金を払ってくれそうもない。 (13世紀を通じて、領主直営地のかなりの部分も小作化されていた そうです。) このように封建制は先が見えているのだから、領主にとっては 自分が領地経営にいつまでもしがみついて没落するより、まるごと 「大金持ち」に(一時的にせよ)経営を肩代わりしてもらったほうがいい。 要するに「今」金が欲しい。 だから貨幣を蓄積した大土地の金持ち農民から「今」解放金をもらう 代わりに農奴身分を象徴する結婚税、死亡税などを免除するという いわゆる「農奴解放」を行ったのではないのかと思うのですが・・・・。

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