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今後はもう発展しなくていいんではないですか?
『今後本当に原発を造りたくないなら、 大学理科の入試とか高校の理科の授業とか、原発に関する 学校授業はなくせばいいと思うのですが、、、?』と質問したら、 『失敗をおそれず今後発展すべき』という反論がありましたが、 もう発展しなくていいのではありませんか?
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>もう発展しなくていいのではありませんか? そう心から言い切れる人間は欲のない少数派なのです。 われわれは限りなく発展しなければならない。 こういう基本的に欲の深い人間の多数派の気分(いはば価値観ですね)を、聖書の世界では「原罪」としました。 私は予言します。 原発は必ず蘇ります。 もちろん、私も多数派ですが。
- kawasemi60
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人糞の漬物を喜んで食べられる ならそうしてください。そうい う食べ物で生きてきた民族がい るのですから。洗脳搾取虎の巻 の愚民に成りたいのは判るけど。 理科が無ければアニメも無いよ? もちろんゲームも在り得ない。 カエルやヘビをつぶすぐらいしか 遊べないよ~それでも良いの?
- nebnab
- ベストアンサー率34% (795/2317)
現実にまだ日本には原発が存在するのですから、それを適切に管理するには(仮に今すぐ全廃するにしても放射性廃棄物の処理のことを考えると千年単位で知識の継承が必要です)原発について学習研究する人が今後とも絶対に必要です。 質問者様は「原発の知識を教えるのをやめたら原発がなくなる」などという非合理的なことを考えてらっしゃるのでしょうか。 「台風の勉強をやめれば台風が来なくなる」という発想と同じで、明らかに間違っています。 まさか理科の授業すべてをやめようとおっしゃっているのではありませんよね。 そんなことをすれば現代文明は崩壊します。 原始人の生活に逆戻りです。
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
今後本当に原発を造りたくないなら、「原発造らない法」とかの法律でも作るのが普通でしょう。 それが良いか悪いかは別にしても、そういう発想が普通です。 何故、「原発に関する学校授業・試験を無くす」という発想になるのか分かりません。 学校教育や試験において、原子力発電に関する分野は極めて一部の事です。 物理・化学の応用が発電所であり、原子力の利用です。 原発に関する授業を無くすとは原子力発電の部分のみを無くすのか、はたまた核融合反応のみならず放射能物質の教育、果ては物理全般の排除までやる気かは知りませんが、何故これらのような発想になるのかが理解し難いです。 目的と手段を履き違えてやいませんか?
お礼
タンでさんこめんとありがとうございます。 原子力のこと何にもも知らなければ原発はできません。 戦争のことなんにもしらなければ戦争はおきません。 バズーカ砲のことしらなければ戦争はおきません。 猿の世界では原子炉も戦争もバズーカ砲もしらないので これらの弊害はおきません。 大学は即刻爆発すべきです。大学が悪の 元凶です。勉強してるやつは最低です。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
こんな話があります。 日米の戦争が始まったとき、日本は米国について 勉強することを止めましたが、 米国は日本の勉強を始めました。 戦争はもうやらないから、戦争の事を学ぶ必要は 無いのでしょうか。
核物理学の発展の応用として原水爆が作られたのだから核物理学の研究はやめるべきだという意見が正当なのかどうか、という問題と、地震が少ない欧米と同じことを地震が多い日本がやるべきかという問題と、金融界が拡大するために原発が利用されているかいないかという問題は全く別の話のように思います。発展という言葉がどれとの関連で言われているのかによってそれぞれ答えも変わると思います。
お礼
石油さんこめんとありがとうございます。 あんましこまい範疇でものごとを考えると勃起しなくなりますよ~
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
「もう発展しなくていいのではありませんか? 」というのは, 要するに全ての科学技術を否定するという主旨と理解していい?
