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1940年代の船旅の方法
第二次世界大戦前後のアメリカと日本の関係について調べています。1940年代のアメリカのボストンから、日本の横須賀までの船旅の方法を教えてください。日数やルート、船上の生活の様子などがわかればうれしいです。
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日米が開戦する前(および開戦後は、捕虜や外交官などを交換)なら、横浜からホノルルを経由してサンフランシスコへ到る太平洋航路を使うのが一般的かと…。 サンフランシスコからボストンへは大陸横断鉄道が有りますし…。 たしか、太平洋航路(横浜 - サンフランシスコ間)は、浅間丸が2週間で航行したそうです。 (戦前は横浜 - シアトル間は氷川丸とその姉妹艦3隻のローテイションで、2週間に1隻の運行が行われていたようですし…。) 大陸横断超特急は、ニューヨーク - サンフランシスコ間を83時間39分で踏破するという記録を作っていますし…。 なお、インド洋→大西洋航路だとユーラシア・アフリカ大陸に阻まれて直線で進めませんし、ドイツ・連合国との戦争が開始されていますから危険です。 (照国丸の様に、ロンドンへ向かう途中で触雷・沈没事件も有りましたし…。) ちなみに、照国丸の最後の航行では9/29に神戸を立ち、ロンドンを目の前にした11/21に沈没ですから2ヶ月近くかかっています。 寄港地などは下記のリンクを参照してください。 http://www.tt-museum.jp/nyk1939.html 浅間丸は、欧米の客船と同質かそれ以上のサービスを提供する事を目的とした物ですから相当豪華だった様です…。 (スイートルームなんか何処の宮殿だよってレベルです…。) http://www.shipboard.info/blog/archives/2009/09/post_1754.html
お礼
大変、参考になりました。ありがとうございます!!!