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徳川幕府国歌
you tubeを見ていたら、徳川幕府国歌なるものを見付けました。 http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Uh2Ec-DepDY#! なかなか勇壮な曲で気に入ったんですが、本当にこんな曲が徳川幕府オフィシャルの国歌として存在したのでしょうか? 完全に欧米諸国の国歌に似た曲調で、いわゆる日本古来の雅楽などとは違う感じですが、幕末の段階で開明的な徳川慶喜公あたりが欧米の国歌を聴いて真似したと考えればなんとなくありそうな気もします。
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>なかなか勇壮な曲で気に入ったんですが、本当にこんな曲が徳川幕府オフィシャルの国歌として存在したのでしょうか? 歴史的な変移からみても、徳川幕府時代に「国歌」があったとは言えません。 なぜなら、概念そのものが存在しなかったわけですから。 以下にその説明を。 「国歌」というのは、近代ヨーロッパで成立した「文化」です。 したがって、近代ヨーロッパ文化が流入する前(つまり明治以前)には、「国歌」なんて概念も存在しませんでした。 もう少し詳しく書くと、16-17世紀頃に入ると、徐々に「国家意識」や「民族意識」が高まり(所謂ナショナリズム)、各国が王権や大国からの独立を勝ち取るために、民族昂揚を狙って作られたり採用された曲が、後の法治国家となって法律で定められたり慣習で国民的行事があるときに歌われたりするようになりました。 特に19世紀にはナショナリズムが最も高まり、ご承知のように二つの世界大戦に向かって緊張が高まっていった時代に、多くの国で定められました。 そして、国民的行事やオリンピックや万博など国内外に自国の存在を知らしめるために流されたり歌われたりしています。 特に、国際会議や首脳会談など外交儀礼上、両国を称えて国歌を演奏するというのが、習わしとて定着した時代でもありました。 その後、国歌が最も重要になる場は「外交儀礼」としてであり、お互いが独立国家であることを認め合うことにあります。 そして、多くが「軍楽隊」によって演奏されることからも分かるように、安全保障上の一つでもあるわけです。 日本がこうした文化を取り入れたのは、明治維新後の国作りの中でのことです。 アジア各地が植民地にされていく中、明治政府は列強に追いつけ追い越せという勢いをもって西洋化を進めていきました。 その中で、外交儀礼上の慣例である「国歌」なるものを演奏しなければならないことを知ります。 で、急遽何かを国歌を作らなければなりませんでした。 そこで、長い歴史的伝統がある国であることをアピールするために古今和歌集から選び出されたのが「君が代」の原型となっています。 とはいえ、法律で定められたのは近年の「国旗国歌法案」によってですから、それまでは「慣例」として国歌的な扱いを受けてきたというのが正しいんでしょうけど。(一説によると、日本の一般民衆が「国歌」という概念を理解したのは戦後になってからという人もいます) まぁ、「君が代」については、神秘の国日本らしく(?)謎が多い曲でもありますね。 ではでは、参考になれば幸いです。
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- suicyo
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何年か前の民放の歴史ドラマ(正月とかのスペシャル版)の主題曲に似ているような気がします。 何というドラマか思い出せないのですが、ビデオを確認する気にもなれません。
お礼
そういう意味での徳川のテーマ曲というだけかもしれないわけですね。 御回答ありがとうございました。
幕府は今で言えば東京は永田町です。国ではありません。従って「徳川幕府国家」と言う事自体が矛盾しているものと思います。永田町の歌なんて無いですよ。それと同じだと思いますね。
お礼
御回答ありがとうございます。 徳川幕府体制下日本の国歌という意味なら有りかとも思ったんです。
- mekuriya
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はは、ご冗談を。
お礼
やはりそうですか(笑)。
お礼
国歌というものの歴史を詳しく教えてくださり、納得がいきました。ベストアンサーにさせて頂きます。ありがとうございました。