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一つ詩の解読についてお聞きしたい
難しい言葉ではないですが、その意味をどう解釈すべきか、と周りの人とは違う意見を持ってしまいます。 原文は以下です 雨が好き 心静かに過ごせる雨 みんなは憂欝そうな顔をして歩くけど その空気に浸れる元気しか いまの私には無いみた 私から見れば、この詩人が言いたいことは「自分は元気がないので、その憂い空気にしか合わない、もっと軽やかな空気の中にいたら困る」で、他の人は「街の人々がみんな雨に憂鬱そうだが、自分だけが雨が好きからその空気を元気に感じ取った」と思ってます。 一体どちらが正しいのか皆さんに教えていただきたいです。お願いします。
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私も No1 さんと、ほぼ同意見ですね。 >「街の人々がみんな雨に憂鬱そうだが、自分だけが雨が好きからその空気を元気に感じ取った」 これはもう全く分かりません。 (しか)(今の私には)(無い)で、なぜポジティブな感情に向かうのか、お座なりな読み方に思えてしまう。 >「自分は元気がないので、その憂い空気にしか合わない、もっと軽やかな空気の中にいたら困る」 (今の)自分は元気がないという前半は分かりますが、憂鬱そうな顔をして歩くような空気しか合わないではなくて「本当は雨が好きなのに、(皆と同じように)雨に憂鬱になってしまう気分だ」って事なので、軽やかな空気の中にいたら困るわけでは全然ないと思いますよ。この詩人は皆とは違って雨がすきなので、軽やかとは言わないまでも雨を楽しめる人ですので。 ただ。 もう一段階穿って見ると「気分良い時は周りも気分良く見える」「ほの暗い気分の時は周りもほの暗く見える」と言う事があります。この作者さんがどこまで反映したか知りませんが……。 雨が好きなのに、みんなが憂欝そうな顔をして歩く(ように見えるほど)、今の私は元気が無い。つまり「憂鬱そうな空気だけども、浸ってしまう」「そう見えてしまう」訳です。周囲と己の対比は、ある意味「己の特殊性への優越感」を生み、ちょいとイヤらしいんです。ですが、同化(投影)であればそのイヤらしさが消えます。
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- kenshin2
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そのどちらでもないと思います。 というか、その見解を理解できない部分が多々あります。 まず、「雨が好き」なわけです。 そこで最後に「浸れる元気しか…」とあるので、 好きなはずの雨なのに今は好きとは思えない。 それくらい辛い心境だから。 みたいな感じを伝えたいんだと思いますよ。 「みんなは憂鬱そうに」と「浸れる元気しか」が、作者なりの周りの人と自分の比喩なわけです。 少し遠回しな表現ですが比喩の使い方はうまいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 となると、簡単にいえば「雨が好きなのに、元気がない」という線になりますね。比喩で表現されると確かに雰囲気満点になりました。
お礼
詳しく返答してくれてありがとうございます。 はい、仰ったとおり確かに作者が憂鬱そうで元気ない気分を示したけど、軽やかな空気に合わないと一言も言いませんでしたね。自分の表現に問題がありますた。 それと「ほの暗い気分の時は周りもほの暗く見える」という「同化」の概念にもとても賛同します。何しろ憂鬱さは元々雨の雰囲気にあってるし、こうして見れば詩の全体的なイメージが自然になると思われます。 とにかくすごく役に立ちました。これで抱いた疑問は晴れたのです。もう一度お礼を言わせて頂きます。