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足利兄弟「尊氏・直義」確執の原因と経緯、最終勝者は
継嗣養子の問題も含め、最室町幕府の開幕・歴代将軍の系統から観て、勝者は尊氏でしょうか・・・ よろしくお教え願えませんでしょうか?
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所謂「観応の擾乱」をどの様に評価するかの問題ですね。 単なる戦闘行為としての勝ち負けに拘ること自体に意味はありません。この争乱の意味は後醍醐政権から武家政権への移行過程において「二頭政治」の形態が出現したことであり、恩賞の評価は足利尊氏に委ねられ、内政は直義が司ることで分離が図られていました。元々は執事としての高師直と足利直義の対立に端を発しますが、意味としては直義の死(毒殺)により二頭政治は終焉を迎え、三代将軍である足利義満は独裁者としての地位を築くに至ります。 概説書としては吉川弘文館から刊行されている、村井章介氏の『日本の時代史-10南北朝の動乱』森茂暁氏の『戦争の日本史-8南北朝の動乱』小林一岳氏の『日本中世の歴史-4元寇と南北朝の動乱』山田邦明氏の『日本中世の歴史-5室町の平和』、中央公論新社から刊行されている村井章介氏の『日本の中世-10 分裂する王権と社会』および歴史全集の草分け的存在である佐藤進一氏の『日本の歴史-9 南北朝の動乱』などに詳細な記述がありますので参考になさってください。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 大好きな南北朝時代の歴史であり、ご紹介を頂いた書籍を精読させてもらいます。