お礼
タコちゃんコメントありがとうございます。 科学技術は信用しないほうが正解です。 科学技術はなんの技術もありませんので がっかりするだけです。津波がくれば一発でがっかりです。 そんなもんです。国立大学なんて。駅前大学だろうが、 国立大学だろうが。 税きんばっかつかって偉そうにしてるのが東京大学 です。世の中で悪いことして牢屋にはいってるのは 東京大学が最大です。
- isa-98
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物はな。 誰もが「中身はどうなっているんですか!?」 こう興奮して見せてくれと頼んで来るような物を作れ。 失敗は付き物だ。 数万人の被害はやむを得ない。数兆円の損害も仕方ないだろう。 こう言う人間にだけは決してなるな。
- ruggerno3
- ベストアンサー率35% (29/81)
1 石油も石炭も天然ガスも、今後有望とされるメタンハイドレードも、殆どすべての電力源は、地球誕生以来、太陽という核融合炉の熱のおかげで蓄積されてきたもので、使いきればそれでおしまいです。水力発電(ダム)は川の生態系を著しく損ない、天然河川の栄養豊富な水の海への供給を阻害し、食料としての海の魚の育成を妨げます。太陽光や風力、波力と云った発電も人類の需要を賄い得る段階には程遠いと云われています。 2 福島の原発損傷の原因、空中や海中に出た放射能の量、地表で観測される放射能の測定値や危険度等の評価もまちまちで「全く危険がない」から「住めない」「農作物や牧畜、漁業が心配で食べられない」まで、両極端の意見がある状態です。 3 一方、原子力発電(各種の核融合方式を含めて)は、炉の施設のみならず、災害時の電源、給水、耐震度、津波への対策等を総合的に講ずるとともに、廃棄物の処理方法が進歩すれば、安全で頼りになる発電方法とも考えられます。ベトナム、トルコ等は日本の最新の原子力発電システムと施設も含めた安全性を評価し、原子力発電の導入に際しては日本に優先権を与えるとまで言っています。(残念ながら、福島の施設は相当に古く、現在の技術とは格段の差がある代物と云わざるを得ません)。又、資源的に見ても、海中に存在する無尽蔵に近いウラン収集技術の研究は、日本が先端を切って進んでいます。 4 ですから、人類は安全な「核物質による発電」を推進せざるを得ず、この為には、各種の原子力による発電の研究を続ける必要があります。 5 「電気は欲しい、だけど核は嫌」は、いわば無い物ねだりで、「戦争は嫌だから、日本の独立はアメリカが守って欲しい」と、どこか似通った子供じみた話でしかありません。生きていくとはいくらかの危険と背中合わせだということを認識しましょう。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
「原発」を「ゴミ」と置き換えては如何でしょう?。私達が日常生活を営む上では必ずゴミが何らかの形で出ます。そしてこのゴミを現在では再利用する形で活かすことが進んでいます。と同時にゴミの収集でも不燃ゴミと可燃ゴミの分別など「ルール」があり、その処理も自治体によりしばしば異なります。Aという自治体では可燃ゴミであっても、Bという自治体では不燃ゴミで再処理可能なモノに区分されるなど判断も分かれます。 原発の問題もこれと同様です。しかも最も性質(たち)の悪い種類のゴミを発生させることも確かです。日本では最終処理の過程が未だ確立されているとはいえません。アメリカでも地中深くに穴を掘りコンクリートで固めた核物質を埋める、程度の技術しかないのが現状です。 ではなぜそこまでリスクの高いエネルギーに依存せざるを得ないのか。他の化石燃料には埋蔵量という限度枠があります。脚光を浴びている太陽光エネルギーや自然エネルギーには「供給の不安定さ」の現実的な問題が重く乗し掛かっています。 それならば一層のこと、発展そのものを留めてしまえとの議論もあり得ますが、これは現在の日本にとって多分に非現実的な選択でしかありません。これまで日本のエネルギー供給源は原子力・火力・水力と三本柱の構造でしたが、地球温暖化対策の一環として化石燃料によるCOxの25パーセント削減などとの理想が先走った提言をしてしまったがために原子力の比重が大きくなってしまったことも事実です。 その原子力の運用に関して最終処理までの過程を含めたトータルコストの試算もせずに政策として半ば強引に推し進めてしまったことが、現在の日本に突きつけられた現実です。 無論、一先ず事故が発生した場合のリスクが極めて高い原発をこれまでそしてこれまで以上に建設し運用することには必ずしも賛同はしかねますが、現実問題として原発の問題は原発のみに留まる性質の問題ではないことも付言させていただきます。 原発により作られる電力は国内のあらゆる場所で使用され、あらゆる経済活動の根幹を支える原動力となっています。その根源がそっくり無くなってしまったら何が起こるかもお判りでしょう。ドイツやイタリアでは原発廃止の方向に向かっているとの主張も、ヨーロッパの電力供給事情が「国境を越えての送電網の敷設」が既に実現されているから可能であることも知らず、やみくもに原発反対を声高に叫ぶだけでは原発を抱える地元の方々から見れば都市住民による一時の感情的な行動としか理解されないでしょう。蟻地獄的な性質がある原発交付税による恩恵一つ見ても、地元に産業のない地域の住民や自治体にとってはこれほどの即効薬的な財源も雇用の場も他には見あたらないのが現実です。 「失敗を恐れず今後も発展すべき」が中等教育や高等教育の場での理科教育に関するモノとするならば、少なからず問題点があると僕も思います。 今回の人災で判然とした問題は理系特有の「専門バカ」を育ててしまったシステムにあるとも考えられます。彼らには「もし~」として最悪の事態を想定する想像力が欠落していた。自分達の仮定した筋書き通りに物事がスムーズに運ぶと信じて疑わなかったことに最大の問題点がある。理系の人間ならば何よりも論理と実証に基づく整合性が拠り所であるはずなのに彼らは肝心な所で足下にあるトラップに気が付かなかった。 従って今後の理科教育に求められる要素として「発展とリスクは常に合わせ鏡の裏表の関係」にあることを常日頃の教育の場で繰り返し学ばせることでしか解決の糸口を見つけることが困難ではなかろうか、と危惧しています。そのためには理系を志す高校生に湯川秀樹や朝永振一郎など日本の物理学者が書いた専門以外の思索に関する書物を是非読んで欲しいとも思います。 学生時代に政治学を選び企業勤務を続けながら歴史学で大学院を終え、勤務の一方で大学教育にも携わる者からのコメントでした。
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お礼
ねぶちゃんこめんとありがとうございます。 原始人のことあんまりけなさないでください。 ねぶちゃんより原始人が悪いということにはなりませんので。 いまのままではねぶちゃんが相当わるいかと思われますよ。