- 締切済み
借金癖や依存症に治療について
私の父には、借金癖があります。 すべて博打での借金です。 そして父親自身が借金を返したことはありません。 物心ついたときから、お金絡みで、母親が泣いている姿をずっと見てきました。 私自身社会人になってから給料を借金の支払いに当てて返していっても、新たに借金を作ってきます。 父の借金を家族が返すから余計にダメなのだということも分かっています。 しかし一時期、父親の要求を家族全員拒否した際、自殺未遂をしてしまい、それからというもの、なんだかんだで新たに借金ができれば家族で返済しているのが現状です。 人に何かしてもらうことに対しての罪悪感は薄くなってしまったと思います。 昔、知り合いに相談したのですが、そういう人は死ななきゃ直らないと言われました。 その時はそれで諦めましたが。 今は、精神的な不安感とかそういった問題ではないかと思っています。 何故なら、自分自身、子供の頃から、慢性的な不安感を持っていて、自分の人生に悲観的で、未来には不安しかなく、いつも気持ちが重苦しかった時期がありました。 何かしらの快楽が欲しくて、父親と同じくギャンブルにはまったこともあります。 アダルトチルドレンや認知行動療法の本などを読んだり、勉強して、まだまだ完全ではないですが抜けられたと思っています。 父親はそれと似たような慢性的な何かから、ずっと抜けられないのではないかと思います。 私の父親は、10年ほど前、自律神経失調症と診断されたそうです。 現在、父親は精神安定剤を常用しています。(心療内科のカウンセリングでは適当にしか話をせず、薬だけ貰っている) 借金、博打で人が変わる以外は、良い父親です。 息子の私が、父親に認知行動療法などそういった話をするのは、ある意味私が父親の人間性を否定していると誤解され、余計に悪化してしまうのではないかという不安もありますが、今の状況が父親にとって幸せな人生だとは思えません。 ただ辛くて、でもどうしようもなくて、半ば自分を諦めている状況だと思います。 殺したいぐらい憎んだこともありましたが、今は生きてて良かった~っと思ってもらいたいです。 何かいい方法、又は良い先生がいらっしゃいましたらご紹介ください 。よろしくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
人生においてそれぞれの人は、それぞれの責任が在ります。各自が背負ったり果たす役割です。貴方の父上様は、全ての責任を放棄しているように見受けられます。 働かざるものは食うべからず、や或いは『一日無さざれば、一日食わず』と云う事にするなら良いかも知れません。人間は何時かは誰でも死ぬ運命に在ります。 只それが早いか遅いのかの違いと、何を望んで人生を送っているのかの違いです。親御様は『何もしないで人生の意味を探っているようですが』本当は何かをする事自体が『人生に意味を付けています』 心の問題は『本人が望む以外は改善する事は出来ません』が責任性を自覚させる方向からは可能かも知れません?人生の終わりには全ての人は『自分の死を責任を持って』取らなければなりません。 責任を持たない人には自由がありません、責任と自由はセットになっています。不自由な人になっていますが、そのままでいいのかと云う事を問いかけてみる以外は方法は無いと感じます。その責任は誰も変わって取ってやる事が出来ないものです。
- strbegger-po
- ベストアンサー率48% (317/660)
とてもお辛い気持ちを切々と語って居られる事は分かります。 失礼ながら、“悪者探し”をするつもりは全く無いのですが、いくつか腑に落ちない点があります。 お父様は現在、心療内科に通っておられるのですよね。そこで心療の治療もせずお薬だけを貰ってくる・・・最初は治療もされたのだとは思いますが、何の効果もみられないと言うの事でょうか。? 良い意味で解釈すれば“親思いの息子さん”ともとれるのですが、文面を拝読する限り、根本的治療もせず、何事もすべて“中途半端”に終わらせてこられているように窺えます。 今の状態ではどんなに著名な医師に診て頂いたところで“どうだろう”とした思いがあります。(失礼ですが・・・。) 何が言いたいかというと、ご本人に自覚が有るかどうかとした事が大切だと思われます。 “依存症”というのは周りがどんなに説得しても何も耳は入らないものなんですよ。自分が“気づく”しかないと言う事です。そうでない限り状況は変わらないとおもわれますよ・・・。 >しかし一時期、父親の要求を家族全員拒否した際、自殺未遂をしてしまい、それからというもの、なんだかんだで新たに借金ができれば家族で返済しているのが現状です。 酷なことを言うようですが、これが実際の出来事でしたら、ご本人の自覚(意識)はお有りなのですよね。家族に迷惑をかけているとした気持ちがあっての行為だったんですよね・・・。 願う事ならそこで“目を覚まして”ほしかったですね。 家族はそうした行為に驚愕し許してしまった。また容認してしまった。甘やかしてしまい依頼心を増幅させてしまった。 結局は“元の木阿弥”ですよね。お父様一人のせいで家族が振り回されているようにも窺えます。 >殺したいぐらい憎んだこともありましたが、今は生きてて良かった~っと思ってもらいたいです。 『今は生きてて良かった~っと思ってもらいたいです。』と言われていますが、本来ならば・・・“目を覚ましてくれて、自分のやってきたことがどれだけ家族を苦しめ、辛い思いをさせて来た事かと認識して欲しい。”という言葉が聞きたかったですね。 “尻ぬぐい”の日々では一生ものですよね。ご自身がそれでも仕方がないとお考えであればそれはそれでよろしいのですが・・・。 >息子の私が、父親に認知行動療法などそういった話をするのは、ある意味私が父親の人間性を否定していると誤解され、余計に悪化してしまうのではないかという不安もありますが、 少し理解し難いものがありますね。今のままで構わないのか、完治して欲しいのか、どっちなんだろうとした感があります。見様ではどっぷり、父親に依存しているともとれます・・・。 第三者の立場から言わせて頂けば、“どっちもどっち”とも取れます。 このままでは“親離れ”も出来ず“子離れ”も出来ずではないでしょうか。 失礼の数々でしたが、“ボタンの掛け違い”とでも言うか、何かが違っているように感じられるのですが・・・。
借金をして賭博の資金にしているのでしょうか。またほかの点では良い父親というのはどういうことでしょうか。自分で働いて収入を得るという経験は今までなかったのでしょうか。