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クリスタ・ヴォルフの小説『引き裂かれた空』の不可解なナレーターとは?
- クリスタ・ヴォルフの小説『引き裂かれた空』には不可解なナレーターが登場します。彼女は横たわっていると述べており、読者はその視点がいったい誰なのか疑問に思います。
- このナレーターの存在は紛れもない事実であり、本のストーリーを深く考えさせます。その正体や意図については読者の解釈に委ねられています。
- このような手法はクリスタ・ヴォルフの他の作品でも見られます。彼女は読者に対して独特な視点や解釈をもたらすことで知られています。『引き裂かれた空』は彼女の作品の中でも特に注目される一冊です。
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お待たせしました。 まず、お断りしておきますが、オリジナルテキストか、それでなければ英語版でもないかと探してみたんですが、結局手に入らなかったので、こちらが読んだのは日本語のテキストのみです。それゆえ、不十分な点は、なにとぞお許しください。 この作品には、地の文に混じって、登場人物の心境がかっこに括られない形でいくつも出てきますね。 たとえば第一章最後からひとつ前のパラグラフ。 「出発を前に、リータは医師や看護婦にお礼を言った。みんなは彼女に親切だった。この娘が話したがらないのは、それなりの理由があったからだろう。お大事に」(井上正蔵訳) 最後のふたつの文章の主語は、この物語のナレーターではなく、主人公のリータでもなく、病院の医師や看護婦です。 病院のスタッフたちが思ったことが、“~と思った”という形をとらずに出てきているんですね。 ご質問は答えは、こうした『体験話法』と言われる、ドイツ語に固有の特殊な修辞法である、ということになります。 私はドイツ語がわからないので、きちんと説明することができません。 ブレヒトの『三文オペラ』を使って、うまく説明してあるサイトがありましたので、こちらを参考になさってください。 http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/german/wissen.html ブレヒトはこの体験話法を用いることで、地の文に作者が作中人物に扮して、体験を語らせました。 ヴォルフもこの体験話法を使って、回想や作中人物の意識を物語の中に織りこんでいるわけですね。 ただ、この手法がドイツ文学に固有のものかというと、そうではないんです。 小説において、登場人物の意識を描くには、大きく分けてふたつの方法があります。 ひとつは内的独白というもの。 なんといっても『ユリシーズ』が有名ですね。 「石炭が赤く燃えてきた。 バターつきパンをもう一きれ。三つ、四つ、よし」(丸谷・永川・高松訳 集英社) 最初の文章は、ブルームの行動を描写する、語り手のものです。 でも、つぎの「バターつきパンをもう一きれ」はブルームの意識の中に浮かび上がったことです。 続く「よし」は、ブルームの意識が凝縮したもので、これがいわゆる内的独白です(内的独白と意識の流れは本来分けて考えるべきなのですが、ここではこの程度の区別としておきます)。 以下、ブル-ムの頭に浮かぶことと動作が交互にあらわれてきます。 こうした内的独白の主語は「私」であり、読者は、登場人物の頭の中にある意識をモニタリングするかのように、読み進んでいきます。 もうひとつが自由間接体(free indirect style)と言われるもので、ジェイン・オースティンなども部分的には用いていますが、意識的・技巧的に採用し始めたのは、ジョイスやヴァージニア・ウルフら現代作家の登場を待たなければなりません。 これは、思考内容を報告のような形で描写しながら、語彙は思考の主体である登場人物のものが用いられ、「……と彼女は思った」「……ではないかと考えた」といった部分を省略したものです。 内的独白と違って、登場人物の頭の中味をモニターしているわけではない。 それを教えてくれている作者の存在は、依然としてそこにあるんですが、こうすることで登場人物の意識は、地の文に溶解されないぶん、より際立ってきます。 『体験話法』も、こうした自由間接体に属するものであると考えてよいと思います。 で、なぜこの『引き裂かれた空』という作品で、このような手法がとられているか、考えてみました。 ネタバレ部分があるので、以下の部分は最後までお読みになってからにしてください。 私がこの作品を読んでいて違和感を覚えたのは、視点がころころと変わっていく点でした。 より正確には、基本的にリータを中心に据えられた視点が、ところどころでマンフレートのものになったり、職場の同僚のものになったり、あるいは上記引用したように、医者や病院スタッフのものになったりする。 視点というのは、読者が作品を追っていく上で、きわめて重要なものです。作者の都合で勝手に変えられてはこまるのです(むずかしくいえば、「読者によるテクストの意味の生成が妨げられる」、となります。格好をつけるために“テクスト”と言ってみました)。 ご質問の話法の転換も、そうした視点の変更に伴って起こります。 さらに読み進むうちに、『体験話法』部分の語り手がリータ以外である時、その内容は、その時、リータをどう思っているか、ということに限られることに気がつきました。それ以外の目的でこの話法が使われることはない。 ストーリーだけ追えば、この作品は、リータという一人の女性の悲恋を描いただけの、非常にシンプルなものです。 ただ、舞台は冷戦まっただ中の、東西に分断されたドイツ、東側のドイツです。このことがきわめて重要な意味を持っている。 恋人のマンフレートは西側に亡命してしまい、勤労奉仕(この用語の使い方が正しいかどうか、わかりません)させられている車両工場では、厳しい生産ノルマが待っている。 そのような過酷な情況の中で、失恋による悲嘆から自殺まで考えた彼女は、それでも東で生きていこうと決心する決意までが、過去と現在を行きつ戻りつしながら描かれていきます。 彼女は若い女性であって、万能ではない。 ヘルフルト氏の深い苦悩も、東の抱える根本的な問題も、作者は知っているけれど(また読者は知らされてはいるけれど)、彼女はわかっていないんです。 わかってはいないけれど、それでも決然と、前を向いて生きていこうとする彼女の姿は、やはり胸を打たれます(最初に読んだ時、なんとなく伊藤整の『典子の生き方』を思い出したりしたのを覚えています)。 けれども文学上の手法から見ると、主人公の未熟さゆえに、視点を彼女にしぼってしまうと、作品も極めて限定的なものになってしまうんです。 それを解消するためには、ほかの視点を導入することが必要だったのではないか。 それをできるだけ自然に、芸術的な手法で行った(行おうとした)のが本書ではないか、と思うのです。 たとえば冒頭で引用した部分で、病院スタッフの思ったことを、『体験話法』を使わない形で中に組み込んでみたらどうなるでしょうか。 「みんなは彼女に親切だった。医者は、この娘が話したがらないのは、それなりの理由があったからだろう、お大事に、と思った」 こう表現すると、完全に視点は医者に移ってしまいますね。 で、つぎのパラグラフでふたたびリータの意識に戻っていくと、読者はいったいどこに視点を定めてよいかわからなくなってしまう。こうしたことを考えると、ヴォルフの書き方は、調和を乱さないギリギリの線であることがわかります。 *** 『体験話法』とひと言書けばいいものを、ああだこうだ書き連ねました。これがマクドナルドの「ご一緒にポテトもいかがですか」並みの“いらん付け足し”でないことを祈るのみです。 なお、 http://www.med.nihon-u.ac.jp/home/bungeibu/bn93/igarashi9307.html (ちょっと資料的には古い)でヴォルフの経歴が語られています。 また、NYタイムスに、彼女の新作の第一章が掲載されていました。(英訳バージョン) http://www.nytimes.com/books/first/w/wolf-medea.html 『カッサンドラ』でもそうですが、ギリシャ神話をフェミニズムの見地から再解釈していったような作品を発表しているようですね。
その他の回答 (1)
- ghostbuster
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申し訳ないのですが、いまちょっと忙しいんで、きちんとした回答ができません。 というわけで、とりいそぎ、要点だけ。 翻訳本の巻末解説をお読みになると、ご質問の解答が得られると思います。 『引き裂かれた空』(井上正蔵訳 集英社1973年刊) 「現代の世界文学」シリーズの一冊です。 確かこの本、文庫にもなってるはずなんですが、文庫版の解説にはあるかどうかわかりません。 手元にあるのはこの本だけですので。 なにぶんにも古い本なので、図書館などにもないようでしたら、再度補足要求ください。 今週末ぐらいでしたら、説明できるかと思います。 要点のみにて失礼します。
お礼
はい、時間のあるときで(一週間後でも二週間後でも)結構ですので説明をお願いします、 図書館に行っても日本語訳の本はありませんので…。 私が読んでいる本はdtv(=Deutscher Taschenbuch Verlag)から出版されている文庫本です。 1ページ目にこの話の概要と著者の生い立ちが書かれているだけでその他の説明はありません。 旧東ドイツの小説としてはかなり有名な小説だとは聞いているのですが、 それでも読まれている方がいるのを知るとやっぱり嬉しいですね。 では回答をお待ちしております。 お忙しいところ、ありがとうございました。
お礼
あけましておめでとうございます。m(__)m ようやく読み終わりました、ふぅ。 > 視点というのは、読者が作品を追っていく上で、きわめて重要なものです。作者の都合で勝手に変えられてはこまるのです そうですよね! それをまぁ、ころころと…(怒笑) >『体験話法』部分の語り手がリータ以外である時、その内容は、その時、リータをどう思っているか、ということに限られることに気がつきました。 言われてみればそうですね。 飽くまでも主人公を中心に話を進めたかったがために ヴォルフが『体験話法』なるものを使ったのなら少し納得できます。 > そのような過酷な情況の中で、失恋による悲嘆から自殺まで考えた彼女は、それでも東で生きていこうと決心する決意までが、過去と現在を行きつ戻りつしながら描かれていきます。 時間と場所の設定に説明がなくて困りました。 特にRitaがManfredのところへ訪れた話をSchwarzenbachにしている場面(28~29章)を最初に読んだときは 三人とも一緒にいるのかと思ってしまいました。 読み返してみると、パラグラフごとに西と東、過去と現在をあっちこっちしてますよね。 こんなんありですか?(激怒笑) 私的には「自殺を試みるくらいなら西に行っちゃえ」と思うのですが、 そんな小説が旧東ドイツの検閲を通る訳ないですね。誰も買わないだろうし。 この話、結局、工場とMeternagelの話が最後にきて終わるんですね。 あら、思ったよりあっけない。意外でした。 Manfredから何か手紙が来るとかなんとかあるのかと期待してたんですが…なかったですね。 最後の最後の一文の「彼」はManfredのことなんでしょうね。 意味深すぎて意味が分かっていませんが。 > 『体験話法』とひと言書けばいいものを、ああだこうだ書き連ねました。これがマクドナルドの「ご一緒にポテトもいかがですか」並みの“いらん付け足し”でないことを祈るのみです。 “いらん付け足し”だなんてとんでもないです。 とっても勉強になりました。 ghostbusterさんは大学の教授でしょうか? 説明・引用を見る限り、かなり詳しく研究されている方としか見えないのですが。 小説を読むのはまだまだ苦手ですが、人並みには読めるようになりたいです。 もう一つの方の質問の回答も大変役立ちました。 ありがとうございました! 今年一年がghostbusterさんにとって良い年になりますように…
補足
『体験話法』と呼ばれる手法なんですね。 知りませんでした。 間接話法の場合では「彼は言った、彼は病気であると(=Er sagte, er waere/sei krank.)」というように 「彼は言った」という部分は省略されずに使われます。 この小説も全体的に間接話法で書かれているのですが、 その謎のナレーターが絡んだ部分ではそれが省略されているんですね。 正直、間接話法と体験話法のどちらかを見極めるのは今の私にはまだ困難です。 参考URLもとても参考になりました。 ネタバレ部分から下はまだ読んでおりません。 全部読んでからきちんとお礼を差し上げたいと思います。 ただ、後一ヶ月くらいかかるかもしれません…(もしかするともっと?)。 どうかしばらく時間を下さい。 放置ということは絶対にありませんので、ご心配なく。 ありがとうございました!